第5話

 不完全な妖怪による、怪異のための、怪異だけの……饗場。


「宴は終わりよ。もうかえりなさいな」


 饗宴を一喝して打ち切る。


 高揚か、それとも狂喜か。怪異どもがより一層大きく騒ぎ立てた。こちらの光源に対して恐怖は抱かないらしい。彼らの根幹である恐怖すらマヒしている様子だった。


 グロテスクな怪物たちがめいめいに踊り始める。不完全な手足がばたつき、今か今かと儀式が完成する時を待っているようだった。


 あまりにも鮮やかな色彩に吐き気を感じてしまう。強い色はもはや毒だ。


 己の白銀の髪がより一層目立つような、この世界で異物は己であることを分からせられるような。そんな疎外感にも似た寂しさを覚えた。


 いや、そもそも異物であることは理解していたが。


 あのふざけたやり取りの直後、真は本当に足元に出来た穴に落ちていった。「んな馬鹿な」と言ったのは私の方だった。


 ありとあらゆる目がこちらに向けられていた。


 あらかじめ用意しておいた式神たちを取り出す。魔導書を千切って、わざわざ一体一体折って錬成した。小さな鳥たちが手元から一気に飛び出した。次々と魔術式を展開していく。大輪の花が重なっていく。美しい光の弾幕が展開されていく。波を模った弾たちは怪異たちを怯ませ、滅し、道をこじ開ける。海を渡る鵯のように鳥たちは弾幕の合間を抜けていく。そうやって一分の隙も無い弾幕を練り上げる。


「合符『花千鳥』」


 術式を励起させる、短い短い詠唱を行う。レーザーのようなものが出せれば一掃できるのに、とか考えながら屍を踏み越える。


 肉が踊る。内臓の壁のように脈々とうねっている。最奥はすぐそこだ。



 靴が鳴る。



 目の前にいる幹事に向かって話しかける。


「面白くないことしてくれたじゃない。でもここまでよ。諦めなさい」


 女は私を見るなりその巨体を震わせた。


 中途半端な変化が起きたのだろう。依頼主は無数の手足と下顎、上顎が生えた肉塊となっていた。顔、らしきものはその一番上、ショートケーキのイチゴのようにそこに生えていた。


「ア、あぁ──見、見見見見見見見、見ルなアッ!」


 ぜごぜごと鳴る喉からそんな叫びが絞り出される。絶叫が鼓膜を震わす。


 思わず目を閉じた。


 周りで騒ぎ立てていた怪異が静かになった。文字通り、水を打ったように一斉に。



 否。



 否、否否否──。式神が叫ぶ。


 怪異が静かになったのではない。私が別の場所へと移動させられたのか。目を閉じたのではない、それと区別がつかないほどの暗闇に放り込まれたのか!


 初めて見る深夜の世界で息が詰まる。


 何があって何が無いのか理解の及ばぬ未開の地。かき集められた死の中に放り込まれる。無差別に私が塗り潰されそうになっていく。砂山を崩すように、いとも容易く。



 ※※※



 目が覚めたら、目の前で女の子が血みどろになっていた。


 怪我をしたわけではない、というのはすぐに分かった。暗い赤の中で、深紅の瞳がキラキラと輝いていたのを覚えている。


 それで悟った。直感だったのだろう。


『あ、この子ヒトじゃない』


 黙ってその場を離れた。


 変に騒ぐ理由も無かったから。その次の日からだったか、辻村真が私に絡みに来るようになったのは。一つ下の学年でわざわざクラスも校舎も違うのに会いに来たのは、その人が初めてだったはず。


 それから少しづつ幼なじみであるあの子、こと真との関りが増えた。その度に嫌なところがたくさん目に付いた。


 うるさいのが嫌でした。


 食い意地が張っていて、違うわ、意地汚くて、いつも私の弁当を狙っているのが嫌でした。


 突然どこかへ行ってしまうのが嫌でした。音信不通になるのが嫌でした。


 前触れもなく行方不明になるのも嫌でした。


 今は亡き母が仲良くしなさいよと言ってくるから嫌でした。


 「真と仲良くしてくれてありがとう」とおばさまに毎度毎度言われるのが嫌でした。


 見かけるたびに声をかけてくるのが嫌でした。


 進学してもわざわざ遊びに行くことを予告して遊びに来るのが嫌です。



 ──嫌だし、嫌いだけど、それを彼女が『半分人ではない』というそれだけの理由で全て許している。許せている。


 そう。確かあの時も、こんな暗闇で──あー、前にもこんなことあった気がする。




 また、私はこの手を取ってしまうのか。手に触れたものに、全力で縋り付く。体温がじわりと伝わってくる。暗く冷えた、深海のような場所で見つけた、唯一のぬくもり。それが例え、どんなに嫌なところがあるヤツでも。




「前にもこんなことあったな、って?」


 ソイツは私の言葉を反芻する。


 それが妙におかしい。でも素直に笑えない私は眉をひそめる。


「……いつの話よ」


「さぁねっ!」


 そう言いながら真は私の腕を思い切り引いた。視界が拓ける。


「いやー、さすがにビビったわ。まぁでも、もう感覚は掴んだし。この辻村さんがサクッと解決してみましょう!」


「この状況で生き生きとしないでよ」


「悪いね。逆境はチャンス派なんだわ」


 そう言いながら真は右腕を振り抜く。


 途轍もない勢いで放たれた拳は、近寄ってきていた怪異を消滅させた。怪力乱神、その鬼の力に相応しい言葉が脳裏に浮かぶ。周囲のなりそこないはその風圧だけで圧倒される。


 怯んだその隙に彼女は突っ込んだ。


 援護する為に三枚の札を取り出して放る。


 蹴り上げ、踏みつけ、投げ飛ばす。たまに引きちぎって放り、掴み投げ。下に滑り込んで伸びてくる手を回避し、起き上がるついでに前にいた何かに頭突きする。出来上がった隙に突っ込んできた怪異を札が焼き払う。


 アップテンポで繰り出される攻撃は、誰も邪魔できないでいた。


 波が引くように怪異たちが引き下がっていく。


 そしてついには幹事を残し、その全てが形を変えていく。ぐずぐずに、肉としての形が保てなくなっていく。床にひろがっていったそれは、鼻も利かなくなるほどの悪臭を放つ。


 張り詰めていた空気が変わる。


 私はもう一度博物館に窓が無いことを恨んだ。


「チェックメイト。お疲れさん」


 真は肉塊に向かって手を伸ばす。見上げるほどだった肉塊は、見事に雪崩落ちていた。真の手を止める。


「待って」


「はぁ」


 怪訝な顔をして真はその手を止める。


「何か言ってる」


「……な、」


 小さな呻きが聞こえる。


「そこの女は、何故、殺さない!? 同じ半妖だろうッ!?」


 掠れた声がそう抗議する。


 あぁ、そういうことか。それで。


 納得がいった。真も同じらしく、彼女は大げさに肩をすくめた。


「勘違いしないで。館長さん。貴方は余所者だから知らないのでしょうけど、そういうルールなのよ」


「……ッ! ん、な」


「貴方はヒトの道を外れた。だから殺さなければいけない。元から妖ではない者が、妖になってはいけない。怪異になってはいけない。生まれ付いた種族で寿命を真っ当なさいな。コイツはね、お前みたいに元人間ではない。元から半分人間じゃないのよ。だから今すぐに殺す必要は無いの」


 絶望が彼女の顔を奪う。


 それと同時に黒い影が、彼女を飲み込んだ。


「…………食べるのはいいけど、あんまそういう混ざり物はよくないんじゃないの」


 そうコメントする私の前でバリバリと音を立てて影が咀嚼する。真はというと、黒い上顎が虚空へと引っ込んでいく様を眺めていた。


「んーまぁ、あんまりおいしくないな。好みではない」


 ぺろりと舌を出しながら辻村真は感想を述べた。

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