第2話

 目の前、分厚いガラス扉の向こうには底なしの暗闇が広がっていた。


 事前の説明のおかげで知ってはいたが、こうして目の当たりにすると少し気が引ける。全くの闇、というのも恐怖を誘うがもっと嫌なのは、たまにその中で何かしらが光っていることだった。何かがいるのは明白。そんなところにわざわざ踏み込まなければならない。


 仕事とはいえめんどくさい。


 意を決して扉を押す。


 生臭く温い風が頬を撫でて、鼻をくすぐる。本物の『夜』の世界がそこにあった。


 一歩一歩と踏み出すごとに暗闇の中身が明らかになっていく。手に提げた懐中電灯はあまりにも心許ない。もう少し魔術強化を施してもらうべきだっただろうか。もしかしたら準備不足だったかもしれない。いつもの装備では不十分……な、気がする。


 ロビーエントランスの中央では、目玉となっているティラノサウルスの骨格模型がふんぞり返っている。


 普通ならそれだけで説明は済むのだが、今は異常事態。


 その骨格にはどこから持って来たのか筋肉、らしきものが付いている。微細なためか、欠片であるからか、その巨躯を動かすには至っていない。これであればまだ放置していても問題ないか。


 そんなことを考えながら恐竜の代名詞を見上げる。そしてそのまま展示室入り口に目を向けた。


「…………」


 真っ暗な中で白い何かが踊っている。それだけならいい、ちょうど入り口が塞がれている。右手に持っていた魔導書を持ち上げた。分厚いそれの重みが腕にかかる。


 左手でページを繰って魔術式を開帳する。


「邪魔よ」


 美しい術式が花開く。開かれたページがひとりでに立ち上がり、細切れになっていく。白い竜巻となった紙切れは、ありとあらゆるものを切り裂かんと空気を唸らせた。白い何かはたちまちのうちに無力化されていく。


 ぽっかりと開いた入り口は不気味にこちらを誘っているようにも見えた。


 これで通るのは問題ないだろう。とはいえ、時間が経てば復活するのは目に見えている。完全解決は必須か。結界の一種であることは外部調査で明らかになっているけれども。それ以外は謎。何一つ分かっちゃいない。だからこそこちらに手が回ってきたのだろうけど、どうして入った人間が帰ってこない空間に一人で放り込まれなきゃいけないのかしら。


 あふれ出る文句を流しながら、元展示室に踏み込む。


 目指すは最奥。こういう結界の類は、一番奥に原因が鎮座しているのだ。


 展示室のあちらこちらで肉片が蠢いている。完全体である個体はいないらしい。


 基本的に皆、足が欠けていたりそもそも指だけだったり。脊椎だけが魚のように宙を漂い、私の右隣を泳いでいった。頭だけがそこの角に積み上がっている。


 床もなんだか湿っていた。獣の頭部に、爬虫類の足。牙と爪に、目玉がたまに上から落ちてきて床を跳ねる。宙を舞う虫の羽。恐竜とも、古代生物とも言い難い何かがそこらじゅうで蠢いている!


 どれもが先ほど捥いで来たかのように、ぬらぬらと肉肉しく断面が光に反射している。


 あぁ、気持ち悪いな。気持ち悪い。解剖には何度か参加したことがあるけど、こうも大量にあるとその慣れも意味がない。ここ全体が一つの生き物のように、それらが同じタイミングで息をする。


 魔導書のページを切って折り、灯りの代わりにする。両手はあけておきたい。


 こういう器用なことができるのが魔導書のいいところだ。悪いのは消耗品であること。今回使い切るとも思えないけど。それなりに値が張るので、あまり使いたくないというのが本音だ。



 攻撃をしてくるほど知能のあるモノはいないらしい。灯に怯えて、みんながみんな隅の方へと逃げていく。変な話、久しぶりに本物の怪異を見たかもしれない。


 天井が低いせいか空を飛ぶものはいない。窓も無いから、外から明かりが入って来ることもない。電気系統はことごとく死滅しているらしく、光源はクラゲっぽいものと鉱物だけだった。雰囲気が雰囲気ならきっと、素晴らしい世界になれたと思うんだけど。今はただ気持ち悪いだけ。


 まぁどういう理屈でそれらが発光しているのかは知らないけど。元々鉱物を展示していたであろう場所を素通りしようとする。




 こつん。




 小さな音がした。


 それと同時にすぐ近くで気配を感じる。思い切り魔導書を持った左腕を振り抜いた。


「ふあっ!?」


 心地よいほど重たい衝撃と、間抜けた声が跳ね返ってくる。そちらを見てみれば。背の高い人の影があった。




 沈黙。




 少ししてきゃらきゃらと周りでシダが騒ぎ始めた。カリカリと何かが壁を削る音がする。




 何でここにいる?




「何してんのよ」


 うんざりとしながらそう問いかける。


「いやぁ、はは。たまたま行った先が一緒で、たまたま巻き込まれた……って言ってももう怒ってるよね!」


 さぁどうだか。


 目を細めてそちらを見る。相変わらずこんなヤツでも見上げなければいけないのが苦だ。腹立たしい。暗闇でも目立つ深紅の瞳と、それとは逆に紛れてしまう黒髪。気の強そうな目はどこか泳いでいる。何でここにいるのかしら。馬鹿じゃないの。


「あはは……でも本当。いや、泊まるつもりはなかったんだよね。トラブルは知ってたし。うん。でもさ、ちょっと待ってて、って言われて待ったてたのよ。そしたら日が沈んじゃってさ……」


「何の話をしてるのよ」


「何って、なんでここに居るかの話ですけど……」


 辻村つじむらまことは平然とそう言った。


「どうせなんでここに居るんだコイツ、とか思ってるんでしょ? こっちだって混乱してんのよー」


「知らないわよ。事情を知った上で突っ込んできたのはアンタじゃない。アンタがここで起きた異変の説明をしたじゃないの」


「そうだけどさー。ねー、専門家なんでしょ? 何とかしてよー」


「いや、私は解決専門じゃないから」


「はぁ!? 専門家って言ってたじゃん!」


 ……言ったけど、確かにその後説明を付け足したはず。お前が覚えてないだけなのよ。


「勘違いしないで。前も言ったけど、私はあくまで原因を突き止めてそれ相応の業者に引き渡すのが仕事。餅は餅屋がモットーなの」


 キッパリとそう言い切れば、真はげんなりとした顔でこう返す。


「はええ……そういやそうだった。つってもよ、ここから出れないんだけどその辺はどうお考えで?」


「はぁ? 何よそれ」


 言いかけた言葉を飲み込む。


 対策はしておいたのだがどうなのだろうか。一抹の不安をかき消すように、入り口まで戻ろうとする。


「……キモ」


 ガラス扉は床から生えた肉塊が塞いでいた。まるで無数の手が万歳しているかのような光景だ。手は長いもので私の腰辺りまであるものもあれば、背丈を超えるものもある。


 対策として仕掛けておいた式神は内側まで押し込まれてしまっていた。あれでは意味がない。


「な? 行きはよいよい帰りは怖いーってね」


 確認するように真は首を傾げる。


 思わずため息が出そうになって、慌てて飲み込んだ。私の魔術の腕ではこれを焼き払えない。依頼主いわく、対策をしていれば戻れるとのことだったが、対策の対策がされていたのだろう。


「どうすんのよ」


「やだなぁ。いつものだよ」


 「果てまで振り返らず突き進め!」ですか。好きだね、その言葉。


「はぁ、めんどくさ。やっぱり受けるんじゃなかった」


 思わず頭を抱える。こうやって頻繁に命の危機が訪れるわりに、この仕事の給金は高くない。


「ま、いつも通りってワケ! どうよ。ここはいっちょ前みたいに手を組んで! さ!」


 そう調子よく言って真は右手を差し出す。


 嘆いていたって仕方がない。多少気に食わないところはあれど、真であれば解決も夢じゃないだろう。そこだけは信用している。ただ気に食わない。でもそれで死んでは意味がない。というか、こんなところでこんなヤツと一緒に逝くなんて死んでも御免だ。


「本当に働くのかしら」


 右手を差し出せば、しっかりと握り返された。


「そりゃね。自分もどうしようもないし。他の依頼主がどうとかは知ったこっちゃないよ」


 いつまで経っても放そうとしないものだから、私が思い切り振りほどいた。

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