鬼姫怪々
猫セミ
第1話
「あぁ、そういえばね」
唐突に
「以前松阪に行ったときの話なんだけどさ。松阪牛の丼を食べたのよ。まぁ松阪って言ったら牛じゃん? 食べないわけにはいかないよね。一杯二千円だけど、まだ安い方らしくて。んで、町の隙間みたいなところにある食堂に行ったのね。店主のワンマンでさぁ。入ったとき誰もいなかったからびっくりしちゃったよ。『やってんの?』ってね。あそこは雰囲気も良かったな。レトロな感じでさ。昭和二年創業だったかな。そんくらいの古さで……」
「それで? 何が言いたいの」
恍惚と話し続ける真の声を遮って、要約を促す。コイツの悪い癖だ。いつも長々と過程から話し始める。今日ばかりは聞くに堪えない。
「まぁまぁ。急かすなって。この過程が大事なの」
真はいつも通りそう返し、水を一口飲んでから話を続けた。
「そこで牛丼を頼むわけよ。御膳で出てきたんだぜ。すごいよな。これが、二千円……! ってドキドキしちゃったよね。んで、牛丼なんだけどさ。すっげぇ美味かった。先に言っておくけど超美味しかった」
何が言いたいんだろうコイツ。
早くも飽きてきた。呆れと共にスマホに目を落とす。明日の天気はどんなだろうか。洗濯予定日だが、雨が降ってちゃ敵わない。
「ブランドだからだろうね。膳と一緒に証明書が出てきたよ。何だったかな……そうそう。生産者と、ランクと、給餌飼料とか生年月日もあったな。そんでもって屠畜日と牛の名前。アタシが食べたのは『ユウコ号』だったね。先にそれを見てから箸を取ったワケ。まぁ店主のおじさんがさ『これ証明書ね』って言いながら置いて行ったもんだから、無視もできないでしょ」
それでもって先に美味しかったと言ったのか、こいつ。
お前のことだからどうせ憐れみとかは無かったんだろうな、と思う。実際そうなのだろう。話す彼女の赤い瞳は、爛々と輝いている。どう見ても楽しそうだ。
「お察しの通り。そりゃドキッとしたぜ。だって名前が書いてあんだからさ。いつもは『ただの牛肉』として認知してるものがよ? 『ユウコという名の牛』になったんだから。ミクロになればミクロになるほど……集団ではなくて、個人? として認知するとさ。ね? 実家の実家がちょっと前まで牛を育ててさ、生きた牛の姿を知ってるから余計にね?」
それで、なんだ、と続きを目で促す。
「あー、この子はこれからアタシになるのか。って思うと手が止まらなかったよね。普段は全く意識してなかったことだし。名前なんてあったとしても知る由もないし、方法もない。残すなんてもってのほか。多少のプレッシャーもあったよね。まぁ……要するに命は大切ってことね。『いただきます』、『ごちそうさま』はちゃんと言おうぜって話」
雑。
ここまで長々と話しておいて、結局言いたいことはよくある『ソレ』なわけ?
「ばっかじゃないの」
「まぁまぁ。そう気を立てんなって。正直興奮したね。カニバリズムはああいうところに通じるんでしょうよ。罪悪感と食欲と関心と感心。心まで満腹になるんだから、ブランドってのはすごい! ってね」
……それは違うと思うけど。結局コヤツはそんなことが言いたくてわざわざ私を呼び出したのだろうか。「奢るから! ね!」とかいう言葉に乗った私も私だが。小さくため息をつきながら言葉を返す。
「それで? 人を食べてみたくなったわけ?」
「いやいや、そんなまさか。アタシがヒトであるうちは絶対にそんなことしないって」
「ヒトを辞めたらありうるのね」
「そりゃね。ヒトに戻りたい一心で食べるかもしれない。愛故に、って食べるところは……やっぱり想像できんかな。そっちは無さそう」
真は頷きながらそう言った。それからすぐに、何かを思い出したらしく、大袈裟に手を打つ。
「あぁ! そうそう。預かり物があんのよ」
「誰からよ」
そう問いかける私に「マグレちゃんから」と言いながら、真は隣に置いていた鞄を漁り始める。そして一通の封筒を取り出した。何の変哲もない茶封筒だ。味気も面白味もない。それだけで誰が差出人であるか察することができた。
「はい。これ。いい加減もう少し愛想よくしたら? マグレちゃんまだ怯えてたぜ?」
はあ。なるほどね。
それを片手で受け取って、鞄の内にしまいこむ。そしてまたその話か、とげんなりしてしまう。顔にも出ていたのだろう、真はわざとらしくヤレヤレと両手を上に挙げて首を横に振る。
「人嫌いも上手くとりつくろえば引っかかることもないのにさぁ。いつまでも面倒見てらんないぜ?」
「別に面倒を見て、とお願いした覚えはないけど」
冷たくそう返せば、真はこれまたふざけた様子で肩をすくめた。
「まぁまぁ。実のところ助かってるからそう言う程度におさめてんだろ? 素直じゃないんだからさぁ。最近はアレよ? 『
何それ。
「勝手に名乗ってんじゃないわよ」
「他称だよ」
そうですか。
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