第125話呉 その3

 諸葛瑾は孫権の代からの呉の重臣である。

 それだけに孫権に対し、人一倍の尊敬の念を持っていた。


 しかし周瑜との問題があってから、確実に孫権は『猜疑の塊』と化してしまった。

 さらに孫呉の君臣の仲を裂くような流言が国中に流れている。


――こんなときこそ、主君を支えなければ!


 その諸葛瑾の思いは空回りし、孫権は猜疑の眼を彼にも向け始めた。

 三国志を知っている方にかみ砕いて言うと、孫権は50年後の晩年の孫権になり果ててしまった。


 そして龐統、呂蒙、陸遜などは呉を孫権を見限って荊州へ向けて逐電してしまった。

 孫権を支持するものも次々と粛清されている(これは黄忠・魏延の仕業なのだが)。

 さらに疫病ペストが流行り、呉は人の住むところではなくなっている。


 諸葛瑾は考える。


――もはや呉の命運はすでに尽きてしまっているのでは?、と。


 しかし荊州に向かうにしても、劉玄徳にはすでに弟の孔明が仕えている。

 ならば劉玄徳ではなく、その息子・劉嗣徳に使えるのであれば弟の後塵を拝すこともないのでは?


 一応、諸葛瑾は弟に『劉嗣徳とはどんな人物か』と手紙のやり取りを開始する。

 無論、孔明は主君の嫡子を褒める。

 そしてそれとなく呉を見限り、劉操に就くことを進めてくる。


 そんな折に、手紙のやりとりをしていた使者が孫権に捕まり、激怒した孫権は諸葛瑾を牢に繋ぎ処刑しようとする。

 処刑の前日に諸葛瑾は仲間によって助けられ、痛められた身体を引きずりながら一族を連れて荊州へ向かって、真の主・劉嗣徳への元へと大脱走を開始した。


 しかし孫権の追撃が目前に迫る。

 それを防いだのは交友関係はなかった甘寧の軍勢であった。


 甘寧は孫権に対し、膨大な恩義がある。

 しかし呂蒙の置手紙もあり、忠臣が粛清され、重臣が脱走を開始し、周りは獄吏だけのYESマンと化した孫権をもはや見限っていた。




『あの諸葛瑾と甘寧でさえ主君を、孫権を見限るのか!』


 呉は内部崩壊を開始し、有能であるものは有能であるがゆえに用いられなくなり、孫権の独裁と化していった。

 呉は豪族の連立政権である。

 ここで呉は豪族という存在がなくなり、言い方によっては孫家の独裁国家へと変貌した。

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