第116話二人の距離の概算 その5
弓腰姫こと孫尚香は孫権の前に参上した。
「兄上、何かわらわにご用がおありですか」
「うむ」
孫権は言い出しにくい。
この計は、妹の幸せを奪うことを前提にしているからだ。
「そなた、劉玄徳どのに嫁いでみる気はないか」
「玄徳さまの?」
「そうだ、そして盛大に結婚式をこの呉で行う。劉玄徳は50を越えているが、一世の英雄だ。そなたの相手としては申し分ないだろう」
「そしてその場で劉玄徳さまを殺すのでありましょう」
ホホホと孫尚香は笑った。
「小賢しい周瑜の考えそうな手です。でもあいにくですが、私にはすでに心を決めた、結婚の約束をした相手がおりまする」
「だ、だれだ。それは!?」
「劉玄徳さまの嫡子、劉嗣徳さまでございます」
「な、なにィ!」
その兄の驚きに、孫尚香は再び笑う。
「しかし、劉嗣徳どのはすでに正室を曹操の一族から貰っているというではないか。それに対し劉玄徳どのは、やもめになったと聴く。ううむ。ちょっと考えさせろ……」
孫権は頭の中をフル回転させる。
劉備は50歳でもう先は長くないであろう。対して自分は若い。
であれば、劉備の嫡子をここで殺す方が長い目で見れば呉のためになるのではないのだろうか……
「よし!では劉嗣徳どのとそなたの華燭の典をここ呉で行おう。それで良いか?」
「言質はとりました。その上で兄上はその毒牙を我が
兄の意志を見抜き、またもや孫尚香は笑う。
「結婚式というのは妻を夫の親族に紹介する妻の晴れ舞台でございます。であるからにしては、この結婚式もやはり荊州で行うのが吉とわらわは愚考いたします」
「ううむ……」
「そうでなければ、わらわが今まで磨いてきた武芸でこの世の最後に行うことは自分の首を落とすことになるでしょう」
孫権は目を見開いた。
あの武芸にしか興味がなかった妹を、ここまで夢中にさせる劉嗣徳という男を見誤っていたのではないか。
劉玄徳より厄介なのはその嫡子であったのか、と。
「ともかく結婚の許可が下り次第、わらわは単身荊州へ向かいます。もはや兄上にも周瑜にもわらわを止めることはできませぬ。もし邪魔をするというのであれば、この場で兄上を討ち、わらわも自害するまで……」
孫尚香は佩びている刀の柄に手をかけて孫権を脅した。
孫権も反射的に刀を抜こうとしたが、ハッキリ言ってこの妹に勝てる気がしない。
「わかった……許そう。荊州に向けて使者を出す。せいぜい嗣徳どのに奉仕して、孫家・劉家のきずなを深めて参れ。私の最後の命令だ!」
パアッと孫尚香の顔が明るくなる。そしてうれし涙を流し始めた。
「兄上、最後のわがままを叶えて下さり感謝いたします」
孫尚香の磨いてきた武芸は、いつの間にか孫権を越えていた。
その意味では彼女が行ってきたことは自ら言うように無駄ではなかったのかもしれない。
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