第77話伝国の玉璽

 結局、孫策は玉璽ぎょくじ袁術えんじゅつに渡すことを決めた。

 名を捨て、実を取ったのである。


 玉璽は簡単に言うと皇帝専用のハンコである。

 しかしながら秦の始皇帝から伝えられた権力の象徴であり、そしてまた皇帝の身分を証明するものでもある。

『受命于天既壽永昌』と刻まれており、『天命を受け、ますます栄えるであろう』という意味である。


 日本でいう天叢雲剣あめのむらくものつるぎ八咫鏡やたのかがみ八尺瓊勾玉やさかにのまがたまのような三種の神器をひとつで兼ね備えている存在なのである。

 隋、唐へと受け継がれるが、五代十国時代の946年に後晋の出帝が遼の太宗に捕らえられた時に紛失した。

 逆を言うと、秦の時代からその後1200年もの間、皇帝の権威の象徴であったと言える。

 そしてオリジナルが紛失するとコピーが作られ清の時代まで使われたのである。


「なに、孫堅の兵を返して欲しいじゃと……」

「はい」

「それでどうするつもりじゃ」

「叔父の呉景ごけい丹陽たんようの地を追われています。それを助けたく存じます」

「ふむ、その気持ちはよくわかるが、けいの若さで兵法をしっておるのかね?」

 袁術にとって孫堅の残していった兵は精鋭であり、孫策に返す気は毛頭ないのである。


「もしお聞き届いただけるなら代わりに玉璽をおあずけいたします」

「なにィ!」

 孫策の父である孫堅は董卓が焼け野原とした漢王朝の当時の首都・洛陽らくようの井戸において玉璽を発見した。

 事実であるとすれば、漢王朝に忠誠の厚い勤皇の士であった孫堅が皇帝に返還せずに玉璽を隠し持っていたとは考えにくい。

 しかしこの説をとらないと話が進まないので、孫堅はやはり玉璽を持っていたという説をとることになる。

 ちなみに洛陽の洛から転じて、日本でも京の都に登ることを上洛というようになる。


「今、何と言った!」

「伝国の玉璽を袁公路さまにおあずけすると言ったのです」

「するとやはり洛陽の井戸から孫堅が玉璽を持ち帰ったというのは本当であったか!」

「はっ、ここにありまする」

「見せろ!」

 そこには確かに『受命于天既壽永昌』と刻まれた印があった。


「ま、まさしく玉璽である。これを持つものが天命を受けて皇帝となるのだ!」

「お聞き届くださりますか」

「おお、叶えよう叶えよう!」

 袁術の興奮は収まらない。

「兵3000、そして馬500匹を卿に貸し与える!」

「ありがたき幸せに存じます」




 元々父の兵であったのを『貸す』というのが気に入らなかったが、孫策は深く頭を下げ、そして拱手した。

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