第六章 孫呉、江東立志編

第75話美貌の義兄弟

 ときは未だ袁術えんじゅつが健在していて、まだ皇帝を名乗ってないときにさかのぼる。

 淮南わいなんに二人の美貌びぼうを持つ青年が居た。


 ひとりは孫策そんさくあざな伯符はくふという。

 彼は暴虐の限りを尽くした董卓を一時は追い詰めた孫堅そんけん(息子の孫権と読み方が日本語だと同じため『パパそんけん』『かたいほうのそんけん』とよばれる)の長男である。


 孫堅は実は袁術配下の一武将であった。

 孫堅は袁術から劉表を攻めることを命じられ、孫堅はそれを機に独立しようとしたのだが、流れ矢に当たったとも、敵が落としてきた岩や丸太に当たったとも言われ、一時代を築いた英雄としてはあっけない最期を遂げた。

 それから孫策は袁術の下に身を寄せている。


 彼は誰もが認める超絶的な美丈夫イケメンであった。

 だが自分より賢いものや立場が上の者・同様の者にはへりくだり、自分より愚かだと思った者、立場が下の者、逆らうものには容赦がなかった。

『自分より下の』人々には合わせようとしない、意見を全く聴かない、痛みがわからない坊ちゃま気質でもある。

 周囲が格下だと思ってしまう名門の血筋からくるプライドの高さが彼にもあった。

 よって立場が同じ、もしくはそれ以上の者には評判が非常によく、下からは異常に嫌われていた。




 いまひとりを周瑜しゅうゆ、字を公瑾こうきんという。

 彼もまた孫策に並ぶ美丈夫イケメンであった。

 そしてそれを自覚していたため『美周郎びしゅうろう』(美しい周家の若者)と自ら名乗った。これに眉をひそめない者はいなかった。


 そして彼は音楽にも堪能であった。

 誰かがちく(琴の一種)を引いていて音階を間違える者がいると彼は必ず振り返って睨みつけた。

 それは毎回、毎日の日常茶飯事であったので、いつの日か『周公瑾は人の失敗にいちいち目くじらを立てる。傲岸不遜ごうがんふそんであり傍若無人ぼうじゃくぶじんだ。結局は彼には大事を成せぬであろう』と人々は噂し、評判が悪かった。




 いつしか二人は二人以外に評価するものがなくなり、そのため彼ら二人は異様に仲が良くなった。

 それはいつしか『断金だんきんの交わり』(金属を断ち切ることができるほどに固く結ばれた絆)と呼ばれるようになった。


 そして彼らは大喬だいきょう小喬しょうきょうという二人の評判の美貌を持つ姉妹をそれぞれ娶ることとなり、実際に義兄弟となった。

 人々は彼ら二人を『あの美人姉妹を娶るなんて、なんという果報者だ!』とはやし立てたが、二人は

「彼女ら姉妹は果報者だ。なんといっても我ら二人を婿にできるのだから!」

 と逆に豪語した。


 これには人々も憤慨し、『父である橋公きょうこうも橋公だ。よりにもよってあの二人にあんな美人を嫁がせるなんて』と矛先は舅にもむかい、二人はますます孤立した。

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