第9話まだ父の部下だった頃の陳羣
「おかえりなさいませ、玄徳さま」
「うむ、羣。出迎えご苦労」
出迎えたのは
これまた名族である陳家を代表する人物である。
ついでにいうと魏の功臣中の功臣であり、九品官人法というものを制定し、その後の貴族階級の原型を形成させるといったちょっと困ったちゃんである。
しかし荀彧の死後『魏を取り仕切っていたのは陳羣である』と言っても差し支えないほどの人物でもある。
劉操が劉備の跡継ぎであるなら、ここで手放してはいけない人材であることは確かだ。
「羣、もしかして今回のことで父上を見放したのではあるまいな」
ギクッ、と図星を突かれたような陳羣は、
「ま、まさか。徐州は
陳羣の目がクロールで世界新記録を出そうとしている。
図星という星が実際にあるなら、マントルを越えて中心核まで突かれていたんだろう。
思っていたことを自分で全部言っちゃってるよ、この人。
「本当か?羣、そなたの目はとても泳いでおるぞ」
「いや、これは私が真面目な話をするときの一種の手習いというか癖でして……」
「操よ、羣が困っておるではないか。羣もともに天を頂こうと誓った身なのだ、羣がわしを見放すわけがあるまい。のう羣」
「は、はいー」
これで陳羣が劉備のもとから去るというフラグは一応回避できたのだろうか。
陳羣はこの時代の知識人の例に漏れず儒者のはしくれでもある。
儒教というのは天下の騒乱を治めるのにははっきりいって無用の長物である。
衣食足りて礼節を知るの言葉どおり机上の空論である。
世が平定されてからこそ発揮をするものである。
少なくともある程度の地盤がなければ採用されない諸子百家のひとつである。
前漢の高祖・劉邦が宮廷内のあまりの乱雑さに辟易していたところ、儒教を採用すると皆がピシっと引き締まり『俺はこんなに偉かったのか』と言ったエピソードがある。
陳羣はどちらかというと文官で内政向きであり、本拠地を転々とする劉備についていかなかったというのは適性として正しい。
ただ荊州・益州を手に入れたあとの劉備にとってこれほどありがたい存在は少ないであろう。
諸葛亮の片腕として、もしくは諸葛亮すら上回る存在として蜀漢を支えてくれる存在になったに違いない。
「でも、最近病気がちでちょっと休もうかなあとなどと思っておりまして……」
しかし本人にはその気がなさそうなのが一番の問題である。
「だめだ。仮病というのはわかっておる」
劉操はきびしく申し付けた。
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