第6話 貸出中

刃璃はり様、露草つゆくさはどのようにしてここに来たのですか?」


 ずっと黙っていた夕凪ゆうなぎが尋ねた。


「刃璃様の力だろ」


 かねが適当に言ってため息を吐く。


「我は何もしていない。占を行っただけだ」


 刃璃が首を横に振って否定すると、矩と夕凪は顔を見合わせた。


朝凪あさなぎでもないって言ってたし……だったら誰?」


 この答えは露草自身が知っていた。ついさっき知ったばかりだ。


「オレをこの世界に連れて来たのは桜の木だよ」

「は?」

「正確に言うと、桜の木に乗り移ってた樹氷じゅひょう。お前の兄貴」

「ウソ!」


 矩が叫んだ。目を見開いたその顔は、まだ青白い。


「ちょっと待って下さい。だって、樹氷は……その……」


 夕凪までもが普段の冷静さをどこかに忘れたように口を忙しく開閉させた。

 刃璃は何も口を挟まないで黙っている。


「死んだ、と言いたいのでしょう?」


 朝凪の言葉に矩と夕凪の表情が凍る。露草は息を呑んだ。

(やっぱりそういうことになってるんだ)


「……刃璃様! どういうことだ!」


 金縛りから解けた矩が、掴みかからんばかりの勢いで刃璃に迫った。刃璃は冷静な態度を崩すことなく彼女を正面から見据えた。


「確かに樹氷は死んだということになっている。だが、矩、お前は樹氷が死んだ時の姿を見たのか? 息をしていない、魂の抜けた樹氷の身体を見たのか?」


「ちょっと待て! お前何言ってんだ! 兄ちゃんが死んだってあたしや皆に言ったのは刃璃様だろ!」


 矩が刃璃の肩を強い力で掴み揺する。刃璃は矩から視線を外さず、されるがままだった。

 夕凪は呆然としたまま突っ立ち、露草もただ見ているしかできない。


「そうだな、お前たちに知らせたのは我に他ならない。だが、正しい事実を述べると樹氷はまだ生きている。今も、見えないが存在している」

「!?」


 矩の動きが止まる。彼女の視線は、刃璃の顔を凝視したまま固まっていた。


「それは、どういうことですか」


 夕凪が一歩前に出て、露草の隣に並んだ。


「樹氷自身が、自分は死んだことにしようと言ったんだ」

「なぜです?」

「全て、露草をこの世界へ連れてくるための準備だ」

「……オレの?」


 ふいに露草の頭の中が真っ白になる。


「この世界の均衡を保つために必要なことだった。露草をこの世界に連れて来るには、こちらの世界の誰かと重ならざるを得なかった。つまり、今ここにいる露草は、樹氷の身体を借りて存在しているということだ。」


 

『これからは、お前が俺で、俺がお前だ』

『俺の身体は今貸出中だから』



 樹氷の言葉が耳に蘇る。露草はやっとその意味を理解した。

(樹氷の言った身体を貸出中ってのは、オレにってことか……)

 刃璃の補足では、正確には樹氷本人の身体ではなく、「身体の元」になる何からしい。それを元に、露草の身体が構築されてこの世界に存在できていると言う。

(……矩や夕凪はきっとオレを見て樹氷を思い出していたんだろうな)

 彼女たちが露草を見て誰かに似ていると話していたが、それは樹氷のことだったのだろう。無意識にその「身体の元」である樹氷を感じ取っていたからかもしれない。


「身体は失ったが、中身――いわゆる魂は死んではいない」


 矩が刃璃の着物から手を離して俯いた。夕凪も目を伏せたまま黙っている。

 部屋の中に漂う空気が重い。


「念のために言っておくが、矩、夕凪」


 刃璃が静かに言葉を紡ぐ。呼ばれた二人はそろそろと顔を上げた。


「樹氷は露草がここへ来るのを楽しみにしていた。露草に自分の身体を貸すと言い出したのもあいつ自身だ」


 露草の胸の奥がきゅっと痛んだ。

 いくら勝手に連れて来られたとはいえ、露草がこの世界へ来たことで、樹氷は形としていなくなったのだ。どうしようもない苦しさが込み上げてくる。なぜだか、矩と夕凪に対して無性に申し訳ない気持ちで一杯になった。

 刃璃が、そんな露草を見て微笑んだ。


「もちろん露草が気に病む必要はない。むしろお前は巻き込まれただけだからな」


(それは分かってるけど……)

 苦しいものは苦しい。矩と夕凪の方を見ることができない。


「しかし、樹氷の死を知らせた時、我に対して、お前らは特に何も言って来なかったな」


 刃璃が矩の赤茶の頭をポンと叩いた。


「本当は信じてなかったんだろう?」


 矩が頭の上にある手を払いのけて、刃璃を睨み上げた。


「……当たり前だ。簡単に認められるわけないだろ、兄ちゃんが死んだなんて」

「やっとお前らしい言葉が聞けた。そう思っててくれたならありがたい。樹氷はお前たちにも死んだと思わせたかったようだが、我はそうでもなかったからな」


 矩の反応に満足そうな顔をした刃璃は、小さく笑った。


「樹氷の馬鹿」


 ボソリと、隣で夕凪が呟く声が聞こえた。露草は少し驚く。彼が、誰かに「馬鹿」と言うとは思わなかった。


「というわけだから、お前たちも露草のことは責めないでやってくれ。全て我らの勝手だ」


 矩と夕凪が同時に露草の方を見る。露草はまだ居心地が悪く視線を逸らした。

 自分が悪くないと頭では分かっているが、それでもまだ気が重い。


「さて、露草。お前には城に部屋を用意した。今日からはここに住め」


 刃璃が明るい顔になって話をガラリと変えた。


「え?」


 露草は気分を置いてきぼりにして、彼女の言葉にあ然とした。


「朝凪に案内させるから少し待て」


 刃璃が朝凪を側に呼び寄せ、何事かを話し始める。

 露草はぼんやりと考えた。

 どうやら、今日からこの広い城に部屋をもらって過ごすことになるらしい。この部屋に入るまでに見てきた迷路のような城の内部を思い出して、間違いなく迷子になるだろうなと妙な確信を得る。そもそも、城に住むということ自体に躊躇いがあり、しかもこれから先どれくらい自分はここにいるのだろうと不安になる。


「ああ、矩と夕凪もご苦労だったな。もう帰って良いぞ。協力してもらう時はこちらから連絡する。――ああ、もちろん樹氷の件は口外しないように」


 刃璃が矩と夕凪に手を振って、朝凪に見送るように言う。

 露草はその場にただ突っ立っていた。

 矩たちは今から、またあの彼女たち以外誰もいない家に帰って行くのだ。露草が一晩世話になった樹氷の部屋もまた誰もいなくなって、掃除以外は扉が閉じられたままなのだろう。

(そういえばオレの学生服まだ置きっ放しだっけ。取りに行かなきゃ……)

 彼女たちと次に顔を合わすのはいつになるだろう。いや、あんな話を聞いた後で、また露草に会ってくれるだろうか。


「では行きましょう」


 朝凪が先に立って扉を開ける。二人は行ってしまう。

 矩と夕凪は一瞬顔を見合わせたかと思うと、扉の方ではなく露草の方へスタスタと歩いて来た。


「え?」


 呆然とする露草の両腕をそれぞれ掴み、引っ張る。


「城下町で買い物して帰るぞ」

「今日のごはんは何にしましょうね」


 露草は混乱する頭で、扉の所まで半ば引きずられるように歩いた。


「矩、夕凪。我の話を聞いていなかったのか? 露草はこの城に住むのだぞ。どこへ連れて行く」


 刃璃が慌てたように矩の空いている方の手を掴んで引き留めた。矩は不思議そうな顔をして刃璃を見返した。


「何言ってんだよ。あたしらの家に決まってんだろ」

「矩……露草は樹氷ではないんだぞ?」

「そんなこと分かってるよ」

「しかし、重ねているから連れて帰りたいのだろう?」

「違う」


 矩はため息を吐いて、刃璃の手を振り解いた。両手で露草の左腕をぐっと掴む。


「あたしたちは『露草』を連れて帰るんだ。な、夕凪?」

「はい」


 右隣から、はっきりとした返事がする。


「露草は、あたしたちと暮らすのは嫌か?」


 矩が露草の目を覗き込んで聞く。

 彼女たちはただ、急に現れた露草を一晩泊め、食事や寝床の面倒を見てくれただけに過ぎない。しかもよりによって家族の樹氷がいなくなる原因になった露草を。

 しかし矩は、露草に一緒に暮らそうと言ってくれている。

 先程彼女は、樹氷ではなく露草を連れて帰ると言ったが、これから一緒に暮らしていく中で辛くならないだろうか。露草はまだ気が引けて仕方ない。


「露草」


 矩がもう一度名前を呼ぶ。彼女の髪と同じ色をした赤い瞳が露草を捉える。


「……嫌じゃない。その方が良い」

「だよな!」


 矩がにっかり笑い、夕凪が微笑む。そんな二人を見て、露草の中から不安な気持ちが消えていく。


「だってよ、刃璃様」


 勝ち誇ったような物言いの矩に、刃璃がため息を吐いて肩を竦めた。


「お前の側にいるよりはまだ城の方がマシだと思ったが、露草が望むなら仕方ない」


 刃璃が露草に向かって苦笑した。


「何かあればいつでも連絡しろ。こちらからも何かあれば伝えるようにする」

「……うん」

「じゃ、失礼しまーす!」


 満足そうな顔の矩に引っ張られるがまま、露草はその部屋を後にした。

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