第5話 若き統治者

 露草つゆくさ夕凪ゆうなぎに支えられながら立ち上がると、かねの後に続いて城の中へと入った。

 入ってすぐに吹き抜けの広いホールがあり、左右と中央に二階へと続く階段があるのが見えた。


「こちらです」


 朝凪あさなぎは右端の階段を上って行く。


「露草、こっち」


 キョロキョロと周りを見回していた露草を矩の声が誘導する。


「ここで迷子になったら最悪三日は出られないぞ」

「ウソだろ?」


 矩の言葉に笑った露草だが、進むほどにそれが嘘には思えなくなってきた。階段を上ってすぐ右の通路を真っ直ぐに行き、突き当りを左に曲がって、また階段を上る。その後も似たようなことを何回か繰り返した。


「さっきから同じ道ばっか通ってない? ていうか今何階?」


 不安になって夕凪に耳打ちすると、

「一応統治者様の城ですからね」

 彼は苦笑いで答えた。


「こちらです」


 ようやく先頭を歩いていた朝凪が立ち止まり、目の前にある重厚な扉をノックした。


刃璃はり様、連れて参りました」

「入れ」


 部屋の中から、微かな声が聞こえた。

 朝凪が扉を開き、露草たちを中に入れると後ろ手で扉を閉めた。

 薄暗かった部屋に明かりが点く。絨毯が敷き詰められた広い部屋の中央に大きなテーブルがあり、皮張りの椅子の一つに少女が座っていた。

 青色の着物に、水色の長い髪を高い位置で一つに結った少女は、キリッとした中にどこか幼さを残した顔立ちをしていた。


「よく来たな、紀伊露草きい つゆくさ


 立ち上がると、より細い線が目立つ。しかし綺麗な佇まいは、どこか凛として謎の迫力があった。

 少女は露草の前まで来ると微笑んだ。背は露草とあまり変わらない。


「我が雲世界の現統治者の刃璃はりだ」


 露草はただ呆然と目の前の少女を見つめた。

(こいつが……統治者?)

 想像していた統治者像と違う。統治者と言う小難しい言葉から想像していたのは、もっと強面で権力を振りかざしてそうな、老獪な男だと思っていた。だから露草はできれば統治者とは会いたくないとさえ思っていたのに。

 冗談ではないかとちらりと矩と夕凪を見てみるが、彼女たちは平然としている。つまり、この少女が統治者で間違いないらしい。

(何だこれ。てかこんな少女が統治者ってこの世界大丈夫なのか)


「あの……失礼ですが、おいくつですか」


 もしかしたらよっぽど若く見えるだけかもしれないと思いながら訊いてみる。


「我はお前や矩と同じ年の頃だぞ。十五になる」

「え」


 露草は今度こそ絶句した。なぜか隣では矩も驚いたような顔をしている。


「露草ってあたしより年下だと思ってた!」

「……オレだってお前の方が年下だと思ってたよ」


 露草は反射的に言い返して、すぐに刃璃に向き直る。いや、そんなことを言いたいのではない。


「本当にお前が統治者なのか?」


 同年と知ったせいか敬語が吹っ飛んだがそんなことは気にならなかった。


「そうだ」


 刃璃の言葉は揺るがなかった。露草はため息を吐きそうになるのを堪えた。

(この世界、どうなってんの……?)


「で、刃璃様。そろそろ露草がここに来たわけを話してくれてもいいんじゃないのか」


 露草の代わりに本題を切りだしたのは矩だった。刃璃はちらと矩を見て、小さく頷く。


「そうだな。矩も夕凪も一緒に聞いて行け」

「当たり前だ。そのために来たんだから」


 矩が肩を竦め偉そうに言う。その様子を見て、露草はふと不思議に思った。

(矩、統治者に対して態度でかくね?)

 そういえば「気に入らない」とも言っていなかったか。しかしそんな露草の心配など刃璃は気にしていないようで、真剣な眼差しで露草の方に向き直った。


「お前は選ばれたのだ。この世界を変える者として」


 どこかで聞いたようなセリフだな、と思った。ああそうだ、よく小説や漫画などで見たセリフだ。しかしなぜ今露草は、そんなセリフを言われる立場になっているのだろう。


「……全く意味が分からないんですが」


 冗談だろうと笑い飛ばしたい気持ちではあるが、目の前にいる真剣な眼差しを見ているとそうもできるわけがない。

 何より、周りにいる矩と夕凪も真剣な顔を崩さないのだ。

 刃璃が張り詰めた空気を少し和らげるように、息を吐いた。


「……いきなりそんなことを言われてもびっくりするよな。そうだな、まずはこの世界の話をしよう」


 露草は眉を潜めながらも、とりあえず頷いた。

 正直、全く知らない場所に来ているという自覚はあるが、異世界にいるという実感はあまりない。というのも目が覚めて出会ったのは人間で、言語も通じ、食事も風呂も寝床も全く今までの露草の生活環境と違和感なかったからである。

 今のところ、全く違う言語を操る生物と出会ったり、全く違う文化に遭遇したりといったことはない。

(まあ和風かと思えば洋風とか、その逆とか、謎のレトロ感とか色々入り混じって面白いなあとは思うけど……)

 刃璃が一つ息を吐く。


「この世界は、約五千年くらい前に魔力を持った者たちが創ったと言われている。名の通り、雲の上にできた世界だ。まあ、正確には雲のような見かけの何物か、だが」


 アバウトな説明に、露草も適当に頷いておくことにした。


「魔力って、魔法を使う元になる力のこと?」


 尋ねると、刃璃は頷いた。


「そうだ。魔力を持つ者は稀な存在として、現世界にも数人は存在する。我もまたその一人だ。そして、主にこの世界を創り統治してきた者の子孫にあたる」


 露草の頭の中は忙しく回転していたが、彼女の話を理解するにはもう少し時間がかかるかもしれない。そもそも、別の世界を創造するだの魔力だのと言ったこと自体が今までの生活とはかけ離れすぎていて、脳が現実のこととして簡単には受け入れてくれないのだ。

 この世界に来て初めてのカルチャーショックかもしれない。


「一年、いや、二年くらい前からだろうか。この世界にある『桜』が消滅し始めて、この世界にかかっている魔術も弱まって来た」


 この世界にも桜があったんだった、と思いながら「何が起こったんだ?」と聞く。


「雲世界ができてから暫く、我の祖先たちを含む創造者たちの意見が分かれて対立したらしい。この限られた雲世界で生活して行こうとしたのが我らの祖先。もう一つは、この雲世界を拠点にさらに周りに新たな世界を創造し、拡大しようとした者たち」

「別に力があるならいくら創ったっていいんじゃないのか? 広くなるんだし」

「この世界は微妙な均衡を保って存在しているという。新たに創造することは、そのギリギリの均衡を壊すことに他ならない。我らの祖先と対立した者は、自分らの力を過信したのだろうな」

「はあ、そういうもんなのか」


 ここまで説明されても相変わらず理解は追いつかない。そもそも世界を創造するだの拡大するだの、露草には計り知れないことばかりだ。


「まあそんなことがあって争いが起きてな、結局は我の祖先が勝ったのだが、相手のやつらが死ぬ間際にある魔術を施していった。定期的に封印の確認と修正は行うようになっているが、それがつい最近になって急速に綻び始めているようだ」


 それが、この世界の桜の消滅とどう関係があるのだろうか。


「ここの桜はみな封印のための桜だ。それゆえ、桜が消滅すると封印が解け、この世界全体にかけられた魔術も弱まって行く。このまま行くと――」


 その先は、聞かなくても何となく想像できた。


「この世界は滅び、我らは死ぬ」

「……」


 死ぬ。まるでゲームの中で目的を聞く主人公のような気分なのに、その言葉は露草の胸を詰まらせた。

 ちらと視線を横に向けると、矩が青白い顔で刃璃を睨んでいた。身体の横で握り込んだ拳が微かに震えている。


「――そんな時、我の水晶の占にお前が現れた。お前、紀伊露草なら、この世界を変えられると」


 露草は何と言っていいのか分からず唇をかんで刃璃を見つめた。

 突然別の世界に連れて来られて、その世界が滅亡の危機に瀕していて、自分が救世主として呼ばれた? 本当に小説やゲームの中の主人公のようではないか。


「……オレに何をしろと? 何もできないぞ」


 魔力も何の力ももたない露草が、一体どのようにしてこの世界を変えようというのだ。

(それとも今から魔術修業でもさせられんのか?)

 みっちり修業のカリキュラムが整えられていて、レベルアップしていくようになっているのだろうか。その暁には露草も立派な魔術師とやらになっていたりして。


「お前が何をしてくれるのかは、我にも分からん」


 刃璃がきっぱりと言った。


「は?」

「しかし、残された道はもう無いのだ。お前をこの世界に連れて来ることで変わるものがあると信じるしかない」


 まさに藁にもすがる思い、という感じだった。が、肝心の藁である露草は、実際藁より使えないような気がする。ここに来てから、飯も風呂も服も寝床も恵んでもらってばかりだ。返せたものはかろうじて皿洗いや簡単な家事を手伝ったくらいだった。我ながら、使えない。


「これからどうなるか、正直に言って分からない。しかし、できれば我らに協力してもらいたい」


 刃璃は相変わらず真剣な表情で言う。そんな顔を見て、断れるわけがないと露草は思った。


「……そのためにオレはわざわざ呼ばれたんだろ」


 彼女は、言葉では下手に出て伺いを立てているようで、実際その態度はどこか強制的だ。

(てかここで断って無事に帰らせてくれる保証もないし、このまま帰っても悪夢にうなされそう)

 まだ夢現な気分は拭えないが、露草は彼女の話を聞いてしまったのだ。


「言っておくけど、オレは何もできないぞ。それでも怒らないってんならまあ、協力ぐらいはする」

「ひとまずこの世界に留まってくれるなら十分だ」


 刃璃は少しほっとしたように眉を開いて頷いた。零れた笑みに、年相応の少女の顔が現れた。

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