《1ー6号室ー忘却少女と雀の悲劇 》

 最初の記憶はなんだったか。確か、幼稚園とかそのくらいだったような気がするけど、あまり覚えていないので省くことにする。

 自分が知っている確かな記憶は、小学生の頃だ。

 私はクラスでは目立つ方では無かった。これは今も変わらないけれど、友達がいないという訳でもない。普通だ。

 誘われたら一緒に遊ぶし、そうでなければ自分の席で本を読んでたり、絵を描いたりしているような普通の子だった。

 この時の夢は何だったか。女の子らしくケーキ屋さんになりたかったかもしれない。もう覚えてはいない。

 中学校に入ってからも生活は変わらなかった。部活が強制入部じゃなかったのが幸いしたのか、災いしたのか、驚くほど生活は変わらなかった。

 新しい友達は出来たけど、高校に入ったら疎遠になってしまった。小学校の時の友人も同じだ。

 中学二年生になると受験という言葉が襲いかかってきた。嫌だった。

 元々頭は良い方では無い。中の中くらいだ。

 行きたい学校も、将来の目標もない私は、高校選びに苦労した。手の届く場所はそれなりに多かったけど、やりたい事がなかったからだ。将来の夢とか進路を書けと言われ、私はかなり苦労した。

 中学三年になり、私はやっと進路を決めた。

 誰も、私を知らない場所に行こう。

 思春期真っ只中だった私は、普通すぎる自分を変えたかったから、知り合いが誰もいない高校を目指した。そうなると、必然的に自分の生活圏から離れた場所になる。当てはまる条件が、今よりもレベルの高い場所になった。

 私は勉強した。

 先生からしたら、中学三年で受験校に向けて勉強をするのは遅いらしいが、案外すんなり点数は取れた。この時が一番頭のいい時期だったと思う。

 問題は面接だった。まさか『自分の事を誰も知らない場所に行きたくて受験した』とは言えないため、何かそれっぽい理由をつけて誤魔化した。その結果、無事に志望校に入ることが出来た。

 高校に入学してから、私は自分を変えた。

 動画でファッションの勉強をして、オシャレな子達が行くような店を調べたり、話題を探したり…。

 いろんなことをやって、私は自分を変えることが出来た。友達もできた。

 休日は友達と服を買いに行ったり、カラオケに行ったり、昔は出来なかったこと、やろうと思わなかったことをするようになった。

 まぁ、お金の問題はあったけど…。バイトをするようにもなった。

 高校一年は楽しかった。なりたい自分に慣れたし、色々新しいことにもついていけた。 でも、本当は分かっていた。どこか、虚しく思っている事を。

 高校二年になり、またしても進路を決めろと言われた。

 正直、見た目は変わっても中身は中学生の時から何も変わっていないため、進路と言われても困った。周りの友人に聞いたら、『卒業したら適当な場所に就職する』とか、『家の仕事を手伝う』というようなことを言われた。中には将来の結婚したい相手の理想像を持っている友人もいて、私は何処と無く疎外感を感じていた。彼女たちは互いに共感し合えるけど、私にはそれがどうしても出来なくて、住む世界が違うんだと思った。それがとても苦しかった。

 きっかけは忘れてしまったけど、高校三年になり、私は大学へ進学することにした。勉強漬けの日々だったことを覚えている。

 友達とはあまり遊べなくなってしまったけど、皆んな私が合格できるようにと応援してくれた。

 私には勿体ないくらい良い友達だった。

 大学に合格した時も、皆は『おめでとう』と言ってくれた。素直に嬉しかったけど、自分の中での蟠りは残ったままだった。

 私は友人たちに本当の自分というものを見せずに卒業してしまった。それが他人を騙しているようで、ずっと罪悪感を覚えていたからだ。

 結局、私は全部が中途半端なのだと思う。

 自分を変えたくて、誰も自分を知らない場所に行っても、本当に変えられた事なんて何一つ無かった。ずっと壁や温度差を感じ続けて、卒業する瞬間まで友達に罪悪感を覚えていたからだ。

 それでも今更辞められない。普通な自分が嫌なら、中途半端でも演じるしかない。

そうして大学でも二年間やってきて、今はここにいる。


「これが、私の人生の全てです…」


 これまでの人生を話し終えた後、幽世方は何も言わずに腕を組んだ。

 そのまま、互いの間で沈黙が流れる。

 私は彼と目を合わせるのが少し怖くてなるべく視線を外していたが、話したら話したで気持ちがスッキリしたのでお茶を飲む余裕が出来た。

 そーっとカップに手を伸ばし、一口飲む。中身はすっかり冷め切っていたが、気にはならなかった。

 次に、ひのくに堂の箱が目に入る。今朝から何も食べていないので、お腹が減っている。朝ごはんの代わりにはならないかもしれないが、昼食前の空腹を紛らわすには丁度いいだろう。


「あ、あの!」


「ん?あぁ、すまん。考え事をしていた。どうかしたか?」


 至って普通に彼は返事をしてくれた。

 その様子を見て、少しだけホッとした。


「それ、食べてもいいですか…?」


 私が指を差した場所に、幽世方は視線を向ける。

 彼は無言で箱をこちらに寄せた。

 箱は上部が持ち手と蓋の代わりになっており、鉤爪状の返しを箱の両端に付いている留め具部分に通すことによって固定する、よくある組み立てタイプだ。慎重に固定されている部分を外すと、中にはお菓子が六つ入っていた。

 洋菓子はショートケーキやモンブランにチョコケーキ。和菓子だと個包装された。ピンク色のお饅頭とカステラ。そして、恐らく抹茶味であろう緑色の粉が掛かったタルト。和洋折衷とはまさにこの事だろう。

 どれもこれも美味しそうで、正直全部食べてみたいが、とりあえず食べるのは一個にしておこう。

 なら、どれを食べようかと悩みが生まれる。

 王道のショートケーキやチョコケーキだろうか。いや、ご飯前なので、あまり甘味が強くないのがいいかもしれない。それなら、モンブランかな?あぁ、でもお茶もあるから、カステラかお饅頭の方がいいかもしれない。

 そこで一つ考えが浮かぶ。

 そういえば、タルトって食べた事ないな。

 私の答えは決まった。タルトにしよう。

 箱の中にきっちり収められたタルトを慎重に手に取り、皿に乗せて型崩れを防ぐための包装を外す。


「いただきます」


 小さく手を合わせて呟く。

 チラリと幽世方の様子を見るが、まだ何か考え事をしているようだった。

 フォークの峰でタルトを小さく切り取り、口に運ぶ。サクサクとしたタルト生地が滑らかなチョコレートと絡み合い、甘さを抹茶の渋みが包み込む。チョコレートのほろ苦さが口の中に広がり、それをお茶で流し込む。後味はくどくなく、お茶の風味が引き立つ絶妙な具合に、思わず笑みがこぼれた。


「どうだ。美味いか?」


 幽世方が訊いて来る。


「ものすごく美味しいです」


 口元を手で隠しながら、私は答えた。

 アデルさんの作るデザートも美味しいが、やはり店の物は店のもので別の美味しさがある。それを言語化する語彙力を、私は持っていないけど…。


「少し食べますか?」


「いや、大丈夫だ」


 真顔で断られた。

 やはり何を考えているか分からない。それが少しだけイラッとする。

 いつもズケズケと言ってくるんだから、今もそれくらい会話してくれればいいのに。

 心の中で不満を言いながら食べていると、思っていることが通じたのか、今度は向こうから話を振られる。


「そう言えば他にも聞きたいことがあったな」


「聞きたいことって、なんですか?」


「部屋が過ごしやすいかどうか、だ」


 そう言われて少し考える。

 『部屋』というよりは、この建物全体が住みにくい空間だと思うけど、今はすっかり慣れてしまった。無限に続く廊下を歩き続けたり、扉だらけの迷路みたいな空間に迷い込まない分、上下の空間が逆さになるくらいしか起こらない部屋は過ごしやすいと言えるかもしれない。


「別に普通だと思いますけど」


 この答え方もだいぶ感覚が麻痺していると自分でも思う。


「そうか。ちなみにここら辺の部屋は私よりも前の支配人が作ったらしい。とは言っても、中に家具を配置しただけのようだが」


「そんなんですか」


 改めて部屋の中を見回して答える。


「素敵な部屋だと思いますよ」


 置いてある家具はアンティーク調の物ばかりで、あまり馴染みは無いけれど、素直な感想を述べた。


「他にも部屋はあるんですか?」


「もちろんだ。客に満足してもらう、という方針らしくてな。完全に、とはいかんが、要望があれば、なるべくその客に馴染みのある部屋を提供している。別の部屋にしたかったら、ジョセフィーヌに希望を出すといい」


 和室、洋室、森林、草原、海岸、深海、洞窟、熱帯、砂漠、雪原…。

 おおよそ部屋の種類とは思えない単語ばかり並べられるが、本当にあるのだろう。


「ちなみにだが、人手が足りないからやっていないだけで、部屋の装飾の要望は常に来ている。溜まりに溜まってジョセフィーヌがやっているような状況だ」


「えっ、これを一人でですか!?」


 ジョセフィーヌさんだと家具一つ運ぶのも大変だろう。それをこの数ともなると…。一部屋終わるのにどれだけの時間がかかるのだろう。

 それよりも、絶対いつか大きな事故が起こる。


「ルゥパーとか、アデルさんが手伝ったりは?」


「ルゥパーはあまり重いものは持たせられない。というか持てん。アデルはここの唯一のコックだ。稀になら手伝えるだろうが、忙しくて常には無理だ」


 確かにアデルさん以外のコックは見た事がない。ルゥパーも簡単な物しか持つことが出来なさそうだ。


「じゃあ、幽世方さんは手伝えないんですか?」


「いい質問だ。結論から言うと、それは私の仕事では無い。支配人とはあくまで裏で仕事を行うもの。客の顔色を伺うのはジョセフィーヌの仕事だ」


「それは違うんじゃ…」


「それも含めて、だ。伊坂 雀。仕事を手伝ってみないか?」


「えっ…?」


 思ってもいなかった言葉に、思わず声が出る。


「い、いや!無理無理ムリムリ!無理です!」


「何故だ?」


「なぜって、そんな急に言われたって、やったこと無いからですよ!」


「やったことがないから無理なのか?」


「そ、それは…」


 言葉につまる。

 やったことがないから無理、という訳ではない。自信が無いだけで、多分やれば出来る。でも、私は失敗が怖いんだ。だけど、このままじゃダメなことも分かっている…。

 頭の中で様々な思考が巡る。

 このまま立ち止まってちゃいけない。それに、幽世方はともかくとして、皆んな優しい人ばかりだ。

 多少恩返しのつもりで手伝うくらいは大丈夫…だと思う。

 悩んで、色んなことを考えて、私は答えを出した。


「あ、あんまり難しいことでなければ…手伝えるかと、思います…」


 少し迷った後に、ゆっくりと彼の顔を見る。


「…そうか。承知した」


 彼は変わらず真顔で答えた。

 でも、その声は…。


「では早速明日から始めよう。細かい事はやりながら説明する。時間は未定。明日の朝に迎えに来るから、それまで体を休めていろ」


 どこか少しだけ、嬉しそうな気がした。

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【異界神話体系幽世館 幽世方楓の備忘録】 @raguna397

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