《1ー5号室ー忘却少女と雀の悲劇 》
私には何も取り柄がない。
成績が良いわけでも運動が出来るわけでもない。背だって小さいしルックスも普通だ。
友達は…。それなりに居る方だとは思う。仲も良い方だと思っている。でも、みんな私なんかよりもキラキラしていた。オシャレだし、カワイイし、モテるし…。私はクラスでは地味な方だったから、たまに何となく疎外感を感じる時もあった。
そう感じる時も、そう感じている自分も嫌になる。だから私は、自分のモヤモヤとした気持ちを晴らしたい時は空を見ていた。空はいい。どこまでも澄み渡る青い色も、夕焼けが輝く茜色も、何もかもを塗りつぶした黒色も。どんな場所でもどんな天気でもどんな季節でも、私はどこまでも自由な空を見るのが好きだった。
そして私は考える。どうして飛べない私の名前は、雀なのかと…。
両親に名前の由来を聞いたことがあるが、何でも雀は縁起がいい生き物だからと言っていた。確か商売繁盛とか家内安全とか、そんな意味があった気がする。でも、飛べない私に雀という名前を付けるなんて酷いことだと思っていた。
私には何も取り柄がない。だけど時間は進んでいく。
高校二年で進路を考えて、でも夢も目標もなくて。言い訳のように受けた大学でも特に目標が無いまま過ごしている。
友達と一緒にいるのは楽しい。もちろん家族ともだ。でも、現実は苦しい。私は自分が何も出来ないと分かっているから、いつも逃げ出したい衝動に駆られていることを知っていた。
理由も無いのに泣きたい。誰かからの期待が怖い。頼りにされるのもされないのも嫌だ。不安でいっぱいだ。
そんな誰しもが抱える悩みが、私にとってはとてつもなく重かった。
別に誰かが私に生き方を強いているわけではない。自分で勝手に思い込んで、自分で勝手に潰されそうになっているだけだと分かっている。
だけど、そんな私に。
『雀はそのままでいいと思うよ』
誰かが手を差し伸べてくれた───。
「まって!」
夢の中の誰かの手を掴もうとして、私の体は反射的にベッドから飛び起きた。
動悸が激しく息も荒い。全身から汗が滲み出て、寝間着が肌に張り付いているのを感じた。
「夢、か…」
目を覚ましたことを実感するために、私はポツリと呟いた。
どこからか鳥の鳴き声が聞こえてくる。
今は何時だろう…。
時間を確認しようと辺りを見回すが、この部屋に時計はないようだ。
天井の隅に自分の荷物が入っているバッグが置かれているのを見つけた。確か携帯か腕時計が入っていたと思う。それを見れば今の時間が分かるのだけど、探すのもあそこまで行くのも億劫なので気にしないことにした。
部屋の中に鳥が飛び立つ影が映る。窓も無いのにどこから見えるのだろうか。
自分で思っていてなんだが、余計なことを考える余裕はあるようだ。
私はベッドから出ると汗ばんだ寝間着をそのままに、顔を洗うために洗面所へ向かった。
床に飾られた絵画を避けながら部屋の中を縦にぐるりと移動して、床に嵌められた扉を開けて器用に中へ飛び降りる。垂直に落ちた体は直ぐに重力によって正しい位置へと引っ張られ、私は床に足が着いたことを確認してから前屈の姿勢からゆっくりと立ち上がった。
目の前には鏡と洗面器が正しい向きで存在する。鏡に映っている自分の顔は酷いものであった。
「なんで私、泣いてるんだろ…?」
頬をつたって一粒の雫が流れ落ちる。
目の下には酷い隈が出来ていた。
悲しい気がするけど何故かは分からない。夢を見たからだろうか?夢の内容は…。
「…何も思い出せない……」
酷く目覚めの悪い夢だったような気がする。
落ち込んだ気持ちを切り替えるように、私は服を脱いで浴室へと入った。蛇口を捻るとシャワーのノズルヘッドから水が流れ出す。最初は手を触れるのも躊躇うような冷たさだったが、徐々に温度が上がり温水へと変わる。
一歩足を進め、私はそれを全身で受け止めた。
髪から顔に伝わり、全身に流れ落ちていく。
汗だけでなく、私の中にあった鬱屈とした気持ちも洗い流されていくような気がした。
「よし…。今日もきっと、いい日になる」
シャワーを止めた後、水滴で曇った鏡を手で拭い、濡れた顔を見ながら暗示をかけるように言う。指で無理矢理口角を上げ笑顔を作って気持ちを切り替えた。
笑うだけでも気分がだいぶ変わる。自分でも笑っている方がいいと思っている。
シャワーを浴びた後に歯を磨いたり着替えたりしていると、部屋の扉が叩かれる音が聞こえてきた。
誰だろうか?私を訪ねて来る人は限られているが、おそらくジョセフィーヌさんだろうか。
「はーい。今開けまーす」
ジョセフィーヌさんだとしたら何の用だろう。そういえば、この前美味しいお茶菓子と紅茶があるって言ってたから、きっとそれかもしれない。
朝からあんなに綺麗な顔と長い御御足が見れるのだ。やっぱり今日はいい日だ。
部屋の天井に足を踏み入れ、逆さに着いた扉を開けた先には、私が期待していた人物とは違う、丸眼鏡をかけた背の高い書生服姿の男が立っていた。
「おはよう伊坂 雀。さっそくだが話したいことがある。中に入れてくれ」
「嫌です。人違いです」
ドアを閉めて鍵をかける。
今日一日は運気が悪そうなので、部屋の中にいるとしよう。お腹が減ったらルームサービスを頼めばいい。それまで二度寝でもしようか。
扉を叩かれる音が聞こえてくるが、きっと気のせいだろう。そういえば具合が悪い気もするから幻聴が聞こえているのかもしれない。布団を被って早く寝よう。
「失礼する」
ガチャリという音の後に扉が開く音が聞こえる。
幽世方は、躊躇なく乙女の部屋の中に入ってきた。
「なっ、なん…。どうやって入って来たんですか!?」
「緊急性があると判断したのでマスターキーを使わせてもらった。安心しろ。違法な行為ではない」
行為までは違法ではないかもしれないが完全に事案である。いくら支配人とはいえ客の許可もなく部屋を開ける人間はそうそういないだろう。
私は抗議の意を込めて色々と言葉をぶつけるが、相変わらず幽世方は澄ました顔で聞いているのかいないのか分からないような態度をとる。
「まぁまて。貴様の言いたい事も分かるが、これはジョセフィーヌからの頼まれごとだ。貴様にこれを持っていけと言われてな」
幽世方はそう言うと、手に持っていた小さな箱を私の顔の前に突き出してきた。表面に文字が書かれた白い四角い厚紙製の箱には取っ手が付いており、良く見慣れた形の物を想像させる。
「これって…!」
「銘店と名高い『ひのくに堂』の茶菓子だ。これを貴様にやろうと思ってな」
ひのくに堂。スイーツ好きなら一度は名前を聞いたことがある。
確か江戸時代とかからやっている店だったはずだ。お団子や羊羹などの和菓子が有名で、最近では洋菓子に和を組み合わせた和風洋スイーツが話題になっていた。
「そ、それどうしたんですか?」
「ジョセフィーヌが貴様に食わせたいと言っていたのでな。私が持ってきた。感謝しろ」
相変わらずムカつく物言いだけど、今は目の前のスイーツを何としてでも食べたい。このホテルに来てからそれなりに経つけどしばらく日本食っぽいものを口にしてなかったからだ。
幽世方は嫌いだけどスイーツの誘惑には勝てない…。だが、素直に渡してくれるとも思えなかった。
「…欲しいって言ったら食べさせてくれるんですか?」
「あぁ、くれてやる。元々そのための物だからな。ただし条件がある」
私の予感は当たった。それと同時に私はジョセフィーヌさんを少し恨んだ。彼女が持ってきてたら何も問題はなくスイーツにありつけていただろう。
もちろん彼女は忙しい身であることは分かっている。なら、最初からスイーツの存在を知らない方がマシだったというものだ。それなのに、よりにもよって今は幽世方が手にしているのだ。どんな要求が来るか分かったもんじゃない。
「条件って、私に何かするつもりですか!?」
「何を勘違いしているか知らんが貴様に興味はない。いや、それも少し違うが、まぁいい」
幽世方はそう言いながら丸テーブルの上に箱を置くと、棚から食器を取り出し始めた。同じくテーブルの上にティーカップやポッド、皿やフォークが二つずつ置かれ、手馴れた手つきでお茶が用意される。
「貴様の分の茶だ。菓子は好きなのを食べろ」
予想外の言葉と行動に、私は少しだけ訝しんだ。
一体どういうつもりなのだろうか。今まで見てきた印象だと、彼は他人に気を使うような性格には思えなかった。やはり何か裏があるのではないかと勘ぐってしまう。
幽世方は椅子に体を落とすようにドカりと座る。それを見て私も、椅子の背もたれを軽く手で引いてから座り込んだ。
目の前にあるティーカップに入った薄緑色の液体が湯気を立てている。香りからするに緑茶か何かだろうか。
「どうした。食べないのか?それなら冷蔵庫にでも入れるといい。生菓子は傷みやすいからな」
「いやまぁ、食べますけど…。何しに来たんですか?何か目的があるんですよね?」
彼はティーカップを傾けて一口飲み、何かを考えるような素振りを見せた後に口を開いた。
「…貴様の話を聞きたい」
「私の話…って、えぇ?な、何です、突然…」
「言葉の通りだ。貴様の話を聞くために来た」
丸メガネ越しに彼の鋭い目がこちらを見つめる。その目は真剣そのものだった。
とは言っても意味が分からないことに変わりはない。
私の話を聞きたい?何故なのだろうか?
「…別にいいですけど、面白い話なんてありませんよ?なんでそんなこと聞きたいんですか?」
「貴様には役目がある。それを思い出させるための手伝いをしようと思ってな」
以前言われた言葉を思い出す。まるで意味が分からないが、私に与えられた役目とやらをどうにかしなければこのホテルから出られないらしい。
どうにか脱出する方法をみつけようとしたが、どうやってもホテルの外に行く道を見つけることはできなかった。
「その話ですか…。役目なんて私にはありませんよ。どこにでもいる普通の一般人ですし」
「貴様が普通かどうかはどうでもいい。今私が知りたいのは貴様という人間についての話だ。人にはこれまで歩んできた人生という名の歴史がある。普通だろうが平凡だろうがどうでもいい。私にその話を聞かせろ」
そんなことを言われても、と私は思った。それとは別に話す内容を色々考えるが躊躇してしまう。私自身の話をしても現状が変わるとは思えなかったからだ。
どうしようか迷いながら視線を動かしていると、不意に彼と目があった。
何も言わずに黙ってこちらを見ている。先程もそうだったが、彼は本気で私の話を聞きたいのだろう。
罵倒が飛んでくるのではないかとも思ったが、その気配はなかった。
私は彼を見て更に迷った。私の人生は本当に刺激などない。それを自分自身が一番よく知っているため、話してガッカリされるのが怖かった。自分に自信が無いからだ。
無言の空気が続く中で、幽世方は静かに目を閉じてカップの中身を飲み干すと、椅子から立ち上がった。
「邪魔をしたな。話を聞くのはまたの機会にしよう」
至って普通の言い方だったと思う。でも、今の私には冷たい言葉のように感じた。
失望されただろうか。自分で普通だ平凡だと言っても、その中身の一つすら語れないのだから当然だ。
当然だとしても、私は失望されているかもしれないという事実が怖かった。
「まっ、待ってください!」
私は椅子から勢いよく立ち上がった。
彼はその場で立ち止まり、横顔だけをこちらに向ける。
目を見るのが怖い。だから少し俯きながら声を出す。
「言います…。言いますから、帰らないでください…」
彼は何も答えない。
どんな顔をしているのだろうか。
先程まであれだけ嫌っていた人物に向かって、私は今、『嫌われる事』に恐怖している。
自分の大きな心音しか聞こえない。鼓動が早くなり、息を吸うのも浅くなる。視界が狭まっていくかのような感覚に襲われる。
「…そうか。それなら、貴様が話終わるまで、ここにいるとしよう」
彼は再び席に戻った。両手を服の裾に入れ、腕を組んでこちらを見ている。私も数回深呼吸をしてから席に着いた。
まずは何から話せば良いのだろうか。
目を閉じて、気持ちを落ち着かせてから考える。
私の役目というからには、何か私に関係するものなのだろう。例えば、思い出だとか…。
「…最初から話します。多分、長くなるけど……」
「気にするな。この私を誰だと思っている」
幽世方 楓。そう、心の中で呟いた。
ここに来て二週間が経つが、私は初めて彼と向き合う。そして、自分自身とも───。
これから語るのは、普通で、平凡で、自信が持てない、伊坂 雀という少女の話である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます