《1-3号室ー忘却少女と雀の悲劇 》

 朝、目覚ましが鳴るよりも先に目が覚める。

 時刻はだいたい七時前。起きたら目覚ましが鳴るまでボーッとしているのが、ここ最近の日課になりつつある。

 ケータイも使わず、学校にも行かず、ただただ時間を潰す。それが私の一日だ。

 幽世館に来てから早くも一週間が経った。毎朝目が覚めたら好きなことをして、気が向いたらご飯を食べたりお風呂に入ったり、最近はホテルの中を歩き慣れてきたので散歩もしている。たまに迷って帰れない時があるが、寝たら元の部屋に戻れる事を発見した。

 部屋の隅には出掛けた時に最後に使っていたバッグが置いてある。学校を無断で欠席しているので、もしかしたら何かしらの連絡がスマホに届いているかもしれない。

 友達からの心配している連絡とか、やっていたゲームの通知とか…。失踪扱いで警察からも何かしらの連絡が来ているかもしれない。

 そう思ったら何もかもが億劫になってしまい、落し物として渡された時からバッグの中身も確認せずに放置している。

 それにしても…。


「暇だ…」


 あの日。私がこのホテルで目を覚ました日。自分の家に帰ろうとしたが、幽世方さんからここに留まるように懇願されて、何となくずっと泊まっている。


『離してくださいィ〜!帰りたいんですッ!』


『そこをなんとか頼むッ!いいか、軽率な判断で人は死ぬんだッ!人助けだと思ってせめてみっ!蹴るんじゃッグホォ!』


 あの幽世方という人に懇願されたから仕方なくこの場所にいるが、娯楽が無さすぎて一日の時間が非常に長く感じる。昼間はルゥパーも働いているため一緒に遊んでくれる人もいない。あの子たちは頼めば仕事を中断して相手をしてくれるのだろうが、それは気が引ける。ジョセフィーヌさんも、遊びとはいかないがお茶くらいなら付き合ってくれるだろう。アデルさんは料理で忙しいだろうし…そもそも『美味しい』とか『おかわり』とか『味の感想』くらいしか会話をしてないので、プライベートだと何を話せばいいのか分からない。幽世方は…あんまり好きじゃないので除外。

 さて、どうしたものかと考えるものの、結局今日も散歩をして時間を潰すことにした。

 廊下は相変わらずどこまでも伸びている。時に下り、時に上り、時に曲がりくねり、時に逆さになり、時にループする…。最初は不可思議な光景に狼狽えていたが、今では何も気にせずに歩けるようになった。。

 とりあえず進み続ければ廊下は抜けられるし、いざとなればその場で寝たら何とかなるので、だいぶ気楽なものだ。そして最近気がついた事がある。廊下の形は様々だが、大まかな造りは変わらないようだ。

 両側に向かい合うようにして扉が付けられており、隣合う扉と扉の間には絵画や瓶に入った花だったりと何かしらのインテリアで仕切られている。

 花は見たことがあるような物もあれば、全く知らないものも咲いている。絵画も同じで、テレビや雑誌で見たことがある有名な物もあれば、全く知らず、全く読めない言語で書かれたタイトルのものも掛けられている。

 細かい差異はあるものの、扉が向かい合っていて何かしらのインテリアが置かれてある、という事は変わらない気がする。

 ただ、廊下の大きさはまちまちだ。異様に幅が広かったり天井だけやけに高かったり、全部がものすごく大きい時もあれば小さい時もある。異常な状態が正常。それがこのホテルのあり方なのだろう。


「…お腹、減ったなぁー……」


 唐突に空腹が脳を支配した。我ながら思ったことが直ぐに口から出てしまうとは思ったが、今日は起きてからまだ何も食べていないのでそりゃお腹は減る。

 戻りたくても戻る道が分からないので、その場で大の字になって寝転がった。

 そろそろ廊下で寝慣れてきたが、それでもなかなかの開放感になんとも言えない不思議な気持ちになる。こう、やっちゃいけないことをやるのは楽しいよね、という感じのワクワク感だ。

 カーペットに少しだけ体が沈む。肌触りが凄くいい。きっと高い素材なのだろう。

 横になっていると自然と瞼が重くなり、私は静かに目を閉じた。

 いつになったら家に帰れるのだろうか。友達は心配しているのだろうか。大学に行かなきゃいろいろと不味くもある。お父さんとお母さん。それに妹にも迷惑がかかっているかもしれない…。

 連絡を入れればいい話なのだろうけど、何を言われるか分かったものではないので気が乗らなかった。

 このホテルは居心地が良すぎて、いつまでも居たい気分になるのも理由だ。それに、私の役目というものも気になっていた。

 私は普通の大学生で、何か特別な能力がある訳でもない。有象無象の中の一人。私だけにしか出来ないことなんていうのは無いのに…。

 目を瞑っていたら余計な事ばかり考えてしまう。黙っていればいつかは眠れると分かってはいるが、それでも胸の中で膨らむモヤモヤとした感覚が不快だ。また起きてぶらぶら歩こうかと考えていたら、不意に誰かから声を掛けられた。


「おーやおやおや、お客様。こんな場所で寝ていたら風邪を引いてしまいますよ」


 背の高い男性らしき人間が、私の顔を覗いていた。

 らしきというのは声でしか判断できなかったからだ。スーツ姿のその人物には、本来顔があるはずの位置に、ぽっかりと大きな穴が空いていた。


「それに通路は寝る場所じゃありませんよ。それとも迷ってしまわれましたかな?」


 深淵から声が聞こえる。目が離せず、意識ごと暗闇に吸い込まれそうな感覚に襲われた。

 声が出ない。喉が硬直し、息をするのも難しい。

 あまりの恐怖に私は、その場で気を失った。


「おやおや。眠ってしまいましたか。仕方ないですねぇ」


「ナイアラート。お客様を部屋に運ぶのをお願い」


「これはこれはジョセフィーヌ様。畏まりました」


 余談ではあるが、後に少女は『スタッフの誰かしらが部屋に連れ戻していた』ということを知ることになる。

 それからというもの少女は廊下で寝ることは無くなった。

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