《1-2号室ー忘却少女と雀の悲劇 》

 目の前にいる女の名前は『伊坂雀イサカスズメ』…というらしい。

 職業は学生。髪の種類なんて物はよく分からないが、セミロングの栗毛でパッチリとした丸い二重の目がついている。

 これまた美的センスなんてものも分からないが、ジョセフーヌが『美人』に入るなら、彼女は『可愛い』らしい人間なのだろう。

 性格は明るく表情はコロコロと変わり、先程まで申し訳なさそうに『金がない』やら『朝は食欲がない』と言っていたかと思えば、今は出された料理を幸せそうな顔で食べている。


「ん!これも美味しいです!」


 彼女が今食べているのは確か…『ラピンザのホワイトソース仕立て』だったか。あれは『ノッグのステーキ』に『アワビのリゾット』…。ドリンクは『黄桃とアゾットのスムージー』。どれも高級食材だったはずだが、相変わらずこの食事が無料提供とは、未だにこのホテルは驚かされる事ばかりだ。

 彼女の反応に対して、コックのアデル=ゼネットは嬉しそうに笑っていた。

 掻き上げた茶色の髪に無精髭を蓄えた筋骨隆々のこの男が、こんなに繊細な料理を作るとはなんとも似合わない話である。


「アッハッハッハッ!嬢ちゃんいい食いっぷりだ!気に入ったから他の料理も作ってやるよ!」


「もう〜、そんなに食べれませんよ!でも本当に美味しいからつい完食しちゃうかも」


 雀は口では断りながらも、嬉しそうに料理を頬張った。一皿一皿の量は少ないが、それでも既に五皿目だ。流石に食べ過ぎではないかと思ったが、料理は次々と運ばれてくる。サラダにスープにデザートにワイン…。


「まて、料理はこれで全部か?」


「ん?足りなかったか?」


「逆だ。多すぎだろ」


 既にテーブルは皿で埋めつくされている。だが、直ぐ横には料理を持ったルゥパーの列が出来ていた。

 私も含めて二人分の量、というわけでもなさそうだ。最も、誰も私の前に皿を置こうとしないところを見ると、自分の分はないらしい。

 列の後方にいるルゥパーの手はプルプルと震えていた。更に最後尾付近にいるルゥパーは手の振動で半透明な体全体が震えている。


「向こうのルゥパーが限界だ。落とす前に一旦下げさせろ。それに、食べ切れる量を提供してくれ」


「ちょいとばかし作りすぎちまったか…。しゃーねぇ。お前ら、持ってる料理下げていいぞ。好きに食ってくれ」


 アデルが出した指示に、心なしかルゥパーの目が輝いた気がした。最後尾が動き出すと、列もその後を続いて厨房の方へと消えていった。


「じゃ、俺も仕込みの続きするわ。ごくろーさん」


 大きな欠伸をしながら去っていくアデルの背を横目に、目の前で料理を食べ続けている雀に向き直る。

 互いに目が合い、彼女は逸らすように料理に視線を落とした。


「…気にならないのか?」


「えっ、何がですか?」


「ルゥパーとか、私たちのこともだ。既にジョセフィーヌからある程度話は聞いているのか?」


「いや、全然。なんか当たり前のように話が進んでいくんで、聞いちゃ行けないのかなーって…」


 いつもの通り説明は私の役目らしい。いつも客を迎えに行くのはジョセフィーヌなのだから、その場で説明したらいいものを…。これもホテルのルールという奴なのだろう。

 罰が悪そうにする雀の顔を見たまま、いつもの様に説明する物事を組み立て、言葉を口にする。


「…まずスタッフから説明しよう。君が最初に会ったのはジョセフィーヌという女だ。ここで唯一のメイドであり、メイド長兼私の教育係でもある」


「何でメイドさんは他にいないのにメイド長なんですか?」


「それは分からん。で、さっきの髭のコックはアデル=ゼネット。アルデネア大陸のグリムウッド出身らしい」


「アルデ…何です、それ?」


「それも知らん。そしてあの半透明の生物はルゥパー。このホテルの従業員の九割を占めている。彼らは言葉を持たないが、我々と同じくらいの知能を持っているので意思の疎通はとれる。困ったことがあったらジョセフィーヌかルゥパーに頼むといい」


「ルゥパーなんて生物聞いたことがないんですけど…」


「あれは生物では無い。我々とは違う文明社会を形成している一種の人間だ。君には異世界人と言った方が理解しやすいだろう」


 頭の中で情報を整理しているのか、彼女の手が止まる。小さく『うーん』と唸った後、「ごめんなさい。よく分かりません」と返ってきた。

 まぁ、当たり前の反応である。


「理解はしなくていい。君のここでの役目は、記憶を取り戻す事だ」


「…記憶を取り戻すって?私、自分の事は分かりますけど……?」


 彼女の反応を見るに、自分の役目を分かってはいないようだ。ジョセフィーヌからの報告の通りである。

 その役目に気づかせること自体は簡単だ。私やジョセフィーヌが口に出せばいい。しかし、それはまた別のルールを犯すことになる。彼女自身が気が付かなければ意味がないのだ。

 そして、それを理解させるのが私の役目でもある。


「伊坂 雀。君がどう思うかは分からないが、君にはこのホテルでの役目がある。それを理解しない限りここから出られない」


「えっ、それって…」


「もちろんその間の生活は我々が保証する。全ての施設は好きに使ってもらって構わない。それに対する対価も必要はない」


「い、いやいや!勝手に話を進められると困ります!私の生活だってあるし、学校に行かなきゃならないんですよ!」


 彼女は疑念と困惑が入り交じったような表情を浮かべた。更に戸惑い、何かを考えるように目を泳がせる。


「か、帰ります…」


「ダメだ」


「帰してください!これは誘拐ですよ!監禁です!」


 恐怖が混ざった声。当たり前だ。この手の人間は皆同じ反応を示す。時には暴力を振るい、時にはその場から逃げ出す。

 人間という生き物は感情が脆い。どれだけ表面上で取り繕っていても、普通とは違う非日常を突きつけられると、一瞬にして感情が剥き出しになる。


「何とでも言うがいい。だが、どれだけ喚こうが否定しようが現状は変わらない。ここから出たいのなら、自分の役目を理解しろ」


「し、しなかったらどうなるんですか…?」


「特に何もしない。逃げ出しても構わないし、私は君を追うつもりもない。だがこれだけは言っておく。記憶を失ったままここを去るのは、君のためにはならない」


 少しの沈黙の後、彼女は椅子から立ち上がり、逃げるようにしてその場から去っていった。

 言葉の通り、私は追うつもりはなかった。その行為が私の役目の放棄だとしても、どうでもいい事だ。何故なら私も、自分の役割を理解していないからだ。

 今の私は言われたことをこなしているだけの傀儡に過ぎない。誰かから与えられた使命なのか、何故私でないといけないのか…。それを理解していない私が、彼女を引き止めるなど出来るわけが無い。例えそれが、このホテルのルールに背く事だとしても…。


「…何故見逃したのです?貴方なら追いつきますよね?」


 いつの間にか現れたジョセフィーヌが、私に対して嫌味とも取れるような質問を投げ掛けてくる。反応を見るに、話を何処かで聞いていたのだろう。

 言葉に軽蔑や怒りが含まれているが、私の答えは最初から決まっている。


「追う理由が私には無いだけだ。引き止めたいのなら貴様がやれ、ジョセフィーヌ」


 私の言葉に対して、彼女は冷たい視線を向けたまま呆れたようにため息をついた。

 この後は大抵何か小言を言われるが、私の意思は固い。役目だろうが何だろうが、私には関係の無い事だ。


「…畏まりました。それが命令ならば受け取りましょう。ただしお客様に対する態度、言葉使いは相応しくありませんので、これからの教育ノルマを倍でこなしてもらいます」


「お客様一人で出歩くと迷う可能性がある。直ぐに後を追うとしよう」


 その場から立ち上がり、ジョセフィーヌから逃げるようにレストランを後にした。

 私の意思は固い。だが、命よりは重くない。人は頭では理解していても、命の危険が絡むと本能には抗えなくなる…。今はそういう事にしておこう。


「…そういうとこだけはお変わりありませんね。楓様……」


 ジョセフィーヌが呟いた言葉を、私は知らない。

 ただ雀が通った道の痕跡を追うように、私は食堂から逃げ出した。

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