第22話 高尾芽衣子。

相談客が帰り、高尾一が山奈円に謝ると「いや、助かったよ。ボンボンの扱いは困るからね」と返してくれた。


「浮かない顔だね。まああんな親子を見れば乱れもするよ。23の時まで親と過ごせた私でも苛立つのだから、君は間違っていないよ」


山奈円の励ましに、高尾一は感謝を告げながらも、やはり今のままでは良くないと思って山田満に相談してから山奈円に話をした。


「ふむ。それは大事な事だから行くべきだよ。いつまでも後悔は残るからね」

「山奈さんは後悔が残りましたか?」


高尾一の質問に、山奈円は「勿論さ、話したい事があった。やってもらいたい事、楽しい日々を、生きていれば還暦も過ぎていて、きっと幸せな老後を過ごせるはずだったからね」と言って窓の外を見ていた。


この言葉に従って、高尾一は週末に母の転院先まで出掛けた。

面会にはかなりの手間がかかったが、それでもなんとか顔を見る事が出来た。


キチンと顔を近づけるのは10年ぶりだった。

母は老いて病のせいで弱っていたが母だった。


母は高尾一に気付かないで「お世話になります」とだけ言う。

病院側からしたら驚いた。

高尾家の事情は見知っていて、それで会いに来る息子は居ない。

そうでなくても終末治療、緩和ケアをしているこの病院に、家族が来るのは珍しい。


窓口は用意されていて、いつもドアは開かれて居るが、表向きの建前ばかりで、皆病院に押し付けたら後は知らんぷり、最後の時すら来ない家族もいる。


ここはそんな病院だったのに息子が来た。

そして高尾芽衣子が反応を示した。

それは息子に示す反応ではないが、人に反応をした。

言われるまま、されるままの高尾芽衣子の反応には驚いてしまい、帰り際に高尾一に「お母様が反応を示されるなんて、初めて見ましたよ」と声をかけてしまったが、高尾一からすれば「おべっか」くらいにしか思わなかった。


隔週で顔を出すと、高尾芽衣子の反応はさらに変わる。

弱々しい声だが「お話に付き合ってくださる?」と言うと、家族の話を始める。


母の中ではまだ高尾一は小学校高学年で、「おっちょこちょいなのか怪我が多くて、漢字が苦手なの」と楽しそうに話す。


高尾一が「ご主人は?」と聞くと、高尾芽衣子は豹変して暴れてしまい、その日は帰ることにしたが、また顔を出すと喜ばれて、「お話に付き合ってくださる?」と言われる。

高尾一は看護師達から相槌だけに留めてくれと言われていたので、話を聞いて居ると、「夫の名前は悠太郎。とても優しくて家族想いなのよ。今も出張に行って居るの」と自分から高尾悠太郎の話をした。

驚く高尾一に高尾芽衣子は「あら?私だって優しい素敵な旦那様と息子が居るのよ」と言って笑う。


老いて痩せこけたが笑顔は思い出の母のものだった。


母は馴れ初めを話してくれた。

「悠太郎さんてばね、生物が好きだけど食べるとお腹を壊すのに、私の手前言い出せなくて、お寿司を食べに行って折角の雰囲気なのに、お腹壊してデートが台無しになって、恥ずかしくて連絡貰えなくなったのよ。それで私から電話をしたら「もう会えないかと思った。あと謝らないと、僕は生物を食べるとお腹を下してしまうんだ」って矢継ぎ早に言っていたわ」


話は徐々に今に近付く。

高尾一は隔週をやめて毎週末に通うようになっていた。


母の思い出話は幸せな結婚式と結婚生活を過ごして高尾一を授かっていた。


「私は一に弟か妹が欲しかったの。でも私の身体で2人目を産むのは難しくて、お医者様に止められた。それでも産みたかった私は、悠太郎さんに頼んだけど「家族3人欠けることなく幸せになろう」と言われて諦めた。でも悠太郎さんの言葉は嬉しかった」


高尾一は子供だった事もあって、そんな事は知らなかったから驚いて聞いていた。


もうすぐ高尾一が小学生になるころの話が聞けると思った頃、季節にしたら梅雨入りした頃に看護師から「息子さんがいらして居る時だけ元気ですけど、あまり数値も良くなくて、覚悟をしておいてください」と言われてしまった。


雇用主である山奈円と、相談に乗ってもらっている山田満にその事を告げた時、2人とも「それって…」と言ってそれ以上は言わなかった。


次の週末に高尾芽衣子は「あなたには彼女は居るの?素敵な人だから結婚してるかしら?」と高尾一に聞いた。

返事に困ると「会いたいわ。連れて来てよ」と言われ、ダメ元で看護師に確認をすると許可がおりた。

山田満に相談をすると快諾をしてくれたので、高尾芽衣子には「少し離れた所に買い物に行っていましたが1時間くらいで来れますよ」と言うと、「まあ嬉しい。一もこうして彼女を連れて来てくれる日が来るわよね?私は嫌なオバサンにならないようにして歓迎したいわ。練習させてね」と言って喜んで、話を再開すると掛け算九九を覚えたくないとゴネる高尾一の話になった。

それは高尾一も覚えている。足し算に自信のあった高尾一は足し算の暗算で切り抜けようとして、それを見越した父母に怒られて泣きながら覚えさせられた。


「あの子の暗算は凄かった。悠太郎さんと末は数学者かもなんて言ったのよ」

高尾一は母の嬉しそうな顔を見て、親バカだと思っていた時、突然母は血を吐いて苦しみ出した。


そこから先はあっという間だった。

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