第17話 不幸の使い手。
高柳始は困り笑顔で山奈円を見て首を傾げると、山奈円はアイコンタクトで頷く。
高柳始は「山田満さん。君にも関わる話だから聞いてくれるかな?」と聞くと、山田満は「はい」と言って頷いた。
「高尾君、初めて円にあった日、円は君の人生を見てきたように言い当てたよね?」
「はい」
「あれはね。僕の人生さ。僕も君と似た人生だった。どっちの方が大変だったなんて言わないよ。君は自分だと思えば口にしないで構わないからね」
そう言った高柳始は、遠くを見ながら「僕も受験のストレスのはけ口、「誰か不幸になれ」という抽象的な不幸を、僕自身が拾い上げてしまい具現化していた。大学も浪人したし、就職活動も頓挫した。そんな僕を支えてくれたのは円だ。そう、君と山田満さんの関係だね」と言った。
この話を聞きながら高尾一は変な気持ち悪さに襲われていた。
お互いに「はじめ」「まどか」と呼び合い、アイコンタクトで通じ合い、夫婦のような空気感を放つ。それこそ自身と山田満のような関係だったのに、高柳始には家政婦と見間違える妻が居て、山奈円は高柳円ではなく山奈円で山奈相談所の所長をしている。
「混乱しないで平気だよ。その事もこれから話すよ」と言った高柳始は、「不幸の使い手の話からだね。大学卒業後、好景気なのに就職の決まらない僕は、不幸のドン底に落ちた。収入もない。職もない。だけど生きるのにはお金が必要だ。更に僕を案じてくれていた円まで目に見えた不幸に襲われ始めた」と話した。
それは山奈円に出会わなかった時の、自身と満のような状況に聞こえてしまう。
「ドン底の中で、僕は不幸の使い手になってしまった」
そう言った高柳始は穏やかなのに寒気のする顔と声で、「不幸の使い手はね、不幸と引き換えに願いが叶うんだよ」と言った。
「願いが…叶う?」
「そうさ。僕はドン底から這い上がる為に、ある願いをした。足掻き踠き、無意識に願った事が形になる。初めは偶然を疑ったが、すぐに自身の能力だと気付いて円に話をしてしまった」
高柳始の辛そうな顔と山奈円の辛そうな顔は、見ていて気持ちのいい物ではなかった。
「僕が願ったのは『人が逃げ出すようなひどい職場でいいから就職したい』と言うものだった。それをしたらすぐに職が決まったよ。でも本当にまともな人なら入社前に逃げ出すような職場だったんだ」
ここで山奈円は「始は心身を壊したよ。私は何度も仕事を辞めるように言ったが、始は辞められないと踏ん張ってしまった」と高柳始の代わりに口を開き、「君もその願いをしてしまう寸前だったんだ」と言った。
「辞められない想いと、辞めたい気持ちの中で、僕は次の願いをしてしまった。『倒れたい。そしてそのまま辞めたい』とね。辞めたくても辞められない会社でね。もう辞めるには倒れて会社にトカゲの尻尾切りみたいに切り捨てられるしかないという思いだった。高尾君、君ならその先はわかるかな?」
「倒れて辞められた?」
「そうだよ。でも身体には倒れるまで働いたせいで、小さな障がいが残ってしまった」
「不幸の願い…」
「そう。自身の不幸を願う事で見合った対価を得られる。それが不幸の使い手さ。まあ古い同級生達からの「高柳始は不幸であれ」と言う願いを、受けてもいたとは思うけどね」
だが高尾一は依然として不思議でならない。
「僕の仕事とこの家のことかな?」
「口にする前に?」
「僕と君は似ているからね。僕が逆の立場なら思う事を口にしたんだよ」
高柳始は本棚に積まれた筋肉探偵シリーズを指さして「アレも不幸の願いさ」と言う。
「不幸の願い?」
「そう。何を願ったかわかるかな?山田満さんはどうだい?」
高柳始に聞かれた山田満は、「えっと…、辛くても書くから、小説で食べられますようにですか?」と答える。
「ありがとう。かなり近い…ほぼ正解だね。『どんなに辛くても、辞めなければ家族を小説で食べさせられますように』だよ。僕はその願いにより、どんなに辛くても小説で妻を養っているよ。本当はもっと好きなものを書きたいんだ。でも何を書いても箸にも棒にも当たらない。五里裏凱だけが受け入れられる。もう担当さんの言われるままに量産してるだけだね。でも大ヒットではない。ただ出ると読んでくれる人が居るから出ているだけで、メディア展開も何もないんだ。80冊も出しているのにだよ?」
そう言って呆れるように笑う高柳始。
「この家もそうさ、家族が大変な思いをしないで済むように家が欲しい。その為なら大変な仕事でもローンを払い続ける為にと願ってしまった。お陰で前以上に新作を書いても読まれなくなったさ」
「それが不幸の使い手なんですね?」
「そう。恐らくだが辞めるには、最初の勤め先を辞めたように不幸を使わないとダメだし、生半可な不幸では願いは届かない」
「山奈さんは、そうならないように俺を山奈相談所に入れてくれた」
「そうだね。それに私からすれば君を…君と満ちゃんを救うことは私自身の命題みたいなものだからね」
山奈円は高柳始の2人はアイコンタクトをした後で、高柳始は優しい微笑みを向けて、山奈円は哀しげな顔を高柳始に向けた。
「さて、長居し過ぎたね。そろそろお暇するよ」
山奈円がそう言うと、高柳始は「また貯まったらよろしくね円」と言い、「高尾君が居るからすぐさ」と返す山奈円。
高尾一が神妙な顔で「今日はありがとうございました」と挨拶をすると、「いや、君が僕のようにならない事を…」と返して止まった高柳始は、「いけない。願ってしまったら良くないね。君は僕のようにならないでね」と言い直した。
「山田満さんも今日はありがとう。会えて良かったよ」と高柳始が告げた時、山田満は「私には何か出来ませんか?今日私がここにいた意味を教えてください」と言った。
「後で円に聞くと良いよ。きっと円は君になら教えてくれると思う」
高柳始はそう言ってもう一度山奈円と頷き合った。
客人、それも主人の古い知り合いで、仕事の資料を提供してくれるビジネスパートナーのような相手が帰ると言っても、あの家政婦のような妻は見送りにも来なかった。
高柳始も「皆さんお帰りだから、僕は玄関の外までお見送りに行くね」と声をかけたが返事すらない。
門戸を越えて振り返る山奈円を見て、高柳始は特別な眼差し、愛おしそうに山奈円を見て、その間の門戸を邪魔そうにしながら「またね円。元気でね」と言うと、山奈円も泣きそうな顔で「ああまた。始こそ身体に気を付けて」と言って別れた。
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