依頼人・佐川花子。
第5話 一万円の女。
高尾一が山奈相談所に勤めて3ヶ月が過ぎた。
相談所と銘打っているだけに相談は多い。
初めに山奈円は「この手の依頼はそうない」と言っていたのに、右道家の不幸の願いを解決した後から相談件数は増えてしまう。
それは山奈円が「いやはや、これは忙しいからボーナスは期待していいよ」と言うほどだった。
高尾一は相談客を見てお茶を出す。
そして聞こえないふりをしながら事務所の机で、事務所に置かれている小説を仕事ですと言った顔で読む。
小説は筋肉探偵五里裏凱シリーズという作品だが、時代劇みたいにわかりやすい構成をしている。
筋肉自慢の探偵、五里裏凱が事件に巻き込まれる形で事件に関わる。探偵業として依頼を請け負い調査をはじめると、随所で起きる犯人からの妨害を筋肉で無視する。犯人を見つける。暴れる犯人を筋肉で黙らせる。
助手の坂佐間舞と「またアンタ?このゴリラ」が口癖の大神茜という刑事が物語に花を添え盛り上げる。
きっとこのヒロイン達と最後にどうなるかも見どころなのだろう。
今日の相談客は夫の不貞を疑っていて、山奈円が「それでしたら」と言って改善案を提示している。
高尾一でも2ヶ月も見ていればわかる。
「ああ、この人は相談料一万円だな」と思っていると、山奈円は相談料一万円を受け取って相談客を帰す。
相談客には相談の内容ではなく、山奈円との会話の内容によって金額が決まる。
同じ夫の不貞でも最高値の五万円の時と、三万円の時と一万円の時がある。
一万円の相談客は山奈円から「見込みなし」と判断されていて、山奈円の提案を聞く気がなく、下手をすれば金を払って愚痴を言いにくる。自身の正当性を肯定して欲しいだけの存在。
人というのは安物買いの銭失いには慣れていて、山奈円の提案を無視したのに結果が伴わないとクレームを入れかねないが、一万円だと「一万なら仕方ない」となるらしい。
三万円の相談客は「再訪の可能性あり」で、山奈円の提案を眉唾に思っているが状況を好転させたい者、半信半疑で提案を実施する者がこのランクになる。
五万円の相談客は「解決の必要があると思っている者」で、相談者も山奈円も不幸の願いがまだ不幸の種で芽吹かないうちに枯らしてしまおうと思っている。
高尾一は「やっぱり一万円でしたね」と言ってテーブルのお茶を回収すると、どこか嬉しそうに「わかるようになってくれたかい?」と言いながらお茶の残りを飲んでしまう山奈円は「その次までわかるようになると嬉しいのだが、まだ無理だろうね」と言って微笑む。
「その次ですか?」と聞く高尾一に、「ああ…次さ」と言った山奈円は「今日の彼女は救えない」と彼女の飲みかけたお茶を見てため息をつく。
「不幸の願いですか?」
「恐らくね。誰かが彼女の不幸を望んで、夫がそれに引かれて不貞を働いて…いや、不貞に巻き込まれているんだ」
「そこまでわかるんですか?」
「経験則だよ。後は彼女との会話でもわかるよ。優しい夫が急に冷たくなって仕事の帰りが遅くなり、女の陰が見える。今のこの不況は不貞の輩にはありがたい世の中だよ。ブラック企業が横行して残業代が出ない。何時間働いてもサービス残業。何時間不貞相手の所にいても、家で待つ者には確認のしようがない」
「救えないんですか?」
「救えないね。私はキチンと提案をしたさ。でも彼女はなんだかんだと言って、それを拒否して自分は正しいと言い続けて話にならない。あれは救えないよ」
高尾一は救えないと聞いて、初めて関わった右道一家の事を思い出す。
あのインターフォンとドアを叩く場面はまだ夢に見る。
翌週、半月前に来た三万円の女が再訪した。
これも夫の不貞を疑った案件だった。
山奈円は「二週間ぶりですね。佐川花子さん」と出迎えて、「その後如何ですか?」と聞いた。
佐川花子は簡単に言うと山奈円の言い付けは守っていなかった。
簡単な事なのに守れていなかった。
【優先順位を少し変えてみる】
たったそれだけの事なのにそれができなかった。
それを聞いて山奈円が眉をひそめる。
「佐川さん。無理難題を言った覚えはありません。食事の際に一品でもご主人の好きな物を入れる。朝、仕事に向かうご主人の見送りをキチンとする。洗濯物を畳む時にご主人の洗濯物から畳む。それだけですよ?」
山奈円はそう言ったが、佐川花子は「でも」と必ず付けてから反論してくる。
「でも、揚げ物の付け合わせなら私はキャベツよりもレタスなんです。夫は天ぷらは茄子が好きですが私はかき揚げが好きですし、私はそう何個も食べられないから、それなら用意するのはかき揚げになります」
「でも、夫の出発が3分早いか2分遅ければ朝のニュース番組のエンタメコーナーとズレてくれて見送りもできるんです」
「でも、やはり先に自分の洗濯物から畳みたいんです。後になると手が疲れてしまって」
聞いていて高尾一は呆れてしまう。
完全な自己中。
あまりの発言に、筋肉探偵五里裏凱の内容なんて入ってこなくなる。
食の好みを相手に合わせる気はない。
タイムスケジュールを専業主婦の自分に、働きに行く夫が合わせられない事が問題。
洗濯物は手が痛くなると適当になるから、先に自分の洗濯物からキチンと畳みたい。
そりゃ夫も甲斐性さえあれば外に女くらい作る。
そんな事を思っていると、山奈円は圧を放って「今のまま、佐川様が変わらないと取り返しが付かなくなりますよ?」と言い、言われれば佐川花子はしおらしく「はい」と返事をする。
山奈円は「食事が無理なら、夜遅くてもご主人のご帰宅をお待ちになって出迎えてあげる。眠る際には一声かける。そこから始めてください」と言ったが、佐川花子は懲りずに「でも」と言った。
でも、夜はドラマの途中に帰ってこられたら出迎えに行くのは困る。
でも、眠い時に寝たいのに、一声かけている間に眠くなくなると困る。
山奈円は呆れながら相談料一万円を請求した。
一万円、直訳すれば「もう来るな」だった。
「次回いらした際に改善したか伺います。この先は相談から依頼に変わり、依頼は失敗報酬も頂きますので慎重にご検討ください」
山奈円はそう言ったが佐川花子はピンと来ていない様子だった。
佐川花子が帰った後、珍しくソファに体を投げて寄りかかると「嫌すぎる。絶対に面倒ごとになる」と言って手で顔を覆ったが、直後に高尾一を見て「まあ一度見せておくか」と言ってから、「君、とりあえず友人はもとよりご家族にも仕事の事は「大変ですが頑張ってます」で具体定に話すんじゃないよ」と言った。
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