第23話 教会 伝道師 異人

 鈴木の父親は、キリスト教の伝道師だった。終戦になって、それまであった既存の秩序が崩壊し、人々の精神を司る宗教においても、それは例外ではなく人々は心のよりどころを失っていた。

 父は、安物の背広姿で、どこかに伝道に出かけ一週間も帰宅しないこともあった。父が出かけた先を家族が把握していなかったのは、無理もない。父親自身が、正確な行き先を知らなかったのだ。 

 伝道をするには、クリスチャンの殆どいない地域を狙っていたらしい。そのような地域では、キリスト教に対する興味がある住民はいるのだが、それを公にはできない雰囲気があったようだ。

 そこで、最初は、戦死者のいる家を聞き出し、その霊を慰めたいと訪れる。クリスチャンと名乗るのは当然だが、集まった人に対しキリスト教の勧誘などは一切しない。むしろ、自分から進んでキリスト教の話が聞きたいと思わせるように仕向けることが大事なのだ。

 鈴木少年も、そういう集まりには、参加したことがあるので、分かっているが、神社の境内などを借りて、面白おかしく話をしていた。それこそ、遠くからも子ども達が集まってきたものだった。

 同じ地域で、二、三回、集まりを重ねて、感触があると見込まれると神社の社務所などで、夜の集まりが開かれた。夜に開くのは、幻灯機で珍しい画像を見せるためと、昼間は仕事で忙しいので、大人に来てもらうためだった。その中には、女性もいたが、男の大人の姿は、ほとんど見かけたことがなかった。

 とにかく、紙芝居以外の娯楽というものがなかった当時では、誰かが来て話をするというだけでも大事件であった。子どもたちの気持ちを逸らさないために、先ず手風琴が奏でられ、簡単な賛美歌が歌われる。その上、幻灯機で映し出された外国の美しい風景、キリストの生涯などを見ると大人の秘密をのぞいているような気持ちになった。

 伝道師は、最後に、薄い冊子の聖書と聖画を全員に配った。その伝道師が異人であれば、

「ドウゾ コノセーショヲ ヨンデミテクダサイ。タイセツナ ホントウニ タイセツナコトガ カイテアリマス」

とたどたどしい日本語で言い添えた。

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