第18話 再審請求

 湯田は、最高裁で死刑が確定してから、再審請求を提出し続けていた。本来、再審請求は、死刑の執行には何ら影響を与えないはずだが、湯田は、未決拘禁中に、一時期、再審請求中の死刑執行がなされなかったという情報を他の未決囚から仕入れていた。     

 死刑囚の再審請求については、本人が望んでいるのだから、誰もその行為を止めることはできないのは、当たり前だと鈴木も思っている。それこそ、どんな裁判でも誤審の可能性はあり、あるいは冤罪かもしれないのだ。

 大多数の死刑囚の再審請求には、特徴がある。必要な書類は三通あるのだが、最初に一通しか提出しないのだ。なぜ、そんなことをするのかというと、そもそもの目的が、裁判のやり直しではなく、再審請求することで、死刑の執行を延期したいからだ。まあ、最近は、再審請求中でも、死刑は執行されるから、延期の可能性は少ないが、それでもやってみる価値はある。何しろ、自分の命がかかっているのだから。

 最初に提出した一通以外をどうするのかというと最後の督促が来るまで放っておく。そうして、長い時間をかけて三通を提出する。根拠が、薄弱だから当然だが却下される。次に、却下の判断を下した裁判官の忌避を申し立てる。それが棄却されると、今度は、国会に、その裁判官の弾劾訴追の申立てをする。それが却下された時には、もう新たな再審請求を申し立てている。 

 以上のような手続きが、最初から、普通の人間にできるとは思えない。弁護士に聞けば、教えてくれるかもしれないが、最高裁で判決が確定していれば、自費で依頼した弁護士でない限り、そうそうは、相談には乗ってくれないだろうと鈴木は考えている。

 そこで、再審請求の書き方や、必要書類の提出の仕方、裁判官忌避の仕方などが、重要な情報となる。重要なものには、対価の支払いが必要だ。最終的に、今まで述べた手続きは、冊子となって死刑囚の間で売買されている。

 この湯田は、極めて唾棄すべき人間である。だがと鈴木は思う。死が確実な人間なら、だれでも、彼のように振る舞うのではないか。

 鈴木は、何も言わないことにしている。死刑が確定し、何回も再審請求が棄却され、櫛の歯が欠けるように、自分と同じ頃、死刑が確定した者が死にゆくと、流石に世の中をなめた真似はしなくなることを知っているからだ。

 大多数の死刑囚の生への欲望はすさまじい。この世で生きることができないと観念しても、今度は、あの世での生に固執するようになる。

鈴木が、教誨師として死刑囚に接し始めたとき思ったことは、人は程度の差こそあれ、罪人であることに変わりはないということだった。

 さらに、拘置所では、死刑囚を心身ともに健康な状態におくことが求められていると聞いたとき、鈴木は、当然であると思いつつ矛盾を感じざるをえなかった。死刑囚と雖も、医療を受ける権利はあるだろうが、結果として死刑の執行に支障を来さないためであるとすると、これ以上の喜劇はないからだ。

 これに対しては、以下のような反論がある。死刑囚には、最後の瞬間まで、自身が犯した犯行を悔悟させ、その罪を購うという姿勢が求められるが、そのためには、肉体的な疾患は勿論、精神疾患に罹患した場合でも、可能な限り加療し、その精神状態を健康にすることが重要であると。

 厳しい、本当に厳しいと思う。が、反面、『一死以て、その罪を謝す』という言葉があるように、死でなければ、償えない罪もあるのだと鈴木は思っている。

 鈴木の記憶では、日本赤軍に所属し、リンチ事件で多数の人命を奪った永田洋子は、死刑判決が確定した後、脳腫瘍となり、入院し手術まで受け、その後病死した。病気が癒えた後、刑が執行された死刑囚が、どれほどいるかは分からないが、少数なのではないだろうか。

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