第13話:事故


 信頼していたものからの裏切り。

 積み重ねてきた信用の失墜。


 会社を出るときには、もうすでに話が広まっていた。

 おそらく、矢野の仕業だろう。


 今まで大事に育ててきた部下からの冷たい視線。

 ひそひそと耳打ちで何かを言われているが、決していいものじゃないだろう。

 受け入れがたい真実に打ちひしがれそうになる。


 矢野の作戦は完璧だった。

 俺が友利との件を話した時点で、成島部長に共有。

 あとは、証拠になりそうな写真を撮って、会議の時に暴露する。

 

 さらに、友利の未来というカードを俺に切ることで、進藤常務や部下にいい訳すら話させない辺り、流石としか言いようがない。

 

 完璧な仕事をこなすには、準備八割なんて言われているくらいだ。

 何も準備できていない俺は、何もできなかった。

 矢野の策略にまんまとハマってしまったのだ。


 俺はデスクに置いていた鞄を取ろうとすると「待ってください」と、小鳥遊に引き留められる。


「……小鳥遊か」

「嘘、ですよね?」


 普段の小鳥遊からは、考えられないくらいに引きつった笑顔をみせていた。

 きっと、矢野から会議の話を聞いたのだろう。


「今日は先輩が頑張ったご褒美の日ですよね? なのに、なんなんですか、これ……。先輩、もう一度ちゃんと理由を話にいきましょう?」

 

「……悪い」

「嘘っ! 先輩がそんなことをするわけがない、きっと理由があるはずなんですっ! そう言ってくださいっ! 私も一緒に行きますからっ!」


 友利の未来。

 そのカードを切られている以上、俺に出来ることは黙秘することだけだ。

 矢野もその様子をニヤけながら、様子を見ている。


「……」

「どうして……っ、どうして言い訳してくれないんですかっ!!」


 小鳥遊は涙を流しながら俺の目の前で叫ぶ。

 すると、矢野が近づいてきて小鳥遊に耳打ちしたあと、会議の時に見せた写真を見せる。


「……嘘」


 小鳥遊から、信じられないという目で見られる。

 俺がいくら言い訳したところで、なにも変えられないことを意味していた。


「小鳥遊さん、俺はこの目で久瀬の裏切りを見たんだ。彼は……犯罪者だよ」


 矢野のその言葉が決定打だったのだろう。

 小鳥遊は膝をついて、失望した目で俺を見てくる。


「こんなに思ってくれる部下や上司、俺を裏切ったんだ。あとは俺がお前の跡継ぎをして、課長になるからさ。だからさ……」


 矢野は俺の肩をポンと叩いて、耳元で呟く。


「もう消えてくれよ?」


 そう、笑顔で言ってきた。

 

「……っ」


 怒りでどうにかなりそうな自分を押さえながら、俺がその場を立ち去ろうとした時、小鳥遊が失望した目で涙を流していたのが印象的だった。


 (泣いている小鳥遊なんて、見たくなかった……)


 俺は下唇を噛みながら、その場を後にした。



# # # 



 外に出ると、大雨が降っていた。


「……はは、なんだこれ」


 そんなに悪いことをしただろうか。

 間違ったことをしたのだろうか。


 連勤で倒れて死にそうな俺を救ってくれた女の子。

 その女の子が困っていたから、純粋に助けようと思った。

 

 何かできないかと思ってとった行動だった。

 話してしまったのは、軽率だったかもしれないが、それでもこんな漫画みたいな裏切りがあるだろうか。


 今までがむしゃらに頑張ってきた。

 それなりに時間も投資して、他人のために尽くしてきたつもりだった。

 けれど、それはたったひとつの裏切りで全てが終わってしまった。


 自業自得、なのだろうか。

 たまたま友利が女子高生、というだけでここまで変わるものなのか。


 さらに、雨が降る。

 気分的にも、傘を指す気にもなれない。


 何もやる気が起きない。

 何もかもを失ったからだろうか。

 

 築き上げてきたものは、長く。

 崩れるのは一瞬。

 その信頼を取り戻すことは、もはや不可能に近かった。


 俺は行く当てもなく、ひたすら鞄を持って歩き続けた。


 歩いて、歩いて……。


 ひたすら歩いて……。

 

 そして……。




「……あ」




 俺は赤信号になっていることに気が付かずに、横断歩道を渡ってしまっていたのだ。


 目の前には、車。

 気づいたときには、もうすでに遅く。


 世界が反転したかのように、俺の体が上空に飛んでいく感覚がした。

 そして、地面に叩きつけられて、激しい痛みに襲われる。


「……っ」


 その瞬間、意識が徐々に飛んでいくのがわかる。

 

 意識が朦朧とする中、今度は横に倒れた車の車輪がゆっくりと回り、目の前が赤く路面を伝って下水の中に落ちているのがわかった。


 周りが「誰か救急車ーっ」と叫んでいるのがわかる。

 

 (ああ、これは俺の血か……)


 車に轢かれてしまったのは俺なのだと、ようやくここで認識した。 

 すると、不思議とフラッシュバックするように一人の女の子が浮かんできた。


 (あいつの作った飯、食いてぇなぁ……)

 

 そんなどうでもいいことを思いながら、俺は意識を失った……。




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