第5話:ご奉仕


 終電にギリギリ間に合うタイミングで何とか電車を乗り継いで家に辿り着く。


 ドアの前に立ってチャイムを鳴らすと「少し待っててちょうだい」と、凛とした声が聞こえてから扉が開く。


「お待たせ。それとその……お、おかえりなさい」


 制服の上に猫の肉球が刺繍された黒のエプロン姿をした友利が出迎えてくれた。

 綺麗な黒髪を白色のシュシュでまとめている。

 いわゆる、ポニーテールというやつだ。

  

 その姿を見て、俺は一瞬ドキッとしてしまう。

 男なら一度は憧れるシチュエーションだが、相手は高校生。


 落ち着け、相手は子供だ。

 冷静に、毅然とした態度で接するんだ。

 

 俺は大きく深呼吸をしたあと。

 なんとか平常心を保ってみるが。


「お、おう……。ただいま」

「ふふっ、久瀬さん。まだ照れてるのかしら?」

「うるせー」


 ……全然ダメだった。


「まだ慣れてねーんだから仕方ねーだろ。それに友利だって随分顔が赤いじゃねーか」


「これは、あれよ……。慣れてないからよ」


 お互いに顔が赤くなる姿を見て、思わず吹き出してしまう。


「「……ふふっ」」


「とりあえず飯にすっか。いつもありがとな」

「お礼を言うのはこちらよ、今日は肉じゃがを作ってみたわ」


「へぇ、随分とあざといメニューだな。最初はなんだっけ? アウストラロピテクスみたいな料理名」


「ビーフストロガノフよ。全然違うじゃない」

「おー、それそれ。あれも美味かったぞ」


「どうも、今日は敢えて王道で責めてみたわ。肉じゃがは好きかしら?」

「ああ、好きだぞ――肉じゃがと書いて、男の夢と読む」


「……あなた、バカなの?」

「我ながら、名言だと思うんだが……」


 女の子に作ってもらう肉じゃがは、男の夢で間違いない。

 

「くすっ、まぁいいわ。今日夕方に作って、ちょっと寝かせたから味が染み込んでて絶対美味しいわ。世界最高クラスと言っても過言ではないわね」


 ふふん、と。

 自信満々に胸を張る友利。

 

「そいつは楽しみだ」


 ……だが。


「肉じゃがマスター友利と呼んでもいいわ」

「ネーミングセンスが俺と一緒のレベルなんだよなぁ……」


「なんの話かしら?」

「いいや、なんでもない」


 そう言いながら、俺は玄関で靴を脱ぎながらネクタイを緩めていると。


「……今更なのだけれど、私に合鍵なんて渡して大丈夫なのかしら?」


 先日、友利に渡した自宅の鍵を見せながら首を傾げる。


「見ての通りだ。自慢じゃないが別に盗まれても困るものは特にないし問題ない」


「確かにあなたの部屋、なにもないものね……」

「帰っても寝るためだけの部屋だからな」


 財布とスマホ。

 仕事で使うノートPCはいつも持ち歩いている。


 ブラック企業あるあるなのだが、家に帰っても特にやることが寝ることしかないから必要最低限のものしか置いていないのだ。


「必要なものがあったら、勝手に置いていいぞ」

「そう、それなら遠慮なくそうさせてもらうわ」


 呆れた様子で友利はこめかみに手を当てて、ため息をついていた。


「それにしても、お前があのとき『共同生活』を提案してきたときはびっくりしたぞ。それをお前『私にあなたのご奉仕をさせてほしいわ』だもんな」


「~っ、その話はもう終わったじゃない。見解の相違よ」


 頬を赤く染めながら、睨みつける。


「あの言い方は誰でも勘違いするだろ……」


 そう、俺たちはあの日。

 友利の提案で『朝と夜』のご飯の時だけ、共同生活を送ることになったのだ。



###



「私、あなたの隣の部屋の202号室の住人なのだけれど」

「ああ……。……は?」


 (……今なんつった? 俺の隣の部屋!?)


「私にあなたのご奉仕をさせてほしいわ」

「……ご奉仕って、はぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 ご奉仕って、あれか?

 よくネットとかSNSでよく見る売春とかパパ活とかっていうあれのことか?


「バカか、やるわけねーだろっ!」

 

 いやいや、相手は高校生だろ。

 普通に犯罪じゃねーかっ!

 

「理由ならあるわ、聞いて」

「……。聞くだけ聞いてやる」


「まず私にはお金がない。理由は訳あって一人暮らしなのよ」

「高校生が訳あって一人暮らし、ね」


 ニュースで見たことがある。

 なんでも、そういう行為をすることで小遣い稼ぎをしている、と。

 事情はどの家庭にもあるだろうが、こいつもそうなんだろうか。


「だからって、お前……。ご奉仕って……今まで経験はあるのか?」

「あ、あるわけないじゃない……。初めてよ」

「だよな、お前さっき処女って言ってたし」


「……? なんでそこで私の処女の話が出てくるのかわからないけれど……。それに久瀬さん、あなた働きすぎで栄養がロクに取れてないと見えるわ」


「それは否定できん事実だな。事実コンビニ弁当ばっかだし」

「でしょ? だから、その……。ご奉仕をさせてほしいのよ」


「いや、だからってそれが理由にはならんだろ。いくらお金のためだからって俺はお前みたいな女を抱くつもりはねーよ。犯罪じゃねーか」


「は……? あなたはさっきから何をいって……って、違うわ。ご奉仕ってそういう意味じゃなくて、あなたに栄養のあるご飯を毎日作るから、私に少しだけ食事の援助をしてほしいって意味よ!」 


「あ、あー……。そういうこと」

「~っ、私も勘違いさせる言葉選びをしてしまったのは謝るけれど……その」


 自分がとんでもないことを言ってしまっていたことに友利は顔を赤らめている。

 

「いいよ、別に飯代くらい俺が出してやる。救ってもらったお礼だ」

「ほ、本当かしら?」


「ああ、むしろ命を救われたんだ。そんなんでいいのかってくらいなんだが……」

「いいえ、必ずこの恩は返すわ。それじゃあこれからよろしくお願いします」

「ああ、わかった」



###



 そんなことがあって、今に至るわけだ。


「ほんと、助かるよ」

「それは私の台詞なのだけれど……ね」


 こうして家に帰ると。

 友利が「おかえり」と言ってくれるのはなんだかくすぐったい。


「……あ、そうだ。言い忘れてたわ」


 ……が。

 なによりも。


「――お仕事、いつもお疲れ様です」

「……おう」


 このやり取りだけは、まだ全然慣れる気がしなかった。


「あからさまに照れないでちょうだい、バカ」


 軽く肘で脇腹を小突かれる。


「慣れてないんだから無茶言うな」


 仕返しに、肩に軽くポンと手で叩き返す。

 ずっと一人だった部屋に誰かがいる。

 

 ――お疲れ様、と。


 労ってくれる人がいる。

 たったこれだけなのに……。


 じっくりと心が温まっていく感覚がして。

 それが、堪らなく嬉しくて。

 仕事で疲れ切った身体の疲労が、少しだけ吹き飛んだ気がした。



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