第2話:出会い


 時刻は深夜2時を過ぎたところだった。

 当然電車はなく、徒歩で家に向かっていた。

 タクシーで帰ってもよかったのだが……。


「はぁ、どうして今日に限って捕まらねーんだよ。くそっ」


 ボーッと疲れた体を無理矢理動かしながらなんとか歩を進める。 

 寒空の下、一人歩き続けるのは中々しんどい。

 

 指先は冷たく凍りそうなくらいに体は冷え切っていて、ため息と共に吐く吐息が俺の視界をより一層白く曇らせた。 

 

 熱があるのか、それとも疲労からか。

 今にもぶっ倒れそうだ。


 それでも必死に歩き続け、なんとか自分の家の前まで辿り着いたのはいいが、このときすでに体力は尽きかけていた。


 (やべぇ……。本格的にフラフラしてきやがった)

 

 なんとか手すりに捕まり、二階建ての一番左端に位置する俺の部屋。

 201号室まで辿り着くために階段を上っている最中のことだった。

 

「あっ……」


 それは不意に起こってしまった。 

 雪のせいか、はたまた疲れのせいか。


 片足を踏み外してしまい、自分の体が階段から落ちてしまっていたのだ。

 その瞬間、時が止まったかのように。

 すべてがスローモーションに、時が過ぎていくのがわかった。

 

 目線は月が綺麗に見える真っ黒な空。

 真っ白な雪が鼻先に当たった気がした。

  

  (ああ……。下手したらこれ、死ぬな)

 

 直観的にそう思った。

 目を瞑り、死を覚悟すると同時に衝撃が体を走った。

 そして、一瞬世界が暗闇に変わり意識が飛んだはずなのだが。


 想像していた以上に痛みが少なかった。

 まるで、誰かの胸に受け止められたような。

 そんな感覚だった。


 (なるほど、死ぬ時ってこんな感じなのか……)

 

 なんて、呑気に思っていると。

 突然、俺の目の前に女の子が心配そうに覗き込んできた。


 ――その瞬間、何もかもが衝撃だった。


 心配そうに俺を上から見つめる硝子細工のような整った顔立ち。

 海のように深い群青色の瞳は、宝石のように綺麗だった。


「……大丈夫かしら?」 


 腰まである長めの黒髪が空から降る雪と月の光で淡く艶めいている。

 細く綺麗な指先を俺の頬にそっと当て、痛みを取り払うように何度も撫でてくれている。


 ……ふと、こんなことを思った。



「――まるで、小説みたいな出会いだな」



 おいおい、俺は出会い頭に一体何を言っているんだろうか。

 夏目漱石っぽい口説き文句だなと後になってから気づく。 

 

 女の子は可愛らしく首を傾げながら、きょとんとした表情を見せたあと。

 仕方がないような、それでいて呆れた笑みを浮かべた。


「くすっ、夏目漱石の真似事? なんてラノベのタイトルなのかしら?」


「ブラック企業で働く俺。死にかけたら女子高生に拾われる、かな。略して。どうもありがとう」


「……呆れた、あなたの今の状況がわかるタイトルね」

「悪い、あんたが受け止めてくれなかったら正直やばかった。今どくから……痛っ」


 起き上がろうとすると、体中に痛みが走る。

 打ち所が悪かったのか、利き腕である右手の力が特に入らない。


「捻挫しているわね……。上手く受け止めてあげられなくてごめんなさい」

「いやいや、謝るのはこっちの台詞だろ。その、膝枕までしてもらってさ」


「~っ、5分毎に1万円ずつ請求するから大丈夫よ」

「まさかの有料っ!? ぼったくりの限度を超えてやがるっ!?」


「くすっ、冗談に決まってるじゃない」

「……あんた、いい性格してんな」


「近所でもあの子は、とてもいいぼったくりをしてくれるって褒められるわ」

「どんな近所だよっ、普通に怖ぇわ! ……っ」


 (やべぇ、全然知らない女の子にツッコミ過ぎたら余計に頭がフラフラしてきやがった……)


「救急車、いる?」

「いいや、少し休めば大丈夫だと思う」

「……そう。それじゃあ少し仮眠したら? 目が死んでるわよ」


 そう言って、俺の瞼をふわふわとした柔らかい手のひらでそっと塞ぐ。

 一瞬、ほんのりとミルクのような甘い香りがした。


「おい……」

「寝てていいわよ、ちょっとしたらまた起こすから」


「……いや、そうもいかんだろ」

「怪我人は無理しないことよ、あとのことは私に任せておきなさい」


 正直、魅力的な提案だ。

 連日の連勤で、このまま寝てしまいたいくらい睡魔にも襲われていたのも事実だ。

 

「……。じゃあ、少しだけ」

「ええ……」


 疲れと心地いい柔らかな感触が眠気を誘いながら……。


「よかったら、最後にあんたの名前を聞いていいか?」

「……もしかして、口説いてるのかしら?」


「白いバラのつぼみをプレゼントで贈るレベル、かな」

「恋をするには若すぎるってことかしら? 随分とお洒落な言い回しね」


「……花言葉、知ってんのかよ」

 

 なんかの雑誌で見た知識をそのまま披露したら、まさかの返しだった。


「ええ、嗜む程度だけれど」


 そう言いながら、俺の視界を塞いでいた手のひらをそっとどけて、慈しむような笑みを浮かべながら答えてくれた。


「――空門友利そらかどともり

「え?」


「名前」

「ああ……、名前」


 あまり聞いたことがない苗字だな。

 それに……。


「綺麗な名前だな、初めて聞いた」

「……もしかして、本当に口説いてるのかしら?」


「初対面相手に口説くかよ……。漢字はどう書くんだ?」

「天空の城ラピュタの空に、羅生門の門で、空門そらかど。友を利用する、で友利」


「その自己紹介、無駄にかっこいいな」

「ふふっ、よく言われるわ」


「ドヤ顔だし……。じゃあ友利」

「いきなり呼び捨てなのね……。まぁ、いいけれど……あなたの名前は?」

「は? なんで」


「なんでって、私だけ名乗るのは不公平じゃない」

「勝手に名乗ったのはそっちだと思うんだが……」


「細かい男は嫌われるわよ?」

「……はぁ」


 俺は咳ばらいをしてから、自己紹介をする。


「俺は久瀬響くぜひびき、25歳の社会人だ」

「漢字はどう書くのかしら?」


「久遠の久に、瀬戸内海の瀬。響は…そのまんま」

「……29点ね」

「ギリギリ赤点じゃねーか」


「でも、確かに『久瀬さん』って顔してるわね」

「……どんな顔だよ」


「久瀬さん、久瀬さん……ええ。もう呼び慣れたわ」

「いきなり呼びだすし……」

「ふふっ、私に名前を覚えてもらえるだなんて光栄に思いなさい」


 そう言って、友利は胸を張った。

 大きな山が二つ、ふっくらとしたものが目立っていた。


 すると、俺の視線が胸元にいっているのが伝わったのだろう。

 すぐに怪訝そうな表情に変わり。


「……~~っ、セクハラで訴えるわ」

「自分で胸張ってアピールしておいて、それは理不尽すぎんだろ」


 くっ……。

 これが、噂の万引力の力か。

  

 ……それにしても。


「ふぁ……」


 (ああ、ヤバい。マジで眠い……)


 何度も欠伸が出てしまう。

 それに、頭は痛いし眠いしで、色々と限界だった。


「悪い、マジで一瞬だけ寝かせてくれ」


 そう言って、俺は目を瞑る。

 流石に仮眠を取らないと限界だった。


「あとでちゃんと礼はするから…。5分でいいから……。頼むぞ」


 そう言って、夢の世界に旅立とうとする瞬間。


「え、ええ……。お休みなさい、それとちょっと遅いけれど……」



 ――メリークリスマス。



「……ああ、メリークリスマス」


 (メリークリスマスって人に言われたの、いつぶりだろうな……)


 そっと頭を撫でられながら、俺の意識はそこで途切れたのだった。




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