* SS クロの妙案

 クロのルーティーンの1つに朝、恵真を起こすというものがある。

 これは恵真より早く目覚めたクロが空腹と寂しさから恵真を起こしているものだ。恵真とて29歳である。きちんと自身で目覚ましをかけているのだ。

 だが毎度その時間よりクロが早く目覚めるため、起こして貰う形となっている。


 さて、今日もクロは恵真より早く目覚めた。

 カーテンの隙間からほんの少し朝日がベッドの恵真を照らしているが、彼女はまだすやすやと眠っている。

 クロはぐいっとしなやかな伸びをするとベッドへ飛び乗る。テトテトと枕元に向かったクロは小首を傾げて、寝ている恵真を見つめる。

 ちょこんと肩の近くに座ると前脚で恵真の頬をふにふにと押す。大抵の場合、この時点で恵真は目覚めることが多い。

 だが、今日の恵真は反応がない。それだけ深い眠りについているのだろう。


 それならばとクロは「みゃう」と鳴く。

 どんなときもこうしてクロが鳴くと、恵真は「どうしたの?」と優しく声をかけてくれるのだ。クロは当然の事として恵真が目覚めるだろうと静かに待つ。

 だが、どうしたことだろう。今日の恵真は手強くなかなか起きようとはしない。

 仕方なしにクロは恵真の頬をなめる。起きているとき、恵真はこうすると笑いながら頭を撫でてくれるのだ。

 しかし、恵真はぐっすりと寝入っているようでまったく反応を示さない。


 クロは少しばかり腹を立てた。

 空腹なのも手伝ってここまでして目覚めない恵真を何とかして起こしたいと思ったのだ。

 ふと、上を見れば本棚が目に入る。そこから少し目線を下げればベッド脇には小さなサイドテーブルがある。そしてその横のベッドで恵真はすやすやと眠っている。

 再びクロは伸びをする。俊敏に飛び上がるとベッドからデスクテーブルへ、そこから更に上へ、目的地である本棚の上へ到着する。

 そこから恵真を見下ろしたクロはもう一度「みゃう」と鳴く。すうすうと寝入っている恵真にはクロの声は聞こえてはいないようだ。

 最後通告を終えたクロはひゅっと目標地点へと飛び降りる。着地点はそう、無防備に眠る恵真の柔らかな腹部だ。



 「うぐっ!!」


 

 クロが華麗に舞い降りると共に、恵真から悲痛な声がする。

 こうしてクロは恵真を起こすという毎日のルーティーンを今日も無事終えたのだった。




*****




 「…というわけで今日はお腹が痛いの」

 「そうなんだ…」

 「大変でしたね」


 恵真は今朝の悲しき目覚めをアッシャーとテオに話す。起床後、痛みに1人耐えた恵真だがこの驚きと痛みを誰かに少しでも理解して貰いたくなったのだ。

 恵真にとって嬉しい事にアッシャーは心配してくれている様子である。だが、テオは何か違う事を考えているようだ。


 「どうしたの、テオ君?」

 「んー、でも言ったらお兄ちゃんに注意されるかなって」

 「俺に?別にしないと思うけど…」

 「うん。テオ君、言っていいよ?」

 

 2人の言葉に安心したような様子でテオはにこっと笑う。その可愛らしさに恵真もつられるようににこりと笑う。

 だが、テオの口から零れたのは予想外のことだった。


 「エマさんもまだ自分で起きられないんだね!」

 「え!」

 「テ、テオ?」

 「僕とおんなじだね!」


 目を大きく見開く恵真と慌てるアッシャーをよそにテオは納得するようにうんうんと頷く。アッシャーは慌てながら、恵真を必死でフォローする。


 「テオ!えっと違いますよね。大丈夫ですよ!エマさん一生懸命働いているから、朝起きられないんですよ!」


 そんな必死のフォローを聞いたテオが小首を傾げながら、ぽつりと呟く。


 「じゃあ、やっぱり僕とおんなじだ」

 「うっ!」

 「テオ!」


 テオの言う通りであるため、アッシャーも恵真もそれ以上否定は出来ない。

 いや、正確に言うならば恵真は起きようとしているのだ。目覚まし時計だって毎日かけてはいる。だが、クロが毎度それより早く目覚め、朝食を催促するのだ。結果的に毎朝クロに起こして貰う形になってしまう。

 29歳にしてテオと同じだと断言された恵真は自らの不甲斐なさと未だ残る腹部の痛みに二重にダメージを受けている。


 そんな3人の様子を見ていたリアムとバートは互いに目を合わせ、頷く。やはり恵真が高位の立場であることは間違いがないのだと。

 身の回りの世話をする者がいる身分であれば、起床から就寝まで誰かがついてくれるものだ。自ら起きる必要などない。これはその名残であろうと。


 アッシャーとテオにも、リアムとバートにも誤解された恵真だが、本人はそれに気付いた様子はない。

 恵真の頭の中を今占めているのは、今度このような起こされ方をしたときのために、お腹にバスタオルを巻こうかということだけだ。


 ソファーの上でまどろむクロはまるで自分には関係ないことかのように、のんびりとあくびをして心地の良い眠りへと落ちていくのだった。

 

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