トミー 我が家のトマトは動き出す②

 しかし次の日、枕元にマスコットが立っていた。

「おはようございますご主人様!」

「ゔあ!」

いつもならベッドからなかなか抜け出せないにも関わらず、この時は上半身を思いっきり起こした。私にそんな瞬発力が残っているとは。驚きだ。

「ト……マ、ト?」

「はいトマトです!」

トマトは期待で満ち満ちた輝ける瞳を浴びせてきた。朝日よりも眩しい。やめて、そんな目で見ないで。

 いや、これは夢だ。きっと昨日飲んだ缶ビールがまだ頭に残っているんだ。そしてトマトと喋るという謎なことをしているのだ。

 でも時計は7時を指している。早くご飯を食べて出勤しなければ。この際、夢か現実かなんてどうでもいい。「ここは夢だと思ってました」と言い訳して遅刻する羽目になるのが、一番シャレにならない。

「ご主人様! 何か用事を申しつけてください!」

顔を洗って着替えて、昨日作り置きしていたカレーをレンジでチンして食べていると、トマトが言った。

「うん、じゃあ今度からトミーと呼ぶことにするよ」

アメリカ式にトマトを発音すると、「トミーロゥ」になる。だからトミー。あまり仕事ができなさそうだったら、「トレロカモミロ」に名前を昇級するつもりだ。

「はい! トミーです!」

トミーは嬉しそうに返事した。うん、いい感じだ。トマトという得体の知れないものと会話している雰囲気が薄れる。

 出勤前に、トミーがちょこちょこやってきて、

「ご主人様、何かすることはありませんか」

と言った。

「すること、ね……」

 トミーを乗っけておくのに、ちょうどいい高台がないかと思ってキョロキョロと見渡す。壁にかけている小型の仏壇を見つけた。祖母から「持っていけ」と押し付けられて、とりあえず設置したものの、そのままオブジェと化している。私は両手で彼女(?)をすくいあげると、仏壇の空間に乗せた。

「よし。今日、上司に叱られないように祈っといてね。私の精神安定に貢献するんだ」

「はい、かしこまりました!」

我ながら、なかなかいい案だと思った。サイズ感的にもちょうどいい。この高さから一人で降りられないだろうから、変なことも起きないだろう。

 最大の懸念事項に対策を施した後、私は出勤した。トマトのおかげ(?)か、今日は上司に叱られる事態は起きなかった。

「昨日叱ったから気にしてるのかな。ハハ、いい気味だ」

しばらく気まずくなっとけ、と不謹慎なことを思いながら自宅のドアを開ける。もちろんミスを犯したこと自体は自分の責任だから、ただのささやかな腹いせだ。

 一人暮らしになってから、独り言が増えた、と思ったところで、

「そういえば」

トミーの存在を思い出して、仏壇を見上げる。

 しかしそこにトミーはいなかった。

「あれ、成仏した?」

ぼそっと憶測で独り言していると、

「ご主人様!」

トミーはリビングから走ってきた。相変わらず純度100%の笑顔を見せてくれるあたり、濃縮野菜ジュースより体に沁みてくるかもしれない。

「どうやって降りたの?」

「飛びました!」

高所から落ちても怪我しないとか、昆虫のアリですかと、どうでもいい雑学が脳裏をよぎ裏ながら、

「……そっか」

私はそう答えた。もうツッコんではいけない気がする。

 しかし気になる。

 トミーは一体何者なんだろう。トマトの不成仏霊かと思ったが、違うのだろうか。

 今日は動画配信でも見ようかと思っていたけど、トミーの生態の方が気になりすぎた。




 私は椅子に腰掛けて、これも祖母が引っ越しの時に段ボールにねじ込んでいた仏教書を一冊広げ、パラパラめくってみた。


 とん(むさぼり)・じん(怒り)・(ものの道理がわからないこと)・まん(自らを高く見るおごり)・(仏教の真理を疑うこと)・けん(邪悪で誤った見解)を六大煩悩という。


 この六台煩悩が欲望となって人間を苦しめるのだそうだ。ふむふむ。当たり前だけど、トマトについては書かれていなさそうなことがわかった。

 そして、煩悩と言ったって、トミーはそこまでひどくないだろう。

 「強欲のトミー」とか……ゲームの二つ名にありそうだけど、絶対こんなメルヘンな絵柄じゃない。世界観崩壊の危機にさらされてしまう。

「いやあ、わからんねえ」

「ご主人様?」

 トミーはオドオドしながら私を見つめている。

 しいて言うならば、どうしてそんなに仕事しようとするのか、ということだ。トミーを見ていると、「もっと仕事しろ」と責め立てられるような感覚がする。純粋な姿を見て勝手に傷ついているのはこっちの方だけども。

 「立ち向かう人の心は鏡なり」というように、トミーから何か学べということなのだろうか。

「ご主人様〜」

私はいつしか本をおき、スマホを手に取って動画を撮っていた。しっかりとスマホの中にもトミーが写っている。トミーは何をされているのかわからないらしく、キョトンと首を傾げている。

「トミーはどこから来たの?」

「……?」

「気づいたらいたの?」

「いました!」

元気よく答える。私は大した期待もせず、次の質問をした。

「どうしてそんなに仕事しようとするの? 誰かから言われたの?」

「仕事して、みんなに幸せになってもらえたら、トミーも幸せだからです」

私はギョッとした。仕事即幸福とか、本多静六か、ヒルティか。いや、別に言葉自体が珍しいわけではない。常識あるビジネスパーソンなら、誰だって口では言えるだろう。しかしトミーは、それを純度100%で言ってのけたのだ。理想を信じ切れるトミー。これは将来大物になるかもしれない。

「じゃあ仕事する?」

「はい!」

今日の夕ご飯は最後のカレーだ。鍋に残ったカレーをほぐすために、おたまをかき混ぜてもらうと、サイズ感的におたまに振り回されていた。

 後日、この動画を大学時代からの友達に送ってみた。

「コマ撮り? うまいね」

たまたまスマホをいじっていたのか、すぐに彼女から電話がかかってきた。

 私は慌てて訂正する。

「違うよ。そんな面倒なこと、私はしないから」

「そうだよねえ。だからびっくりしちゃった。そんな趣味があったなんて。しかもマスコットなのに社畜人間なのが……このまま過労死しそう」

「違う違う」

と言ったが、「ええ、ほんとう?」と受け入れてもらえなかった。

 そのコンセプトでネットに公開すれば、バズるかもしれない、とは思ったが、トミーを食い物にするのは……と気が引けたのでやめることにした。いや、もともと食い物か、トミーは。頭がこんがらがってくる。

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