野花は摘んでよいものか

 チカは五時間目の時間、車通りのそこそこ多い、街の道路を歩いていた。

 別にサボりじゃない。野外活動の一環で、クラスにみんなでゴミ拾いをしているのだ。紙製のトングと半透明のビニール袋を手渡され、道路に落ちている紙くずや空き缶を回収していく。

 チカはゴミ拾い半分、散歩半分の気持ちでやっていた。真面目な子はズンズンと進んで回収していくから、チカの袋にゴミが入る回数は少ない。そこまで重くならないから、行きも帰りも手荷物が軽くて楽だな、くらいにしか思わなかった。ああいうタイプの人間は偉いもんだと思いながら、景色を楽しむ。

 ふと横を見ると、車道とは反対の斜面の土に、花が咲いているのを見つけた。夏が終わりかけている時期に咲いたアザミは涼しげで、観賞用の花々とは違う魅力を感じた。野生の持つたくましさと美しさが、紫がかったピンクに濃縮されている。

 チカは部屋に飾りたいと思って、一本頂戴した。するとすかさず近くを歩いていた男子が注意してきた。

「かわいそうだよ」

突然注意されたのもビックリだが、男子が花に同情するのにも微妙なショックを受けた。かわいそうだって、そんなこと……花屋の切り花だって根と茎を切り分けられているわけで、それについてはどう思うのか。愛でるために切断され、鑑賞するという、その流れは野草だろうと生花だろうと変わらないはずだ。

「……」

「いーけないんだ」

まるでお前は人間の心がない、みたいな主張に、チカは冷徹な視線を返した後、戦略的無視を決め込んだ。男子と気まずい空気が流れたが、無言には慣れている。このまま地面に返そうかと一瞬心が揺れたが、それこそ「かわいそう」な気がして、チカは初志を貫徹することにした。

 教室に帰って、紙コップに水を入れ、それを大事に持ち帰る。水に浮かんだ植物を見ながら、なんとなく「いーけないんだ」という言葉が印象に残って、「何が、彼をその発言にまで至らしめたのだろう」とチカは考え始めた。

 彼は植物に感情移入したと考えられる。

 摘まれる際の花の苦痛を想像した結果、「花を摘むこと=悪いこと」という思想が生まれた。もしくは家庭環境により、親にいけないことと言われてそれが「常識」になったか。

 それに対してチカは抵抗なく摘む行為に至ったのは、「花を摘むこと=悪いこと」という思想が全く存在せず、むしろ「愛でられるためなら摘まれても構わない」だろうと花に対して無言で了承を求め、花の無言を承諾とみなして摘み取った。チカの中では花との取引関係が空想上成立していたことになる。

 なのに、そこに水を差されたとなっては「お前は芝刈りも、収穫も悪だと見なすのか、だったら抗議しに行ってこいよ(しないくせに)」と過激なことを言って反論したくなる。


 植物にとって、その場で成長して花を咲かせた後に枯れるのが幸せか、花の状態で摘み取られ、愛でられた後に枯れていくのが幸せか。人によって幸せの形が違うように、植物によっても答えは違うだろう。

 正直どっちでもいい気はするが、世の中にはいろんな考えの人がいるものだと思うと、面白いと感じた。

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