のたうち回って(Ten Different Ones)

赤川凌我

のたうち回って(Ten Different Ones)

『のたうち回って(Ten Different Ones)』

赤川凌我


神の細胞

 全てが思い通りになるなんて世界はあり得ない。僕は赤我(せきが)という青年で、うつ病と診断されている。うつ病というのは無論望んでなったものではない。僕は幸福な人生を送りたかった。しかし大学に入学して少し経過した頃から一人暮らしの生活と人間関係の不和軋轢から僕は自分の精神に異常が生じるようになった。統合失調症とは違ってうつ病は病識を持てる当事者が多いとされている。しかし僕が実際に受診したのはある程度症状が重篤化してからだ。もうその頃には一日中ベッドに仰臥して睡眠を取る事が出来ない日々が継続していた。大学は専ら休むようになった。僕は小学校、中学校、高校と皆勤賞を取る位の学生であったが大学生になってうつ病のせいでよく休むようになった。生来の僕の生真面目な性格と繊細な性格が更に僕の人生観を暗くさせた。

 僕は人から嫌忌されているとその内に思うようになった。そして精神科への人生初受診と軌を一にして僕はSNSにおいて僕が友達だと認めていた人々からいじめられているというのを大人しそうなそのグループの成員から僕は聴いた。思い込みと偶然が重なったのである。僕は悲嘆に暮れた。うつ病という問題が暗礁に乗り上げて勉学にももう打ち込める余裕がなかった。また人間関係を一新したいと僕は思った。それは僕にとっての逃げだったと思う。

 「あんた大丈夫?すごい顔が険しいよ。眉間に皺も寄っているし」僕は実家に帰省した時に母からそう言われた。「まあうつ病だからね」と僕は答えた。しかし自分の人生が上手くいかない事を一括してうつ病のせいにするのも僕の倫理法則的に許されるものではなかった。また僕は高校時代はカフェでバイトをしていたのだが大学時代は色々な不幸が重なってアルバイトが出来なくなった。僕の診察内容を見れば働けないのは医師にとっては一目瞭然だと思う。

 また僕の肉体は何故か大学以後に成長したらしい。うつ病とその事に関係はないとは思う。僕の姉からは「あんた身長高くなりすぎ」と言われたし、僕の母からは素足で背を比べた時に「デッカ!」と驚かれた程である。また僕の父親からは「ジャイアント馬場みたい」と言われたりもした。別に顔面がああいったジャイアント馬場のような巨人症になった訳じゃない、僕の顔面はどちらかと言うと整っている方だし。

 僕は故郷に帰省した時に濃密な色彩のパレードを見た。その時は秋であった。もう残暑は過ぎ、暮らしやすくなっていた時分であった。僕は美しい自然を見ながら今後どうやって生きていくかを深く考えた。ある時は公園で、ある時は自室で。大学の勉強についていけるとは思えない。そもそも大学の友達も上皮だけの愚にもつかないものだという事が判明したのだ。いっそのことこの故郷で就職して実家に暮らしていようかな。しかしもう20そこそこの男が実家で暮らすなんて情けない。女性も実家暮らしの男は嫌いだと聞くし。そう考えている内に僕は自分の将来を自分の力だけで決めるのは時期尚早であるように感じた。もっと誰かからの手助けを借りなければならない。それは直接的なものでなくても良い。間接的なものでも良いのだ。

 そして僕は大学を中退した。少し心残りだったが人生は様々な形があるのだ。別に大学をドロップアウトしたからと言って人生が終わる訳ではない。当時の僕は心からそう思った。またうつ病になってからは小康状態の有無に関わらず部屋で泣く事も多かった。

実家で暮らしていたある時良いニュースが飛び込んだ。なんと僕の好きな小説家で彼の作品を多数愛読しているM先生の講演会がこの故郷の地において開かれるらしい。しかも参加費は1000円もかからない。地元の図書館に併設された大講義室のような場所で行われるらしい。故郷に戻って来たころ僕はM先生と運命的なつながりがある。血脈的な意味ではなく何らかのカルマがあると思っていた。必ず会えると思っていたのだ。彼の著作を図書館で貪り読む日々。何故か僕は彼と親友同士のような気分になってきた。そんな中でのこの機会である。僕はこれが偶然であるとは思えなかった。神の細胞のようなものが僕に移植されているように思えた。神なんて大それた言辞を使えば統合失調症の妄想のように聴こえるかも知れない。しかし精神病というものは私見ではグラデーションだと思う。典型的な疾患のみを精神病として分類するのではない。僕はそう思う。

僕は有頂天になって家族に嬉々としてこう報告した。「M先生、ここに来るよ。僕彼の大ファンなんだ。人生なんてつまらないものだと思っていたけど、こんな良い時もあるんだねえ。人生は悪い状態がいつまでも続くわけじゃないという証左だねえ。いやあ本当に嬉しい。しかしこの運命の玄妙。本当に生きていて良かったよ。僕の青春は彼と共にあったし。通学の電車内でずっと読み耽っていた頃もある」

僕の母親は「良かったわねえ」と言った。何故か彼女も嬉しそうだった。僕はうつ病になってから元気な姿を見せる事がなかったからだろうか。父親も嬉しそうだった。僕の兄弟はその頃皆大学か成人として遠方で暮らしていた。したがって実家にいるのは僕一人である。盆休みや年末年始には彼らも帰ってくるだろうが僕は大層気分が良かった。僕は僕の好きな小説家の知らせがあってからは顕著にいつも快適な夜を過ごした。

 そして講演会の日がやってきた。待ちに待った講演会の日だ。僕は会場でM先生を見た。M先生は如何にも博識で達観してそうな雰囲気であった。何か本を携えて来ていた。おそらくこの講演会で朗読をする用であろう。僕は彼の言葉を一言一句聞き逃すまいとメモの準備をしていた。どんな高邁な思想も、取るに足らない日常茶飯事でも彼からの言葉は全て名言である。彼は正面の壇上に座った。聴衆は彼を出迎えるべく拍手をしていた。僕もそれに追従して拍手をした。

「どうも皆さん」標準語のイントネーションで彼はそういった。「今回は気候も冷涼で実に爽やかな日々ですね。この地域では多くの絶品な特産品が取れるらしいですし、警官も観光名所では素晴らしいと聞いています。私の故郷も捨てたもんじゃないですけど、この土地も悪くはないですね」

そして間を置き、彼はこう言った。「今回は私の作品について語るとの事でしたが、あまり饒舌に語れる気は皆無ですね。まあ皆さんがいる手前もあるのでなんとかやりますが。ところで今回の講演会は案外若者が多いですね。見た感じ40代までという印象ですね。まあ人の見た目と年齢は齟齬がある場合も少なくはないですからあまり断定的な事は言えませんね、失敬。ところで私はよくピンクフロイドを聴くのですが…」僕はそのM先生の言葉を聞き、反射的に立ち上がった。恐ろしい程の感動が僕の体を縦横無尽に駆け巡った。漲る力で立ち上がったのだ。周囲の人々は愕然としていた。M先生も一瞬驚愕したが、すぐに利発そうな微笑を浮かべた。僕は自分が立ち上がった事で周囲の顰蹙を買ったような気がして恥ずかしくなった。「いやあ、すみません。憧れの人が僕と同じピンクフロイドファンだとは思わなくて、感動してしまいました。それで極端な行動になってしまいました」

「そうでしたか」M先生はそう言った。「あなたは何歳ですか?」「23歳です」

「若いのにピンクフロイドのような玄人向きの音楽が好きなんてすごいね。私が学生時代の時もプログレが席巻していたけど、周囲の皆はあまり聴いていなかったよ」

「音楽は文学と同じくらい僕にとっての救世主なんです」まだまだ僕は先生と話したかったがこの場が講演会である事を考慮してそれだけの言葉に留めた。彼もそれを感じ取ったのか、「そうですか」と言った。彼の講演会はそこから長く続いた。小説家志望に送る言葉、最新の文学理論、独自の創作スタイル、過去の文豪の作品の魅力、敗戦とそこからの文学との関係、女性関係、自分が今まで読んできた本、などM先生の口から多くの事が語られた。まるで僕はそこが何か特殊な領域、聖域であるかのように思えて心地よかった。学生時代の陰鬱で、退屈で、不快な学習とはまた違った魅力がそこに鎮座していた。

そして講演を終えて、僕はM先生から話しかけられた。「君は非常に興味深い男だ。あの中でも一際異彩を放っていた。これ、僕のメアド、良ければメールのやりとりしようよ」

僕は嬉しかった。そこまで懇意にされるとは想像だにしなかった。それに趣味が一致しているという事も僕のこの控えめな神の細胞が引き寄せた運命なのだろうか。僕は今までの境涯を思い返してみてその悲劇性が今現在のこの場において拭われるような心地がした。「ありがとうございます。僕はM先生の大ファンなんです」

そうして故郷でのひとときは過ぎた。それは黄金の如きひとときであった。僕は自分の将来において何をすれば良いかまだ分からない。趣味で小説や詩を執筆しながら働ければ良いと思っていた。統合失調症や重篤な精神疾患の場合、余りにも症状が酷ければ碌に働く事も出来ないという事もあるだろうが、僕のうつ病は軽症であった。のっぴきならない程のネガティブ思考も最近はなくなっていた。頭も割と早く回るようになってきた。対人関係も普通にやり取りできるようになった。両親の用事を手伝ったたりすることもあった。僕はまずアルバイトからはじめてみようと思い、飲食店のアルバイトに応募した。その結果は採用だった。僕ならきっと人生が上手くいく。神の細胞の力によって何かを思い込めば偶然ではない、断じて偶然ではない現実が起こる。願いが叶うのだ。これは新興宗教のように聴こえるかも知れないが、人間の文化なんてものはまだまだ歴史が浅いものだ。如何に紀元前から始まったとは言え。そして僕は今後も生きる、可能な限り。


不良家電

 川凌は家事が出来る男である。幼い頃から家庭科が得意で、性格もいささか女性的で異性の友達も多かった。その中には肉体関係を持った者もいるのだがこの話にそんな事は関係がない。彼は16歳の時に精神病を罹患した。彼の主治医には正式な病名を言い渡される事はなかった。現代の精神医学では患者に下手なプレッシャーを与えるのを避ける為あまり病名を医師から患者に言い渡される事はないという。彼は精神病になってからは病的に自分の清潔感や自分の部屋の清潔度などを気にするようになった。彼はねぐらでは大いに静寂を好んだものであるがそれは彼の静謐で鷹揚な生活が基調になっているのかも知れない。実家から彼は高校に通学していた。しかし病気の症状からか人が怖くなり暫くの間学校に通えなかった。これでは良くないと判断した彼の親が通信制高校に彼を転校させた。彼もその方が良いだろうと親の判断に阿り、行動をした。実家は相変わらず綺麗で、害虫駆除にも余念がなかった。ゴキブリ一匹も実家では見かける事はなかったし、彼の掃除の手際の良さと言えば彼の両親も見た事がない水準の無類のものであったという。

 彼の精神病は彼の人生の質をやや低下させたものである。彼は同年代の人々と自分自身を比較し、失意のどん底にいる時も少なくなかった。しかしだからと言って現状を好転させるような努力や勉強などは陰性症状のようなものや認知機能障害のようなもので出来なくなっていた。甚だ生き抜くい世の中だ、と彼は思った。醜悪な巷、この娑婆苦に横溢した世界から僕は一刻も早く逃れたい。汚物は消毒したい。彼はそんな事ばかりで始終頭を支配させていた。異性の友人も精神病の発症から離れていった。彼はしつこいくらいに異性の友達に依存していた。告白紛いの事を本の遊び心でしたりしていた。友達は最初は彼の話を毅然と聞き、神経を逆なでしないように振る舞っていたが、途中でそれも煩わしくなった。しかもその友達は前の学校の学生である。彼女達にとって彼の存在は邪魔者以外の何物でもなかった。彼自身も人間関係において自分が充足される事はないだろうと思っていた。この情動の激しさは精神科に行っても、どんな最新の薬を服用しても収まる事がなかったのである。彼はほとほと困り果てた。そんな中でも、半ば病的に彼は家事をしていた。家事をしている間だけは自分が生きているのだと実感出来る機会のように思えた。

 彼は遠い昔の事に思いを馳せる事が多かった。中学生までは本当に何もない、平凡な男だったのだ。どこにでもいる普通の男だったのだ。それがなぜここまで変わってしまったのだろう。野卑な男どもとも頑として交流しなかった神々の罰か?神々は多様化を標榜するのか?ますます訳が分からない。彼は既存の理論や知識を通して神々の意志を語るのは非常にナンセンスなものだと思った。

 分かりやすい本を彼は好んだ。小賢しい本よりも、小説なら大衆小説を、そして自己啓発本の類の本は彼はずっと嫌忌していた。どうすれば良いのか、彼はずっとその事を考えていた。転校先の通信制高校では彼の成績は随一であった。教師も学生も吃驚の目で持って彼を見ていた。彼はそれまで成績優秀の扱いを受けた事がない。彼は狂喜乱舞した。自分の人生はここから始まるのだと本気で思った。そんな彼をせせら笑う者はもういなかった。

 ある時の事である、惨禍は突如としてきた。彼は用事で電車に乗らなければならなかった。そして駅の待合室で待っていた。他の待っている人は彼を除いて一人いた。彼はピーピングトムのような面持ちでその人をチラ見した。彼は携帯を一心不乱に触っていた。すると川凌の頭が途端に活発になり、無性に怒りが込み上げてきた。

「おい!」彼は咆哮した。すると座っていた男は吃驚仰天した。

「お前僕を馬鹿にしただろう?僕を最悪の男だと思っているんだろ?僕が気持ち悪いと思っているんだろう?僕は聞いたぞ、お前の悪口を!昨晩な。ふざけるんじゃない。自分には他人を嬲り殺す権利が保障されていると思っているのか?いい加減にしろ!一体誰からその権限を得た?ふざけるな!ええい、ふざけるな!」彼は炎のような弁舌で、怒気鋭くそう話した。男の方はしばらく硬直した、そして慌てて駅員を呼びに行った。

「ふざけるな!待てえ!そんなので許されると思ったか!人を馬鹿にしやがって、逃げるんじゃない、この痴呆男!」彼は男を追いかけた。男もその彼に気づき、鬼気迫る形相で駅員の個室に飛び込んだ。すぐさま駅員はさすまたを持ってきた川凌を取り押さえた。そして彼は警察に捕縛されるところとなったのである。警察では彼が精神的な異常があると判断され、精神病院に移送された。もうその頃にはいつもの物静かな川凌に戻っている。川凌は自分が暴れていた時の記憶が吹っ飛んでいるらしい。気が付くとこんな事態になっていた、と彼は気さくに補助員に話した。

 病院で医師との診察は終えた。そこには川凌の家族も同伴であった。本人にはあらゆる精密検査の結果、何らかの電波が彼の脳髄に病的に作用し、精神的な症状、ヒステリーのような症状を生んでいると説明をした。川凌は自分の非業の運命を呪った。診察中、自己憐憫と曖昧模糊な現実を考え、彼はすすり泣いていた。母親は男なのに泣くなと彼に言った。彼は分かっていると思った。

 医師から対策が取られた。携帯から出る微弱な電波や、他の多くの電波が彼の不調を読んでいるとし、特殊なヘッドフォンを医師は彼に授けた、これを使いなさいと言って。そのような器具が開発されていた事を周囲の誰も知らなかった。実は類似の病は現代医学においてぽつぽつと報告がなされてきたらしい。けれどもそれに応じた適切な対策は取られていない時に秘密裏に医学界とエンジニアが常駐する企業が手を組んでこの手の器具を作ったと医師から彼と母親に説明された。そのようなドラマがあるとは彼はつゆも思わなかった。これはすごい事になったと思った。同時に不安にも駆られた。自分の病気はセオリー通りのものではない。上手くいかない場合もある。犠牲者になって終わる場合もある。困った。これは非常に困った。彼は困った、困ったと思いながら念の為その日からヘッドフォンを装着するようになった。すると全ての症状は胡散霧消した。不思議な事であった。彼は非常に驚いた。彼を知る者も相当驚いた。前の通り一般受けする性格と習慣に戻った彼にはまた異性の友達が出来た。彼の身長は176㎝で並位であった、それが異性にとって絶妙だと好評を得た。彼は男くさい、いわゆる精悍な顔立ちではなく、女性らしい、と言うか中性的な顔立ちである。女性たちは彼に好意を寄せるようになった。彼自身もその事で自信を持つようになった。もう今や僕には何の病気もない。体格だって立派な、一人前のものになったのだ。きっとこれから先の人生は好転する筈だ。彼はそう思った。

 彼は進学を難関大学に設定する事にした、持久力も体力も集中力も病前のものに戻った彼は長期戦であっても自分はきっと勝利できるだろうと確信めいた思いがあった。また持ち前の家事能力を活かして清掃系や、調理場のアルバイトを始めてみようかと彼は思い立った。勉強についてもう分からない事は何もなかった。彼は少数の参考書を完璧にし、覚えるべき知識やテクニックは全て覚えた。彼の状況の悉くが彼に助太刀をしているように彼には感じられた。人生はヌルゲーだと彼は思っていた。

 ついでに話しておくともう電波遮断のヘッドフォンは生活で必要となる事はなかった。電波はどのようなものでも彼の脳髄を攪乱させる事はなくなった。また精神科への通院も無味乾燥なものとなっていた。医師からは彼はもう寛解状態だとされていた。その時に彼は自分のカルテを盗み見た。すると統合失調症の疑いありと書かれていた。彼は医学や心理学の勉強もしていた事もあるが、自分の病気が統合失調症だという事は思いもしなかった。どこかで医師がそう判断するだけのエレメントがあったのだろう。自分にはもう精神科医になるつもりはないし、別に不明な点があってもそれはそれで構わないと彼は思った。

 そして彼は難関大学に進学した。私立ではなく、国公立の、旧帝大の一つである。彼のその成功を彼の家族は泣いて歓喜した。それは彼が今まで頑張って生きてきた事を思えば当然の事であった。彼は泣いている両親の姿を見てちょっと不思議な思いをしたものだがそれは自分が親になれば分かる事だろうと思った。彼の好みは長身美人である、自分の背丈と同じくらいかそれ以上の。実際、彼は通信制高校卒業直前から176㎝の長身美人と付き合うようになった。彼は彼女が自慢であった。彼女も彼が自慢であった。彼らは相思相愛であり、お似合いのカップルだと周囲からは持て囃されていた。

 それから紆余曲折あって彼は社会人になった。彼はエリートとして多くの人々から認められるようになった。仕事も良く出来ていた。たまの休みの日や隙間時間には彼は妻子との過程で家事をした。彼は妻よりも家事が出来た。彼の作る料理は絶品であり、それを褒めたたえた彼の妻によって友達知人を集めた食事会は並々ならぬ好評を博したのである。

 ある日突然彼は大都会の雑踏の中で倒れた。そして病院に運ばれた。どうやら人体に有害な電波が心臓の血管に滞留しているという。彼はそんなことがあり得るのだろうかと一瞬面食らった。「先生、その病気は何て言うのですか?」

「まだ病名は決まっておらんのですよ。今回私が初発見者です」医師はにやりと笑った。こんな時にも学問的名声への貪欲を抑えられないのかと川凌は辟易した。

「その原因は?」

「おそらくあなたの病歴から、脳の電波への一時的なアレルギーが心臓に移ったのでしょう」

「しかし、僕はこれからも家事がしたいです。僕が家事をしている平凡な日常と、それを取り囲む素晴らしい、僕が愛する全ての人々を手放したくありません。このままでは僕は不良家電です」彼は涙交じりにそう言うのである。



ブルーメ

 「 弁護士のRさん、僕は精神病が死んでも尚治らなかった哀れな魂です。それでも僕は恋をしました。現実世界でうろうろとしている時に、超絶美少女が僕の眼前を通り過ぎました。僕は運命だと思いました。そしてすぐに彼女を監視することに決めました。幽霊が人々にくっつく事に巷で言われているような面倒な手段を講じる必要は実はないのです。それは霊媒師や宗教家が最も誤りやすい部分ではあります。霊媒師らが言っているのは自分に都合の良い理論であり、真理を貫き通すような明晰な知見とはほとんど乖離しているのが現状です。どうすれば良いのか、僕が考える事ではない事は確かですが。僕が監視していた美少女は非常に良い性格です。友人も多く、健気で優しい。少し性的な事に関心を持っている初心なところもあります。彼女は17歳らしいです、僕が監視し始めた頃は。彼女はしきりに誰かに見られている気がすると日記に書いたり、友人や家族に話したりしていたらしいですが、その証拠は見当たりません。誰もそれが亡霊によるものだとは考えつかなかったのがやや滑稽ではありますね。

 彼女が何かを食べている姿はまるで赤ん坊のようで思わず僕は手を伸ばして彼女を撫でてみたくなります。甚だ見ていて心地が良いです。彼女は勉強も出来ます。時には彼女が誰かに勉強を教える機会もあったようです。彼女は心から大学に進学したい訳ではなさそうでしたが東大を目指していました。僕も彼女の夢を応援しました。いや、僕だけが彼のどんな姿も、媚態も、一糸まとわぬ妖艶な姿も、歯に衣着せぬ物言いも全て理解し、共に生きられるのです。僕が現世にいない事が残念で仕方がありませんがそれでも僕にとって彼女は本当に大切でした。僕は性的な眼で彼女を見た事があります、しかしそれは最初の内でした。僕は彼女から離れる際にはついには性欲を伴わない愛を彼女に向けるようになっていました。

 彼女はゲームが苦手でした。彼女の苦手な分野を知る事も僕には非常に面白く、また愛らしい気分になる事でした。多くの人々から彼女は愛されていました。また彼女は進んで人助けをしたりしました。人望も人脈も彼女にはありました。おまけに運動神経もあったのだからこれはもう非の打ちどころがありません。僕は亡霊ですから睡眠は必要がありません。僕は彼女の妄想を彼女が眠っている時はよくしました。それは僕の生前の統合失調症の残滓なのでしょうか、それはどうか分かりませんが。幻聴もあります。亡霊に利く向精神薬の薬があるのか分かりませんが。しかし僕は自分以外で精神病の亡霊なんてものは聞いた事がありません。亡霊世界でもそうなのですから人間界でもそれは突拍子もない話に思えたりはするかも知れません。もしかすると小説になるかも知れません。安部公房は綿密に設定やプロットを、作業仮説的に決めて彼の不条理小説を書いたりしましたが僕の如き経験を賭けるのは安部公房タイプの小説家なのだと思います。

 さて、彼女の名前はゆかりと言うのですがゆかりはペットを飼っていました。犬でした。犬は亡霊の存在に半分気づき、半分気づかない性質があります。僕が生きていた頃、パラノーマルアクティビティなんてホラー映画で亡霊が来た時に犬がそれに対して吠える場面がありました。あれが幾分か感覚的に参考になると思います。ゆかりは本当に笑う姿も素敵です、厭味ったらしいところがなく、頭が明晰ではあるにせよ、誰かを故意に傷つけようとはしませんでした。僕の生前時代にあのような美少女がいたでしょうか?僕は生前には童貞で、彼女なんて一度も出来た事がないのです。寂しい話ですなあ。でも21世紀だとそういう男も珍しくないみたいですよ。女どもはこぞって僕のような弱い男を毛嫌いし、見下し、揶揄し、風刺しました。女性に権利が生まれてきた事の弊害でしょうか。今となっては僕にはよく分かりませんが。僕は生前にはいじめられてもいました。統合失調症の薬の副作用、オランザピンとかルーランとかエビリファイとかリスパダールとかのせいで体型は肥え太りました。僕の発症当時は身長170㎝くらいで、体重も標準値でしたが統合失調症のせいで容姿はみるみる内に醜くなり、女性からも同性からもいじめられるようになっていったのです。弁護士さん、理解出来ますでしょうか。僕がゆかりを監視した事もこのような悲しい僕の人生を考慮すれば当然の如く感じられると思うのですが。

 人は墜ちるところまで堕ちなければならない。坂口安吾もそう言いました。ゆかりも自分には堕落が必要だとしきりに彼女の日記に書いていました。僕の見られているとも知らずに。美少女を監視する趣味はどこかアダルトビデオのような展開に思われるかも知れません。すなわちそれは男のロマンであり、それを嗜む男は亡霊であれ生き物であれ変態という名の紳士なのです。

 今は22世紀ですか?色んな技術が生まれましたね。それらによって人々の生活は楽になりましたね。X-Dなんていうハイテク機器まで生まれて、世界中の人々が西洋文化をはめちゃめちゃにしようとしていますね。それに対してあると党の人々は我々の歴史を愚弄しているなんて言っていますね。しかし変わったのは社会の表層だけなのだと思います。安吾がそう言ったようにね。まだまだ人間の歴史なんてものは前途が長いものだと思います。人類滅亡論を唱える亡霊世界の賢者もいましたが、まあそこは色々な意見があるという事で。

 支離滅裂に思えるでしょうが、色々と話を僕にさせてください。ゆかりの目を見ていると神秘的なものを見ているようで吸い込まれそうになります。あれはフクロウの目にも似ています。フクロウと言えば僕が生前に飼いたかったペットのナンバーワンです。

彼女にはある時から霊能力を持つ愛らしい顔立ちの女友達が出来ました。彼女たちはいつも対談をしていました。学校ではそうでした。その友人からは「あなた、幽霊ついてるよ」なんてゆかりに言いました。ゆかりは驚いた顔をしました。そして「わかっていたよ」と微笑を携えて言いました。彼女たちはどうにかして僕を除去しようとしました。彼女たちは様々なパワースポットに行ったりしていました。僕にとっては無意味に見えるような事も彼女たちはやっていました。僕には霊能力者が俄然痴呆の女のように思えるようになりました。それが良い事なのかどうかは分かりません。

僕は生前自分の悲運に懊悩していました。その事を話せる友人はいませんでした。僕は統合失調症により対人関係をまともに構築する事が出来ませんでした。ユーモアなんて言える筈がありません。怖くて、怖くて仕方がないのです。僕は自分が攻撃されるのが怖くて、怖いからこそ友達も出来ることなく。中学までは僕は健全な友人関係を持っていました。今から思えば当時の僕は侏儒であり、侏儒なりの人間関係しか構築する事が出来なかったのだと思います。僕は誰かから助けて欲しかったのです。でもそれを言っても、勇猛に言っても、誰からも助けてくれませんでした。ゆかりにはそれが出来ている。僕はゆかりを見ていると本当に嫉妬心のような心も生じるようになっていました。

僕は反逆精神がありました。それでも今の僕はそれがありません。ただ虫のように死んでいく。カフカの変身の主人公のように。ゆかりにはそれに反して反逆精神がないようでした。厳密に言えば僕のような障害に対する反逆精神はあったようである。ある時僕は遂に成仏しました。何があったのかは分かりません。しかし視界が現実のそれではなくなりました。そして今ここにいます。僕は一体何をしたのでしょうか?僕の運命は、何だったのでしょうか?ゆかりは幸せでしょうか?そうですか、はい、はい。それなら良かった。僕は彼女の幸せを祈っています。生前に殊に僕が死亡する直前には参列者に友人と称する人物はいませんでした。あの孤独な空間の弔辞。思い出すだけでも寂しくて、悲しくて、馬鹿になりそうになります。いいえ、きっと僕は馬鹿になっているのでしょう。あの頃からそうだった。美に対する鑑賞眼が、生き物の世界と結合した、有機的に。それが僕のゆかりへの監視の全貌でした。監視なんてものは精神病理学的には窃視狂とでも言うのでしょうか?

僕はゆかりが本当に羨ましかったのです。僕には対人恐怖がありバスや、人が大勢いる空間にいる事はとんでもない不安や恐怖を抱えてしまうです。僕をこんな風にさせたのは神の意志でしょうか?弁護士さんは神とどのような付き合いで?え?神と付き合いはないって?なるほど、ますます分からなくなる。もう亡霊になっても世界は分からない事ばかりなのだと思うと本当に全部嫌になりますよ。

ゆかりは東大に進学出来たのですか?そうですか、出来ましたか、良かった。僕は成仏後も彼女の事が心配で、心配で。ところで弁護士さんは何故僕に話を聞こうと思ったのですか?そもそも何の裁判の弁護士ですか?そう、ですか。僕の無断監視の弁護士ですか。某れは自由に人々を監視して良いと僕は思っていましたが、それは僕の認識不足だったみたいですね。彼女には人生を享楽してほしいなあ。また功績も成し遂げられれば良いな。そして人類の歴史にその名を刻めば、歴史に名をのこす才色兼備に相違ありません。

もう僕の話は終わりです。言いたいことはもっとあるのですが。人々の潜在意識に呼び掛けたいことがあるとすれば、元気で、どうか無理をせず、と言いたいですね。無理をしないというのは僕が大切にしてこなかっただけに人生が瓦解していった要因ですからね。ではさようなら」


自動死行

 僕は死にたい。僕は高校時代に激しいいじめにあった。そこから人生は変わっていったように思える。しかしその数か月前から僕はおかしくなっていたのかも知れない。不眠の症状が強まり、よくイライラするようになった。多くの権威や体制に反発心を抱くようになり、SNS上では極端な主張、過激な凶行を取るようになっていった。そんな僕を見ていた連中は「彼は頭が遂におかしくなってしまった、勉強をしすぎたな」などと言って彼から距離を置くようになった。僕は寂しかった。しかし馬鹿とつるむのは僕の自尊心を大きく欠落させる要因の一つであった。僕は恋人も欲しかった。僕は中学頃から恋愛に目覚め学校のアイドル、マドンナなどに恋をしていた。しかし彼自身の控えめさから決してその恋が成就する事はなかった。僕の見た目は悪くない、身長177㎝で、顔面は某アイドル俳優のような顔立ちである。昔は僕の母親の友達に顔面を絶賛された事もある。もっともその時分にはまだ彼はチビであったが。

 僕は自分の寂しさを押し殺す意味で文学に没頭するようになった。進学後の高校では成績が大きく下がり、根暗な性格になっていた。中学までの僕は友達が大勢おり、彼の僕の家にはよく僕の友達が遊びに来たりしていた。高校時代の僕はあんな奴ら、僕が合わせてやっていただけだと思うようになった。それは実際そうなのであるが、他の人たちも同じだ。人間関係は道化も含んでいる代物であることを僕は理解しなければならない。

 僕は教師から頭を叩かれた。僕はある朝ホームルーム中に本を読んでいた。当時の僕は本以外に友達がいなくて本を読まないと不安だった。太宰の小説を読んでいたのだが、教師は僕を教団の前に立たせて全員の前で謝罪をさせた。そして性懲りもなく、そして僕が涙を抑える為に本を読んでいると教師は何か日誌のようなもので僕の頭を叩いた。それは不当な暴力であった。そこまでされるだけの事を僕はしていない。彼は「後で俺の部屋にこい」なんて傲岸不遜に宣ったが僕は彼の名前も部屋も知らない、彼自身の事に寸毫も興味はなかった。だから彼の部屋に行かなかった。どうして暴行を受けてまで彼の部屋に赴かなければならないのか、僕には彼の神経が皆目理解出来なかった。そしてその日を受けて、クラスメイト達の僕に対する冷ややかな目線、扱いはかつてない程に膨れ上がった。僕に平気で差別する人間もいた。どうにかして僕の尊厳を貶めようと様々な安易で粗末な手管をはかる者もいた。

 僕は誰かに怒鳴られると教師からの暴行を思い出す。そして死にたくなる。自分はこの世から去るべきなのだと思うようになる。全てのものが苦痛を伴って僕の前に現れる。そして狂おしいまでに輝いて僕の生命を脅かす。僕を抑鬱にして、僕の居場所はこの現世ではない事を雄弁に語るのだ。僕は生きる事にとてつもない大儀さと責任を感じるようになっていた。昔の文豪が自殺した事を僕は想いダスト自殺も手段の一つとして良いかも知れない、一計を案じても良いかも知れないと思うようにもなった。

 また僕はかなり不調になった。学校中では皆が僕に悪口を言うようになった。勉強する事すら困難になった。彼らは一体どういうつもりなんだろう、全身全霊で僕の人生を歪めようとするのは、棒に振らせようとするのはどういう理由があるのだろうと僕は思った。そして周囲の知人に僕は臆面もなく自分の症状を話した。そうするとそんな声はないなどと言った。いや、僕には確かに鮮明に聴こえる。こんなのはおかしい、何故僕がこんな目に合わなければいけないのか。もう僕は学校に通うことすら二進も三進もいかない。自分の人生が既に自分でコントロール出来るものではなくなった。巨大なプログラムが動いて僕の周囲の秩序を担保しているように思われた。多分自分は集団ストーカーにあっていると思うようになった。それでも自分がおかしいという病識はわずかながらあって、自分で精神科を受診するようになった。僕は自分のおかしな妄想や自分への加害経験など、また認知機能の障害もあって勉強が満足に出来ない事を医師に相談した。医師は女性の医師で僕は非常に彼女に話しやすかった。今は高校に通える状態じゃない、と彼女は僕に言った。僕もそうであるだろうと思った。

 僕は実家で長い間療養する事になった。高校を留年するのも嫌だし、今後、苦痛が蔓延る、若者の巣窟である高校に、しかも全日制に行けるだけの体力と精神力が僕にはなかったのである。僕は通信制高校に転校する事を考えた。外に出て大きな、不快な音を聴くたびに僕はびくびくしてしまう。叩かれたり、いじめられたり、不条理に自分が被害を受けているように感じてしまうのだ。僅かな刺激がスイッチとなる事、それが他の患者にとってどのくらい一般的であるか僕は分からない。僕はただひたすら辛かった。本も優しい内容の本や、余白の多い、薄い本しか読むことが出来ずにいた。

 診察も回数を重ねて僕の診断名は統合失調症であると医師の口から告げられた。僕は当時精神疾患の勉強をするべく医学書や心理学書、もっともこれは素人向けの書籍であるが、を読んでいた。僕は貪るように自分の病気について勉強した。勿論フロイト、ユング、アドラーなどの巨人にも僕は拝跪し、尊敬するようになった。僕も学問的名声を得たいと憧憬しつつ、でもこんな惨めな僕だと無理かもなと思う自分もいた。おそらく医師が僕の病名を伝えたのはそれを自己分析に役立てて欲しいという思いがあったからではないかと思う。一説によれば現代の精神医療では病名を患者に伝える事は漸次的に少なくなってきているらしい。

 統合失調症、旧名は精神分裂病。この病気は代表的な症状に陽性症状である幻覚や妄想がある、陰性症状にはうつ病のような症状が現れる、無為自閉、感情の平板化、抑鬱、そして認知機能障害、これは集中力、知的能力が零落してしまう症状である、それらは僕の今の現状にぴったりと符合する理論、説明であった。これほどまでに自分を的確に示した言葉があるだろうか、心理学ではバーナム効果と言って誰にでも当てはまる事を言うと、対象者が充足されるものもあるらしいが、僕のその時の状況がバーナム効果であるかどうかは今の僕にも分からない。

 僕は中学時代にダニングクルーガー効果で周囲の人間を盲滅法、獅子奮迅に見下していた。そうする事で心の均衡を保っていたのか、それとも他の理由があったのか僕には分からない。研究者の聡明な眼だと当時の僕をずっと瞭然に分析できるだろうと思う。

 刺激が重なるにつれ、僕の精神状態はおかしくなる事、それは薬で何パーセントから抑える事が出来るようになった。現代の医学は長足の進歩をしており薬もよくきく薬も開発されていたりしていた。死にたい気持ちは治まらなかった。幾つかのものが僕に生きろと言っているように思えた。医師、家族、本、偉人、その他色々。僕は生きるべきなのか、しかしこれ以上頑張っても苦痛が蓄積されるだけ、僕は自分の人生に筆舌に尽くしがたい痛痒を感じるようになったのである。もう嫌だ、もう生きていたくない、それは思春期におけるありがちな自殺願望の一種なのかも知れない。僕が統合失調症でなかったとしても僕のように死にたがる人間がいても不自然ではない。僕はただひたすら耐えるしかなかった。悪い時期はいつまでも続かない、粘り強く、ゆっくりと生きていくしかない、僕はそうも思う事もあった。

 ある日街を歩いていると女性が僕を見てこう喋っていた。「あのスラっとしているイケメンかっこいい」

「ほんとだねー、私アタックしてみようかな」

 イケメンとは僕の事なのだろうか、確かに顔は整っているけど、向精神薬によって太ったかも知れないのに、でも自分で思う程太っていないのかもしれない。そもそもこの音が幻聴である可能性も否定できない。いや、きっとそうだ、僕はただの塵芥だ。他人から褒められる訳がない。幻聴には良い幻聴もあると本で読んだこともある。

僕にはこういう経験もある。

僕が買い物をしているとレジに並ぶ婦人二人の内の一人が僕を見て「キモイ」などと言った。するともう一人の婦人が僕を見て「全然キモくないじゃん」と言った。悪口の幻聴が対話を伴う事は示されていたが、悪口を批判するような声を聴いたのは僕は初めてであった。僕は探偵でもないし、推理力が卓越している訳でもないし、病気により知的にも弱者であった、今もそうなのだが。したがってそれを僕が幻聴か現実の音かをしっかりと判断する事は出来ない。僕はもっと本を読んで、自分の思考を研ぎ澄ませていかないといけないと思った。あのキモイと僕に言った女の醜い顔、それは紛れもなく妖怪のそれであるように僕には思えた。

 僕は通信制高校に転校してから昔の友達の家を訪ねた。彼は僕を歓迎してくれた。そして自分と同じ高校に僕が入る事を知って心から嬉しそうであった。彼は紛れもなくオタクであった。いまもそうなのかは分からない。また他に彼は自転車やバイクに凝ったりもしていた。それはアニメや漫画の影響を受けたからか、普段の人間関係に影響を受けたからかは分からない。それから僕達はよく遊ぶようになった。

 ある日中学時代僕も遊んだことのある友達が電車に飛び込んで自殺した事を通信制の、旧友の前述の友達から知らされた。葬儀は既にとり行われていたらしい。通信制の旧友は僕よりも彼と昵懇だった人物だ。彼は「もっとあいつの話を聞いてやれば良かった」と嘆いていた。僕も物悲しい気分になった。それと同時にこの世を去る事が出来た、早逝する事の出来た彼を嬉しく思った。

 それからどれくらいの月日が経っただろう。僕は自分の人生に愛想を尽かして自殺した。それは日常の毒が底知れぬ悲観や病的なもどかしさを生んだからであった。今の僕はあの世からこの記録を更新している。

悲しい目で見る世界

 悲しい事。僕が統合失調症である事。病気だから多くの人々に避けられる。一時は自分の病を伏せたりしていたがそれだとかえって粗雑に扱われてしまう事。また僕の身長が170㎝しかないのも悲しい事。昔のいじめっ子達を身長で抜かしたかったがそうはならなかった。しかしスタイルは良く別にチビには見られていない。有名な面白いお笑い芸人と同じ身長である。少なくとも身長だけで得をする事は一つもない。統合失調症は僕の人生において僕を責め立てようとした。僕を精神病院に入院させた。僕から友達を奪った、僕の性格を歪にさせた、恋人が欲しいにも関わらず普通の人間関係もおぼつかない状態になってしまった。畜生、どうすれば良いんだよ。兄弟からは腫物扱い、昔通っていた学校も「私たちはあの生徒の為に何をすれば良いんですか」と僕の両親に聞く始末。まだまだ統合失調症が社会に認知されていない事が悲しい。僕はもっと悠々自適に生きたい、働きたい。しかし働く事も出来なければ、休み期間も暇でする事もない。普段から幻聴も聴こえている。僕は薬を飲んでいるというのにそれらがきいていないのが悲しい。僕は今24歳だ。まあ人生は長いんだからゆっくり休んで元気になれば良いとも思うが僕は何となく僕の社会全体を見る目が濁ってきた気がするのだ。

 僕は自分磨きの為に筋トレを欠かしていない。その為僕は段々とマッチョになってきた。マッチョになったら性格が変わるだろうと期待していたのだがそれが全く変わらなかったのが悲しい。運動も精神療法には良いと精神科医が居丈高に動画サイトで語っていたので僕はその言葉を信じて運動をするようになった。夏場は特にしんどかった。なるほど、確かに元気になってきたようだ。しかしそれによって僕の幻聴が止むことはなかった。僕は自分の通院する精神科の医師に幻聴を抑えるように薬を変更してもらおうと思う。

 この記録の翌日、僕は精神科に行き、自分の思いを伝えた。医師によればまだまだ統合失調症は治っておらず、回復期ではあるが寛解期ではないとの事だ。僕の統合失調症は15歳で発症した、すなわち破瓜型である。破瓜型は僕のような人々が多いらしい。僕もまだまだ統合失調症に関する勉強が足りていないと思った。また当事者同士で繋がって和気藹々と語りたいと僕は思うようになった。健常者では不可視の感情の機微や苦難が当事者にはより鮮明に、ありありと現れる事が多いのだ。

 僕は自立して生きられるようになった。障害年金から何とか生活費諸々を工面して糊口を凌ぐ暮らしが出来るようになったのである。僕は普段人や外が怖くて引きこもっている。こんなんじゃ恋人が出来る訳がない。しかし怖い、ジレンマだ。どちらを取るか、どちらを優先させるか、天秤にかけ、刮目しておくのだ。僕の母親は多忙である。僕は母親によくLINEでメッセージを送るのだが彼女はそれにいつも即座に返すという事はない。だからと言って僕の事を愛していない訳ではないと思う。僕はどうにかして日々の孤独を休ませるべく、エッセイをワードに書いて、それが完成したら自身のブログにあげるようになった。

どうすれば人生上手くいくか。思考方法を変える事である。僕は余りにも悲しみを感じ取りすぎる。自分の事をシェイクスピアの四大悲劇のように扱っている。そしてそれを内心で理想的に感じて、慟哭し、苦悩している。自分自身で人生を生きにくくしているという訳である。そんなので病気も人生も好転するはずがない。思考が習慣を創り、習慣が人生を創る。その事を分かってはいないがらも、自慰のような日々をただ漫然と続けていっている。これ以上このような絶妙な悲劇を甘受していて何になろう。僕は行動すべきだ。早いとこ、行動して自分の人生を健常者のそれとは負ける事がないようにしないといけないのである。

 小説家になりたい、そう僕は思った。この感受性豊かなマインドを開放したい、僕の考えている経験、思想を傲然と読者諸氏に示したい、と僕は思うようになった。こう思うようになったのはとある小説家のインタビュー動画をユーチューブで見てからである。僕は彼の圧倒的な熱量に魅了された。その人間性の厚み、博識、八面玲瓏、恬淡、僕は本当に彼に匹敵するくらいの大文豪になりたいと思うようになった。僕はそれ以後、自分の文章と、意匠の巧みさを吟味するようになった。その為に他者の作品を盗作したり模倣したりすることも多かった。まだ公にはなっていないし、こういうのはオマージュであると僕は信じて疑わなかった。周囲の秩序は変わった歴史は2023年夏頃にいつの間にかなっていた。ロシアとウクライナの紛争、台頭する中国、汚染水の問題、イノベーションの普及、ツイッターの様変わり、僕は間違いなく歴史に包まれて生きる統合失調症患者の一人であった。僕は僕なりに自分の病気を活かしたことをしないと、そう僕は思い様々なアート、彫刻や絵画にも取り組むようになった。その時には自然と、僕の過剰な悲哀は消失していた。


和歌山

 私は23歳の社会人の女だ。最近は年末年始という事で地元の和歌山に帰ってきている。普段は都心で公務員として働いている。しかしこれまでの人生、私は一筋縄ではいかなかった。何とか都内の大学に進学したのだが、その後双極性障害を発症、その時は頭も回らず何もかも上手くいかなかった。私は22歳の時に大学を卒業し、公務員試験を受けた。私は内心受かる筈がないとどこか諦めつつも、全力で挑もうと思った。すると案外試験が簡単で、私自身大学在学中に医師になるべくもう一度今いる大学を卒業したら国立大学の医学部を受験しなおそうと思い自分に出来る限りの勉強をしていたのだ。

 まあともかく今は和歌山だ。冬だから寒いが空気が美味しい。都内のような慌ただしさもない。私はこの土地が好きになっていた。私は大人になるまでは和歌山の土地よいうのは過疎化で、ローテクで、そこに住む人々も救いようがないくらいの衆愚だと考えていたが当時の私を思うと私は慙愧に堪えない気分になる。どの頭でそう考えていたのだろう。日本経済を活発化させるには経済力に結び付く人口増加、そして権力の分散、テクノロジーの分散が大事だと聞いた事がある。地方を笑う者は地方に泣く。私は都内の生活によって非常に疲労困憊していた事は確かだ。私の都内の友達は坂本さんに杉本さん、それから安部さんがいた。

 坂本さんは私の家の近所に住む28歳のOLであり、坂本さんは30代の専業主婦であり、安部さんはCAであった。私は何故彼女のような人々と知り合うことになったのか、覚えていない。大人になってからの私は非常に記憶力が衰えて自分に起こった事や経験ですら思い出すのに苦労する程であった。坂本さん達は私から見ればとんでもない美女である。私とは全く違った美貌を持っていた。私の顔面はおそらく誰からも褒められも、けなされもしたことがないので普通であると思う。学生時代から私は目立つことがなかった。勉強だけは出来たからそれを私は自分のアイデンティティとして毎日予習復習を欠かすことはなかった。そうしている内に学力も自然とつき、私は都内の有名大学へ入学する事となった。勉強なんてものは、最初は難攻不落のように思えていたが日々少しずつ努力して諦めずにいればきっと開花すると私は思う。こんな平凡な私でもそうなんだ、知的に私よりも高等な日本社会の人々なら絶対大丈夫だと思う。

 和歌山の店は都内と違って閑散としていた。見かける人はちらほら私と同じくらいの若者もいたが老人が多かった。私はこうした情景を目にするとああ、田舎に戻って来たんだなあと思ってしまう。それは悪い事ではない。私は多忙に揉まれていく内に、和歌山に帰省してそこで就職して落ち着いたニューライフをゲットしようかと思っていた。都内の若い男どもは私の巨大な乳房や大きな臀部、それから茶髪のよく手入れされた髪を見て、淫猥な妄想をした。しかし私は嫌な気はしなかった、それだけ私は性的に魅力的だという事だ。きっと大恋愛が出来る。私は顔面こそ特筆すべきものはないが肉体の方は他の追随を許さない程豊満に、ナイスバディになっていた。顔面も実は自分で平凡なんて言っておきながら恐縮だが可愛いと言われたり美少女と言われたり美人と言われたりすることが多かった。私の職場は区役所なのだがその中では私は「めっちゃ背が高くて美人」と言われていたらしい。そう、私は長身で身長が177㎝もある。したがってその手のタイプの異性が好きな異様なタイプの男性からも、そうでない男性からも人気が高かった。私はそういった自分の状況を考えて、先ほどの私の友達をべた褒めした心境を相当馬鹿らしく感じた。一体私は何なんだろう。

 和歌山の日没は最高だった。繁茂していた草花が夕焼け色に染まり、人々もどこか何かに期待するかのような面持ちで家路に向かっている。そう、もうすぐ年末年始、日本はずっと前から不況で経済的にも風紀的にも何らの良いニュースがなかった。将棋のだれそれが活躍だとか、芸能人のT氏がダブル不倫など、私にとってはどうでも良い状況が人々の気分に影響が与えているのを私は間近で見ていた。実は田舎よりも都会の人々の方が芸能界に近く、インフラが充実しており、文化の総本山という事もあってそういったニュースがより身近なものに都内人には自動的に思える傾向があると私の通院する精神科医は言っていた。

 また私は実はネット上では自分の一人称を「僕」にしていた。それは別にトランスジェンダーの性質が私にあったからではない。ただそうする事で私は私でいる事が出来ていた。

 多くの景色を見て私は自分の胸中の思考を積んでいった。私は双極性障害があれどきちんと生きる事が出来ている。きっとこの先大丈夫だ。そうだ、5日後は私の車で高野山にでも行こう、私は余裕を持って多めに休みをもらっている。高野山と言えば私は昔よく両親に癒しとして連れて行ってもらえた。空気がどこよりも澄んでいた。高野山に到着するまでの道のりも自然が豊かであった。またその土地は最近になってインバウンドで外国人からの観光客も多くなっているらしい。私は海外に出た事がないのであまり比較は出来ないが日本の観光名所は本当に素晴らしいと思う。山川草木の美しさ、地方の魅力はそこにある。人々の印象そのものもそれによって洗練されていると思う。都内の魑魅魍魎よりも、奇怪さは表層化しておらず公序良俗も十分に敷設されている気さえする。


精神科高校の記録

 これは田辺精神科高校の教師である俺の記録である。精神科高校とは何かというと21世紀になり学校改革として創設された新たな教育施設であり、ここには精神疾患で社会に馴染めない学生が通う学校である。この学校では数学、国語、英語、社会、理科は近代までの従来のものではなく20世紀までの現代学問を含むものを学生は学んでいる。特に第二精神科には頭脳の明晰な学生、知能検査でIQ130以上を記録した学生が集う場である。俺はその中で凌照という学生に出会った。彼は統合失調症であるが極めて博識で他の学生の言葉によると休憩時間にはいつも難解な書物を読んでおり、激しいロックを嗜み、通院している精神科でも早熟な男として認められているらしい。俺は色々な情報を彼の両親からも聞いた。彼は幼い頃から頭脳明晰で傑出した人ではなかったらしい。15歳でとある高校に進学してそこで馴染めなかった事が彼にはあったそうだ。そしてその一年後に自ら精神科に行き、統合失調症と診断されて現在の田辺精神科高校、第二精神科に転校する事になった。精神疾患の人々の不世出かつ独創的な才能を守ろうと21世紀の日本は空前の大発展を遂げていた。そして全然関係ないが国家の経済的な理由から政治家の数も激減していた。凌照は休み時間に「人非人、すなわち政治家たちは21世紀までに増えすぎたんだよ」と政府の政策に加担するような発言をしていたと聞く。

 この高校では数学は代数学においては線形代数を用いた理論が学生に教えられており、理科は量子相対論や相対論、量子力学などが教えられていると昨今の日本では既に噂になっている。いわば時代の先頭を走っている俺たちである。俺はこの学校の教師になれて良かったと思っている。

 凌照は体育の時間に度々、教師に反抗するような反骨審を見せた。当時はOという野球選手が一世を風靡していた時代であったが彼はそんな事歯牙にもかけなかった。彼は自分の病気の症状によって過呼吸になっておりしたがって持久走などは出来ない事を学校側に伝えた、そして医者が学校に来て彼を診察した結果異常なし、走れと命令され、実際には知らされた事がきっかけだと俺は彼から聴いている。実際にはそれ以外にも自分の障害に無頓着で無知な人々が体育という形式を取って自分に陰謀をしかけているという妄想もあったようだ。妄想というものは甚だ恐ろしいものである。しかし彼には病識があった。自分で自分が精神疾患だと気づける統合失調症の患者はそれほど多くないとされているし、彼は狂気と正気が入り混じっている絶妙な期間にいると俺たちは職員会議で話し合った。

 彼は自分で小説を書いていた時もあった。俺はそれを見せてもらった。何やらアレゴリーやメタファーを多用した、とてもガキが書いたとは思えないような小説だった。しかし彼は学業は振るわなかった。彼のIQは前代未聞の500であった。そんな漫画みたいな話があるかと俺は思ったがどうやら正式に測定しての真実らしい。俺たちの文明ではまだまだこの世界には分からない事、未開拓の領域が多すぎるのかも知れない。

 21世紀の日本はテクノロジーなどの悪影響もあって退廃的な雰囲気が充溢していた。しかしこの精神科高校にいると分かる、そんなことは全て嘘っぱちだと。確かに子供の数は減っているがこの学校には凌照という素晴らしい才能があるのだ。ある日俺と彼との関係の中で倫という女子学生が絡んでくるようになった。彼女は俺にとって女神のように感じられたすらっとした手足、快活な表情、大きな瞳、美しい声、とにかく眉目秀麗。俺はついぞ彼女のような美貌を持った女を見た事がなかった。彼女はたまに俺と話すようになった。彼女は自分の近辺の話をした。そしてやたらと凌照の事を聞き出すようになった。その聞き出し具合が尋常ではないので俺は彼女は彼の事が好きなのだと確信するようになった。しかし彼女の全てが非常に小動物を見ているかの如き癒しを体現しているように俺には思われて仕方がなかった。

 倫は勉強も良く出来た。そして凌照に自分が勉強を教えてやるのだと豪語していた。俺たちからは凌照のIQやその他のプライベートな情報は知らせていない。しかし噂はどこからでも生じるものである。彼女は噂を知り、自分こそ凌照を覚醒させる人物に相応しい、自分こそが彼の恋人になるべきだ、と思ったのだと思う。しかし彼女は凌照だけに神経を注いでいた訳ではない。もしそうなら勉強なんて出来ない筈だし、広い交友関係も築ける筈がないのだから。俺が見る彼女の天使の如き顔面。ああ、その心地よい和音、日々を洗い流し、苦痛を解消するかのような一挙一動。純粋さを演じるそのマインド。多くを語らない、その叡智。彼女はアルバイトもしていた。どうやら喫茶店でアルバイトをしていたらしい。俺はその喫茶店に足を運ぼうかと彼女に提案した事がある。すると彼女は「良いですよ。いつでもよござんす。おいでなさい、歓迎しますよ」と彼女は満面の笑みを浮かべてそう言った。俺は彼女に恋をしている事は明らかであった。教師と学生の禁断の恋。自分がその当事者になるとは俺は思っていなかった。俺は今までの人生のなかで3回ほどしか付き合ったことがないが全員自分と同じくらいであった。

俺は彼女の言葉をこの記録ではない別の記録につけるようになった。どうせ見るのは俺だけだ、この日記は俺が死亡する前には焼き払ってやる。丁度フランスの詩人ランボーが自分の完成した散文詩集「地獄の季節」を焼き払ったように。

俺は凌照の何が魅力なのか嫉妬で分からなくなっていった。彼の髪の毛は一本一本が細くて女子のように艶がある。おまけに女子のような顔面をしており、一部の学生の中では美少年だと呼ばれていたりもした。彼は自分で勉強をする癖があった。プログラミング教室の先生に彼は自作したプログラミングコードを送ってその先生はその出来の華々しさに、鋭敏な才能に驚愕したと言われている。その先生がこの学校に来たことがある、是非あのような天才の通う日本で随一の学校を見学したいと。彼は凌照の保護者ではない。しかし学校側から特別に侵入を許可されたのである。もう学校全体が凌照の為に動いているようであった。しかし幾ら精神科高校とは言え、まだまだ精神疾患への理解は乏しい。これは世界各国、どこでもそうなのである。しかしその中で日本は乾坤一擲の勝負に出たという訳だ。それは丁度21世紀になって中国が半導体や電気自動車の開発に政府が介入して大幅な開発を進めているのと似ているように俺には思えた。

凌照はこの学校の校風に合っていたようだ。この学校は全日制ではなく通信制と定時制のミックスされた学校である。好きな時に学生はこの学校に来れるし、外に出るのが怖いなら週に一度だけ通学し、決められた課題だけ出せば良い。この学校の卒業生にはアメリカのアイビーリーグやイギリスのオックスフォード、ケンブリッジなどの錚々たる学歴を誇る人物もいる。何故だか偏りがあるように思われるが日本の大学への進学率は今のところゼロである。まあこの学校は3年前に出来たばかりなのだからこれからその事情も変わってくるかも知れない。

俺は凌照の良さが分からなかった、倫が彼を好きな理由も分からなかった。彼はちゃんと論理的に考える能力があり、理解力も思考力も記憶力も高い、と他の教師は評していた。けれど俺には分からない。この現実が。倫が彼を好きな事は何故だか多くの人々のいつの間にか知れ渡っている事を聞いたのは俺がこの学校に来て1年目の冬である。俺は眠れない夜が続いた。友達からも「お前ちょっと調子悪いんじゃないか?大丈夫か?仕事の疲れか?高校教師はブラックだと聞くぜ?お前の勤務している学校は出来たばかりだと聞くがそれだけにおれは恐ろしいんだよ」と言われたりもした。

しかしその内容が嫉妬に狂った女々しい男のものだと俺は思っていたので「大丈夫、ありがとう」と返した。俺は週に二度、酒を飲むようになった。もう翌年の健康診断何てものは意に介する事はなかった。この恋愛のストレス、歯がゆさをどうにか出来るのは酒だけのように思えた。他の手段は違法なものばかりだ。

そして年末年始、俺は倫から年賀状を受け取った。内容はこう書かれていた。

「先生、私はあなたに感謝をしています。あなたにはお礼が言いたいです。あなたが凌照君の情報を私に与えてくれたおかげで戦略的に彼を私の恋人にさせることが出来ました。これからは私の人生は順風満帆です。悲しい事も嬉しい事もあるでしょうが、私は彼と一緒なら悲喜こもごもの世界を過ごせて行けます。本当にありがとうございます。先生も日頃忙しいのに定期的に私の悩み相談に応じてくれてありがとうございます。本来ならラジオか何かで言っておくに留めておいた方が良かったのかも知れませんが、結果的に私の恋路は上手く進みました。もう私と彼とはラブラブです。最近は彼の家に行き、彼とエッチをしたり、彼の好きな音楽を聴いたり、デートに行ったり、買い物をしたり、本当に充実しています。私は彼に相応しい美形の女です。いつか彼の子供を孕みたいと思っています」

俺はこれを読んで泡を吹いて気絶したのである。それは悲しみの爆発であった。



心理置換

 彼は病気のせいかどうか、よく迫害されていた。彼への迫害は16歳から始まった。どこにいても人々の自分への悪口が聴こえて、心休まる日々がなかった。親にも苦しい苦しいと訴えながらもどうにもならなかった。彼には性格的に非がない訳ではない。彼には驕慢なところがあった。しかしそれだけでこの罵詈雑言の嵐を受けるのは不条理だ。彼は自分の五臓六腑の異常を感じるようになり朝も起きられなくなった。彼は今現在高校を休学している。いつの間にか彼も多くの患者の例外ではなく精神医学の本や心理学の本を読むようになった。彼は休学中もこつこつと勉強が出来ていた。一日数秒とかそんな程度であったが、それは彼の勉強への誤った、宇愚な先入観を払拭するには十分な時間であった。彼はとある占い師に占いをしてもらったことがある。彼は高額な料金を払ってまでそのような胡散臭い存在に頼るしかなかったのだ。彼には友達も恋人もいない、障害年金はまだ10代のため受給していない。彼は自分は将来ニートだろうなと思っていた。本題に戻るが彼は占いで秘密の奥義、門外不出の緘口令を約束され心理置換という能力が占い師から付与された。心理置換というのは心理的な効果を他の別の心理に置換出来るという能力である。彼はこの上力を普段からふんだんに使った。自分の身長が低く感じられる時には彼は心理置換で明るいものにしていた。忘れた方が良いというものはある。考えても仕方のない事もある。しかしそのようなものを人間は意識してしまうものだ。それも劣等感があれば尚更の事である。

 彼の人生は心理置換を得てから相当楽になった。いざという時、自分が落ち込んだ時、憂慮している時は自分の意志一つで、他にどんな苦心惨憺をすることもなく変える事が出来るのだ。本当に恐ろしい力である。

 彼は多くの小説を読むようになった。彼は統合失調症になるまでは特段文学少年という訳ではなかった。それでも彼は16歳を基軸に文豪たちの小説や傑作を読むようになった。人気のある大衆小説なんてものは彼には合わなかったようだ。特に彼が好んだのは芥川龍之介である。彼の自殺にこの小説の主人公は大きな影響を受けた、燃え尽きて自殺するのも悪くないとも思った。けれども生きられるのなら生きたいと主人公は思った。

 主人公である彼は第二に三島由紀夫を好んだ。三島由紀夫の耽美的な、難解な文章作成能力こそ自分が獲得すべき能力だと彼は思った。三島由紀夫は自分のように本当の日本の古来からの言葉や伝統が染みついている人間はおそらく自分で最後であるだろうとどこかのインタビューで言っていた。彼はそれを知っており、自分なら三島由紀夫の魂を引き継げると思った。それが正しい認識であるのかどうか、作者には分からない。

 彼は心理置換の能力を得てから怒られるのも犯罪をするのも全く動じなくなった。彼は非常に傍若無人で厚顔無恥になっていった。しかし占い師との関係を知る由もない多くの人々はやはり驚いた。彼は教師たちに反抗するようになった。「このような学問は所詮、近代的な勉強であり、衰退途上国の日本には全然役に立たない。まずは移民難民を受け入れるべきだ。日本人は自分たちの伝統や、文化や、清潔が大事だと大きく叫んでいるが、もう経済的にどのようなデメリットも受け入れるべきだろう。原子爆弾の一つでも日本は憲法改正して持つべきだ。戦後の日本の政治体制はアメリカに阿諛追従する衆愚の歴史である」などと彼は政治的な事を言って憚らなかった。彼の両親はいずれ彼は逮捕されてニュースになるだろうと思うようになっていた。彼はよく喧嘩もしていた。学校内で酒を飲み、注意されることも多かったし、それが原因で高校は退学になった。高校を強制退学になって彼は政治的な会合に参加するようになった。革命こそが正義だと彼は思っていた。それは日米安保の際に燃えた日本の若者の再来であった。革命という言辞は多くの圧力により骨抜きにんされた日本人にとっては極端の象徴であった。実際革命というのは必ずしも極端と無縁ではない。

 彼は革命家であり数学者であったガロアを愛するようになった。彼には数学が分からぬ。しかしガロアの伝記を読んでからは彼もガロアに負けないように燦然と生きようと思った。彼の実家の田舎は彼の高校退学前後から様変わりした。大勢の人々が都心から押し寄せた。多くのインフラや設備が増えた。彼の実家の田舎には国の要請で経済特区が設けられるようになった。台頭した中国や韓国に負けないぞと今度は日本にもエンジニアや会社の歴史を創ろうと日本は躍起になったのである。しかしそうなっても彼は自分の社会への情緒的移ろいに関して不快になる事はならなかった。昔のミュージシャンのドラッグのように心理置換を行えばすぐにハイになれるのだ。彼は心理置換に感謝した。

 もう彼の人生に敵はいなかった。人生とは見方次第とはよく言ったものだ。もう肺腑を抉られるような事があっても、気分の波でそれを回避出来るようになっていたのである。

 彼にとってどのような事ももはや問題ではなくなった。もう自分に敵はいない。人生を好きに生きて良いのだ。彼はそう思うと自由な気分になった。彼はまた新たに高卒の資格が欲しいと思い通信制高校に通い始めた。通信制高校では一転して彼は優等生になっていた。その学校の入学後のテストでは彼は学校内で首席だった。しかし彼にとってそんな事は嬉しくなかった。彼は隙間時間にも勉強をしていた。彼の目標は難関大学であった。多くの参考書を使っていたし、教師ともかなり懇意になっていた。それは16歳からの統合失調症に近いような自分の感じ方を慰撫するのに十分なものであった。それは彼にとって幸福だった。彼はもう自分の身長や顔面などはどうでも良くなった。自分はもっと精進して、勉強をしまくって偉人になりたい、そして歴史の教科書にのりたいと考えるようになった。

 彼は小柄であった。彼の家族も小柄であった。それは遺伝による作用であるように彼には思えた。

 また彼は音楽を好んだ。勉強をしながら聴く時も多かった。ドアーズやジミヘン、ディープパープルやその他の著名なロックを彼は聴くようになった。彼が好んだ洋楽は数曲の邦楽やゲームやアニメの優れたBGM以外はもっぱら洋楽であった。またジムモリソンの破天荒ぶりとその文学的インテリジェンス、カリスマに彼は大いに感銘したのである。彼はジムモリソンの詩集を買ったり、彼の行動を真似したりしていた。ジムモリソンも所詮俺の真似をしても俺にはなれないぞ、と彼を嘲笑している気も彼にはした。しかし彼はもう無敵だった、心理を置換する事、大きく切り替える事によってどのような事でも乗り切れるような心地が彼にはした。どのような苦境においても、人生を制するのは気分であると彼は思っていた。

 気分が良いまま彼は過ごしていた。ジミヘンに彼は憧れて、ギターを購入した。しかし練習する気にはならなかった。彼は誰かとバンドをしたかった。彼は左利きであった、奇遇にも。彼はジミヘンのように右利き用のギターを弦を逆にはって引く事を夢見た。エアギターなんていうのも彼は馬鹿のようにやっていたりした。本当に馬鹿である。やるのなら実物で上手くなれば良い。

 彼は次第にピンクフロイドも聴くようになった。彼の主治医はピンクフロイド好きであり、彼らは意気投合した。そしてその医師から彼はピンクフロイドのアルバムを借りたりしていた。またその医師は「私が君に勝てるのは英語だけだよ」とある時彼に言った。本当か、と彼は思った。またその医師は彼に「君は絶対に海外に行った方が良い。私が見ている内は無理やりにでも海外に行かせる」と言った事もある。海外というものはそれほどまでに人を強くするものなのだろうか。彼には対人恐怖は確かに消えていた。そして心理置換というチートアイテムを持っている彼にとっては別に海外生活も食指が動けば悪くないと思った。

 彼は高校時代には3㎝程度しか身長が伸びなかった。身長が高いだけでちやほやされている人間を見ると彼は複雑な気持ちになったがそう感じると彼は即座に自分の気をそらした、心理置換の面目躍如である。

 多くの人間が彼の能力を知ればどうなるのだろうか?占い師はどのようなやり方で彼にその能力を授けたのだろうか。彼には皆目見当もつかなかった。でもこの阿鼻叫喚の世界において繊細で感受性の豊かな自分が生きる道はこの心理置換を用いたものが最も適切であるように彼には思われた。

 そして彼は暇を持て余してまた占い師にみてもらった。彼は魔術師であると占い師に言われた。魔術師、魔術師。本当だろうか。彼は自分の人生において、頻繁に疑うようになった。デカルトが方法的懐疑としてあらゆるものを疑い、考える事こそ、人間の実態を示すものであると言った気持ちが当時の彼には分かるようになった。彼の著作を彼は耽読した。魔術師、デカルトの継承者。無論デカルトの近世哲学史における価値は彼にとって非常に重要な意味を持つようになった。

 彼は段々と強欲になっていった。人間の欲望は狂ってしまえばもうそれは暴君の如くである。人生そのものが淡白で、自分は王になるべきだと彼は思っていた。この世は腐っている。もう彼は自分を取り囲む世界が嫌になっていた。実際に作者の目から見て当時の世界がそれほど悪いものであるとは思えない。それはユートピアの如き理想郷ではないにせよ、満足できる点も多いにある。彼が強欲になったのは人間の真価が占い師によって試された結果なのかもしれない。神の意志が彼に影響を与えた。それはサイコロ遊びをする神々の行動だったのだ。多くの人々が、今や彼を絶賛するようになった。彼は現実世界で長らく王としての地位に上り詰めていくのであった。

愛してまで生きるか

 空我という名前の少年が21世紀の日本にはいます。彼は小学生の男の子です。彼には好きな人がいます。それは彼の一つ年上の姉の友達でした。その対象者である彼女は身長が185㎝で整った顔立ちをしている女子だったのですが何故か彼女はモテていませんでした。日本において長身美人は肩身の狭い思いをしていると聞きます。当時もそうだったのでしょうか。また空我には多くの友達がいました。多くの馬鹿な事を彼はしました。彼はしょうもない風景、ありふれたものは嫌いで、そういうものに対し修辞を尽くすというような事はありませんでした。彼の恋愛の好みは小学生の時点でもう完成されていました。彼は自分の作った長身美人を賛美する物語を拙い語彙と表現力で小説に書き起こしました。我ながら良いものが出来た、と彼は思いました。

 空我は自分が片思いをしている女子に釣り合う男になろうと努力をしました。185㎝以上は欲しいものだと彼は思っていました。食事、運動、睡眠を彼は心がけました。また彼はその長身美人の相手以外は全然恋愛対象にはなりませんでした。長身美人の名前は裕理と言います。空我と裕理。まるでお似合いの二人だと彼は思っていました。

 彼は健全な精神を持っていました。しかし彼は健常である事の限界を感じ取っていました。健常の中では絶えず死ぬような思いをしなければ偉人になれない。しかし精神疾患ブーストがあれば自分は輝ける、遥かに楽に輝けると彼は思っていました。

 裕理は彼の姉と一緒に学校に登校するべく彼の家を訪ねる事も多かったのです。彼は裕理と会うその都度、非常に胸いっぱいの幸福感に包まれました。人生とは愛するものである。フロイトもそれに近いことを言っていました。「人生とは働く事と愛することだ」と。彼にとって人生とは重要なテーマでありました。のみならず大勢にとっても重要なテーマである筈なのです。それを21世紀の人々は多忙なのか、注意力や集中力の欠如からなのか、そのような広大無辺なテーマについて考える事はなくしており、彼のような存在はいわば少数派でした。

 彼は中学生になりました。中学に入った途端彼はそれまでにない程勉強に関心を持つようになりました。彼は勉強が楽しくて仕方がないのです。参考書も昔は単なる面倒くさい物のようにしか思っていなかったのですが彼にとって理解出来る事、得た知識を上手く応用する事、覚える事は快楽に感じていたのです。また彼は小学生まではよく喚く、元気すぎる劣等生だったのですが中学入学後は様変わりしました。劣等生のように彼を見ていた彼を知る同級生の生徒達は愕然として彼を見ていました。また彼を知る生徒の保護者達も彼のような子供に自分の子供を変化させようとするように邁進しました。

 小学校も中学校も港町にありました。彼の住む土地は本州最南端であり、多くの観光地で有名でした。梅やら蜜柑やらが特産品で、多くの人々を県外から呼び込んで少子高齢化を解消させようと彼の住む土地の観光業の職員は強く決意していた。

 彼は小説を書こうと思った事もあります。しかし彼は自分に文才がない事も分かっていました。したがって自分は作家としては不十分だと思うようになったのです。また彼の性質上、彼は上手い文章を創ろうとするきらいがありました。その性向が読者を突き放し、閉口させることも多いのです。彼は友達から、小説家になれなどと言われた事もありますが、安易な事を言うな、と内心で彼は彼の友達に言いました。しかし小説家の動画などは彼は良く見ました。それらは動画サイトで見ることの出来るようになっていました。21世紀は極めて便利が追求され、情報収集も簡単になりました。それでもデマが横行したりしている事もありそれは甚だ少年の扱うべきものとされていなかったのは確かです。

 彼は勉強の良くできる生徒としての地位を学校内でほしいままにしていました。彼を好きな女子もいましたが彼は彼女が裕理のような長身美人ではない事でまったく意識していませんでした。また彼自身も中学二年生時点での身長は179㎝でした。長身美人によっては拒絶されることはあるかも知れませんが、彼にとってそれは誇るべき身長でした。彼は身長測定の際も、普段でも姿勢を良くして生きようとしていました。そしてそれは成功していました。

 彼は中学入学後、親から無理やりテニス部に入れられました。彼はテニス部に熱心ではありませんでした。そもそも彼はスポーツが嫌いでした。彼はもうスポーツからの縁を切りたかったのです。別に運動をする事が苦手なのではありません。ただ強制されてやるスポーツは邪悪なものであるとの思いが彼にはあったのです。練習なんてものは退屈で、ゲーム自体も退屈でした。彼はテニス部を辞めるまでにテニスのルールを微塵も覚えてはいませんでした。スポーツマンとして失格の問題でありました。

 裕理は高校生になりました。さらに背が伸びて195㎝になったそうです。彼女はもう身長伸びたくないと泣いたりしていたようですが、彼はそんな裕理を心底愛らしく感じていました。彼は彼女を守ってあげたい、精一杯の愛を持って、懸命に彼女を救いたいと考えるようになりました。

彼は中学三年生の下校時に裕理に会いました。彼女は彼の姉ともう一人の友達と会話をしているようでした。彼は彼女がいる手前、親切そうに「こんにちは」と言いました。

裕理は「空我、イケメンだねえ。好きな女性のタイプは誰なの?」裕理は彼に尋ねました。「僕は長身美人が良いかな?」

「私みたいな?」

「そうだね、僕は裕理さんみたいなタイプの女性がドストライクだね」

彼女は赤面しました。こういった異性とのやりとりに慣れていないのかも知れませんでした。彼はやったぞ、彼女も満更ではないし、これは僕が彼女と付き合えるのも時間の関係かも知れない。黄昏時の事でした。田舎は静かでした。

 彼は偏差値70台の県内一の高校に進学しました。彼は裕理と離れるのは心苦しかったのですが、きっと僕は彼女と恋人になる、どんな障壁があっても、と思っていました。彼は高校進学後に燃え尽き症候群だとかスチューデントアパシーなどのような症状に苦しめられました。突如として彼の性格は暗くなって、人付き合いも悪くなりました。思春期というものは人をこうまで変えさせるのかと我々は思います。思春期になって精神的に不調になる例は枚挙に暇がありません。彼はその高校を辞めました。このままじゃ留年してしまう。留年してしまえば僕は耐えられそうにない、と彼は思いました。彼は対人恐怖で上手く社会活動が出来ないようになりました。彼の母親も彼を心配しました。彼の旧友も彼を心配しました。母親はよく彼を温泉などに、ドライブに連れて行きました。高校を辞めてから彼は高卒認定を取るべく勉強をしようと思い、高卒認定の過去問を手に入れました。しかし内容は想定よりも簡単で、彼はやや戸惑いました。高卒認定取得は確実だと思ってレベルの高い大学の入学試験にパス出来るような学力を得ようと、参考書を買い、中学時代のように勉強に没頭し始めました。その当時の真剣さ、自らを擲った真剣さに彼の両親はひどく感銘を受けました。彼の琴線に触れる小説との出会いもその時期でした。

それでも彼は裕理を愛していました。裕理は誰かと付き合っていると高校1年の夏に彼は聞きました。それにより彼は絶望しました。愛してまで生きる事、生への執着。彼は高校を辞めてから精神科に通い始め、統合失調症と診断されました。けれども彼には統合失調症の代表的な症状である妄想や幻聴はなかったのです。彼は多くの当事者と関わりを持ちたいと思い、様々な情報をネットから得ました。またネット上でも全国津々浦々からの統合失調症の患者と彼はやりとりをしました。統合失調症は百人に一人の割合で日本にいると統計学的に叫ばれている。しかしその病気のネーミングの悪さからそれを自ら言う人は少ない。言う人が少ないからこそ統合失調症患者は実際よりも遥かに少数派だという思いをしていました。まだまだ統合失調症への理解も多くの知識が必要であり、犯罪者などの極端にしてセンセーショナルな例ばかりが統合失調症の全てではない事をもっと多くの人々の周知になるべきなのです。

彼は失恋しました。裕理の恋人から彼は裕理を奪えるだけの度胸も、無礼さも彼には欠けていました。彼は優しいからこそ恋路を諦めた部分もありました。空我はもう18歳になりました。もう彼には言葉を鋭敏に感じ取る能力が衰耗しました。彼の統合失調症の症状は幻覚や妄想がない代わりに陰性症状や認知機能障害があったのです。発症前のような健康な生活が彼には出来なくなりました。勉強もいつの間にか出来なくなっていました。彼の主治医は彼に「君はもっと長い間、休んだ方が良い」と彼に告げました。彼もそう思いました。人生はまだまだなのです。幸福になるためには静かで平穏で無刺激な日々にいったん沈みこまなければならない、彼はそう思いました。

 愛してまで生きる事、それが一体何を意味しているのでしょうか?愛なんてものは超自然のメカニズムなのでしょうか?それとも遠い未来には科学的に愛に対して今よりも明晰な考察がなされるようになったのでしょうか。空我は身近な夫婦である彼の両親を見て、夫婦というものは支えあって生きるものだと感じていました。長身美人を彼は外で探しました。しかし中々いません。彼は一人旅として東京などの都会に行ったりしたこともありました。東京には多くの長身美人がいました。彼は本当に幸せになりました。そして外面を装って彼はすこぶる社交的になりました。愛してまで生きる。10代後半の彼にとっての使命はそれだけでした。彼は人生を愛で満たそうとしました。人生とは艱難辛苦の連続であるのですが愛のみがその不幸を救うのです。


撃て天使

 ある日私はねぐらにいつものように帰りました。夕暮れ時、私の住む住宅街は静寂で満たされているように思えました。果物屋のうずたかく積まれたレモン、勉強をする高校生の姿。私は全てを愛していました。私の家はお金持ちです。絢爛豪華な邸宅は周囲の人々の評判でした。私は何度か私の友達を家に呼んだこともあるのですが彼らは軒並み驚いていました。彼氏も呼んだ事があります。私は何やら美人と呼ばれる程の美貌を持っているらしく私が恋愛に目覚めてからは彼氏が途切れた事はありません。現に今もいます。また私の生まれた年は経済的に不況で日本経済においてスマホなどは斜陽産業となっていました。台頭する中国や韓国に負けたくない気持ちはないのでしょうか。昨今では日本人のほとんどに勝負をする気概や熱量がなくなったように思えるのは私の気のせいでしょうか。

 私は家に着きました。ただいまと言っても返事はありません。誰かいる筈なのに、変だなと私はリビングに行きました。すると大きな霹靂がありました。犯罪者が私の母親の頭に銃を向けていたのです。帰ってきたであろう兄弟も泣きながら怯えています。

「なんだこの女は?これもお前の家族か?しばりつけろ」犯罪者は3人のグループでした。私は小さいナイフを服のポケットに瞬時に詰め込みました。それは冷静で懸命な判断だと思いました。「こいつ、天使みたいな美しい容貌をしてやがる。スタイルもモデルのようだなあ。後でまわしちゃわないか?」犯罪者の一人がそう仲間に呼びかけました。彼らはその言葉に賛同しました。冗談じゃない、誰がお前らみたいなカスのような連中に犯されるか、私はそれから自分が助かる、そして家族が助かる姿をシミュレーションしました。しかし良い案は浮かびませんでした。

 犯罪者は私の家の金になりそうなものを順番に袋に詰め込んでいました。そこで父も時間が経って帰ってきました。ガチャっという玄関の音が聴こえました。父はリビングに入ってくると犯罪者に体当たりをしました。そして3人相手に闘争を開始しました。それは必死の闘争でした。父親は昔は喧嘩が強かったと聞きます。あっけなく犯罪者はぼこぼこにされました。そして床に倒れ伏しました。母親は父親に言われて警察に電話しました。これで一件落着のように思えました。しかし意識を覚ましたらしい犯罪者が父のきんてきに蹴りを入れ「なめんじゃねえぞお!」と言って母親や、まだ縛られていた兄弟に乱暴をしました。私は持っていた小さいナイフで縄をほどいていました。最大戦力の男である父すらもこんな有様、私がどうにかしなければと思い、犯罪者が持っていた拳銃を手にしました。実際に人を殺すのは初めてです。「撃て、天使!」父親はそう叫びました。私はその美しい容貌から普段から家族にも天使と呼ばれていたのを付け加えておきます。そして私は初めてとは覚えない程犯罪者共の頭にめがけて何度も何度も銃弾を撃ち込みました。彼らの血潮が部屋中に散乱しました。私は非常に心地が良い思いがしました。殺人に目覚めそうになりました。殺した後は至極すっきりとしました。家族は驚いて私の凶行を見ていました。しかし同時にそれによって彼らの命が助かったのは事実です。どうにかして私は家族を救う事が出来たのです。

 私は逮捕されて今、この取り調べ室にいます。でも正当防衛という概念を私は知っています。それが適用されるんですよね?私の暴力は正当なものであった。私があれほどまでに憎み、諸悪の根源とした暴力は。あのカスどもの命なんて重要じゃないですよね?私の今後がどうなるかは分かりません。議論の是非は問うところではないのです。

 もし問題が変な方向に転がったら、私は殺人犯か、そうすれば前科者になって恋愛も出来なくなりますね、悲しい事です。そうはならないようにしてください。私はか弱い子羊なのですから。

 それと私は実は統合失調症患者なんです。寛解状態で病的な状態ではもうなくなりましたが、その事も今後の裁判において扱ってください。心理鑑定もやるのならどうぞ。

 

  犯罪者を拳銃で殺害した彼女、真由美の心理鑑定は行われた。彼女は責任能力が認められたが同時に障害も認められた。また別の機会で知能検査では極めて高い数値を記録したと報告されている。それも天才、140以上のレベルであった。彼女はそれまでに心理検査を蛇蝎の如く嫌っていた、そんなものは何の意味もないと言っていたようではあったが、実際の彼女のテスト中は頭脳明晰で、集中力、思考力共に卓越したものを心理士に見せていた。

 真由美の友達は刑務所内に面会したりもしていた。彼女は人望があり、性格的にも良かった。殺人を犯したのも否応なく犯したのだろう、本人もそう言っていたし、彼女の友達もそう思っていた。彼女は刑務所内で暫くの間読書に耽っていた。流石に刑務所内で受験勉強をするつもりはなかったのだが、それでも彼女は知的好奇心が旺盛だった。裁判が終わるまでは彼女は特別な環境の刑務所暮らしをする事を余儀なくされた。日本の犯罪史上今回のようなケースは他に類がないものである。彼女にはパソコンの使用も許可された、その待遇の豪華さは禁酒法時代のアメリカにおけるアルカポネのようなものであったのかも知れない。実際彼女は誰からも犯罪者であるとは思われていなかったし、彼女もそう信じてた。

 彼女の判決は無罪である事は法的にも一目瞭然であった。そう思われている間も彼女は刑務所で小説などを読んだ。海外の文豪の本を彼女は好んだ。彼女曰く日本文学は明治や、大正、昭和初期などを除いてほとんど駄作のようなものらしい。現代の西洋文化中心主義の染まった若者のそれだと私は思ったが否定はしなかった。若い神経というのは得てして妙な方向、妙な考えに突っ走ってしまうものだ。頭脳明晰で眉目秀麗の彼女にもそのような側面がある事は私には微笑せずにはいられなかった。

 そして彼女は案の定無罪となった。そして彼女は刑務所から解放された。刑務所職員である私の彼女に対する記録はどれほど、犯罪心理学の体系の中で役に立ったかは分からない。しかしそれは倫理的に破綻しているものでもなければグロテスクなものではない。ただただ彼女は運が悪かった。そして期せずしてそれは犯罪者の側も運が悪かったのかも知れない。まああらゆる犯罪はこのような悲惨な末路を辿るべきだ。如何に犯罪者側に問題があったとは言え。また犯罪者の情報もここに書き記しておこう。犯罪者は三人とも貧困な家庭出身で迫害、いじめをされて育ってきた。しかし彼らはそんな境遇とは打って変わって体格的には大柄に育った。彼らは不良であった。と言っても暴走族やヤクザのようなものではない。彼らは世の中に不満を持っていたようで、掲示板で日々働かずレスバトルをしていたりもしていた。彼らの内の一人の鈴木という男の手記には「この世は全部いかさまだ。こんな世の中破壊してしまいたい。俺は確かに間違っている、けれども社会はもっと間違っている。俺をこんな状態にさせたのは誰だ。誰も俺を救わなかった。異性も変な奴しか寄ってこない。俺だって人並みの幸せを手に入れたかった」と記されていた。犯罪者三人衆は街で有名な豪華な佇まいを醸し出す邸宅に目をつけた。上手くいけば数千万円の取り分になる。彼らは拳銃を闇ルートによって入手し、遂に犯行に及んだ。犯罪グッズは事前に彼らが用意しておいたものであるらしい。しかし真由美の機転の良さや彼の父親が滅法喧嘩に強かった事は創彼らは想像すらしなかった。そして、あとは我々の知る通りである。

犯罪者三人衆は診断が下りていないにせよ、統合失調症であると裁判では指摘された。これは不幸な社会の産物であると裁判長は言った。真由美が悪い訳でも、犯罪者が悪い訳でもない。これは余りにもお粗末で悲劇的な日本犯罪史に残る事件であると彼は言った。その眼には涙が溢れていた。それはそうだ、犯罪者三人衆の生い立ちは非常に悲しい者であり、真由美も含めてそれに泣かない者はいなかったのである。彼らは日頃からプレッシャーを感じていて、けれども自分ではどうする事も出来なかった。彼らは自分に自信がなかったし自分たちが恵まれていない事も分かっていた。自分たちがここまで苦しむのはこの社会が悪いといつの間にか彼らはそう考えるようになった、と弁護士は語っていた。彼ら犯罪者三人衆が何の被害も出さずに捕まっていたなら今回の出来事を反省して今度こそきちんと社会で生きて欲しかったとも弁護士は言った。

真由美はこの裁判において重要なのは日本社会がいかに生きづらいか、そしてその脈々と受け継がれてきた現実を変えるのは自分達若者なのだと思った。犯罪者三人衆が何の被害も出さずに捕まっていたなら今回の出来事を反省して今度こそきちんと社会で生きて欲しかったとはそうなればそりゃ良いが、その為には何よりもまずこの社会を変えなければならないと思った。馬鹿みたいな政治家が増えたせいで、そして敗戦をして、西洋諸国に唯々諾々と従ってきたせいで日本は如何に駄目になったか。真由美は特にかつて政治に関心はなかったのだが今回の事件をきっかけに政治を勉強するようになったのである。裁判は終わり、真由美にも普通の高校生活が戻って来た。彼女はどこか爽やかな感じで日々を過ごした。あのような出来事があったので彼女の心境に劇的な変化が見られた事も特段妙な事ではない。

 真由美は大学受験を無事に乗り切り、難関大学の大学生となった。天使である彼女はそのような現実と犯罪者の悲劇と対比させた。そして自分自身の生命も悲劇と常に紙一重である事を了解していた。多くの人々に愛される彼女はその愛の質と量に感激し、不憫な人々との比較と通じ、底知れぬ愉悦を感じていた。



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のたうち回って(Ten Different Ones) 赤川凌我 @ryogam85

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