友だちごっこ<ロール>は致命的失敗<ファンブル>

冬栄

第1話

 理子りこちゃん、遅いなぁ。

 ひまつぶしにつけたテレビでは、知らないタレントが知らない街でロケをしている。

 今夜は戻ってこなかったりして。それならそれで連絡くらいあっても……。

 とそのとき部屋にバイブ音が響いた。

 スマホどこに置いたっけ。

 あたりを見回すと、ベッドの間にあるテーブルの上、充電ケーブルにつながれていた。

 液晶に映し出された名前はでも、理子ちゃんのものじゃなかった。

 忘れてた、とひとりごちながらテレビを消し、スマホを手にする。

 スピーカーから「今、大丈夫?」という声。

 そうは言うけど、邪魔じゃないか本当に気にしてるなら、先にメッセージを送るとか、そういうことをすると思う。

 抜き打ちテストみたいなものだ。

「うん、サークルのみんなと打ち上げしてホテルに戻ってきたとこ」

 わたしは大学のTRPG同好会に入っていて、きょうは関西のイベントで新作のシナリオを頒布した。

 だから、これは遠征兼サークル合宿ってことになる。

「サークルのみんなって、男ばっかりじゃん」

「大丈夫だよ、みんな二次元の女の子にしか興味ないから」と、これはうそ。

「だからって、のぞみが行く必要あったの?」

 彼は不満そうにする。

「わたしが行かなかったら、理子ちゃん、女の子ひとりになっちゃうでしょ」

 なんだけど、わたしも行くって言ったとき、理子ちゃんは微妙な顔をしてた。

 移動中も打ち上げのときも隣で楽しそうにしてたし、嫌われてはないと思うんだけど……。

 今さら疑問に思う。どうしてわたしは、彼の反対を押し切ってまでここに来たんだろう?

「ああ、あの子……」

 わたしの思いをよそに、理子ちゃんの名前を聞いた彼はすこし態度を軟化させた。

 彼は一度、無理を言ってサークルの仲間に混じり、オンライン人狼をしたことがある。

 たぶん、わたしに気がある男の子ばかりが集まってる、とかそういううわさを聞きつけたんだと思う。

 そのとき、他のメンバーと面識がない彼をなにかと気遣ってくれた理子ちゃんの印象は悪くない──んだけど。

「……あの子ならひとりでも大丈夫じゃない?」

 初心者の彼とふたりで人狼になった理子ちゃんは村を全滅させ、完全勝利をおさめた。

 そのやり口のせいで、彼は理子ちゃんを怖がってるふしがある。

「ああ見えて、あぶなっかしいとこあるんだよ。人がいいっていうか、押しに弱いっていうか……」

 とそのときドアの向こうに人の気配がした。

 それから、カードキーでロックを解除する音。

「理子ちゃん戻ってきたみたいだから、切るね」

 返事を待たずに通話を切る。

「……彼氏さんとお話し中だったんですか?」と理子ちゃん。

「うん、でももう切るところだったから」

 とりあえずそう言っておく。

 理子ちゃんはテレビの下、小型の冷蔵庫を開け、ミネラルウォーターを取り出す。

 庫内灯に照らし出された、形のいい横顔はどこか暗い。光の加減かな、それとも。

当馬とうまくんと何かあった?」

 当馬くんはサークルのメンバーで、わたしにとっては同期、理子ちゃんにとっては先輩にあたる。

 打ち上げの帰り、当馬くんが「話したいことがある」って理子ちゃんを呼び止めて、わたしは先にホテルに戻った。

「べつに……」

 ばたん、と音を立てて冷蔵庫が閉まる。

「告白でもされた?」

 ペットボトルのふたを開けようとしていた手が止まった。

 この反応、当馬くんに告白されたってことで間違いないみたい。

「言いたくないなら言わなくていいけど……」といったん引いてみる。

「でもほら、この前相談乗ってもらったし」

「あれは相談っていうか……」

 それは微笑と苦笑の中間くらいだったけれど、理子ちゃんが笑ってくれたことがちょっと嬉しい。


『彼氏と喧嘩したときに話聞いてくれた先輩のことが気になってて……』

 そう言うと、理子ちゃんはかるく目を見張った。

『でも、その後彼氏さんとは仲直りしたんですよね?』

『先輩って彼女いるのかなぁ? どうやったら分かると思う?』

『……ひどい人ですね』

 言葉のわりに、口ぶりは優しい。

『彼女さんが気にしませんか? わたしは相談に乗ってもらってすごく助かってますけど──』

 理子ちゃんはそこで言葉を切った。

『──とか、言ってみればいいんじゃないですか』

『……すごいね。理子ちゃんて男の子にそういうこと言うの?』

 返ってきたのは、意味深な笑みだけだった。


 理子ちゃんはペットボトルを開けるのをやめて、あたりを見回した。

 窓ぎわの丸テーブルにわたしのスーツケースが広げてあるのが目に入ったのかな、イスじゃなくてベッドに腰かけた。

「……告白された、ってことになるんですかね」

 隣に座ると、理子ちゃんは何か言おうとしてやめた。

「なんて返事したの?」

「……『考えさせてください』って」

「理子ちゃん的には当馬くん、アリなんだ?」

 あんまり嬉しくなさそうだから、お断りしたのかと思ってた。

「いや、断るつもりですけど……へたなこと言えないじゃないですか。学科の男子、インカレの女子に『×ではないが◎ではない』って振られたのめっちゃ擦られてますもん」

「かもしれないけど、考えさせて、なんて言われたら期待しちゃうでしょ」

 そう言うと、理子ちゃんは押し黙った。

「理子ちゃん、当馬くんには親切だなって思ってたけど」

 今回頒布したシナリオを作ったのは当馬くんで、理子ちゃんはテストプレイのGMをしたり、校正をしたりたくさん手伝ってた。

 オンオフ問わず、ふたりで作業する機会も多いみたいだったけど、それを気にするそぶりもなかった。

「なんて言うか……ほかに好きな人がいると思ってたので」

「それって、わたし?」と自分を指さす。

「……気づいてたんですか?」

「っていうか、それっぽいこと言われたことあるし」

 ちょっとめんどくさいから、気づかないフリしてたんだけど、と付け加える。

 当馬くんは悪い人じゃないけど、付き合ってる人がいるのにアピールされても困る。

「なるほど」と笑いまじりの声。

「……そういうわけで、当馬先輩の話聞いたり製作手伝ったりはしてましたけど、そういう感じじゃなくて」

「言っとくけど、恋のお悩み相談で『話を聞いてくれたお前のことが……』とか『俺にしときなよ』とかってあるあるだからね」

 理子ちゃんはどこ吹く風で、「望先輩が言うと説得力ありますね」なんて言う。まじめに忠告してるのに。

「わたしのことは置いといて……友達だって思ってたのに、好きになられても困っちゃうよね」

「──そんなこと思う資格、ないです」

 気持ちに寄り添ったつもりだったのに、返ってきたのは予想外の言葉だった。

「なんで?」

 疑問が口をつく。

「私は……」

 膝の上でぎゅっと手を組むのを見て、言うんじゃなかった、と後悔した。すくなくとも、こんな軽い調子では。

「私も……友達を好きになったことがあります。でも、相手が異性の方が普通っていうか、一般的ですよね……」

「あ、そうなんだ……」

 初めに感じたのは、納得だった。

 わたしも行くって言ったとき、微妙な顔をしてたこととか。さっき隣に座ったとき、何か言おうとしてたこととか。

「あんまり……驚かないんですね」

「ときどき女の子っていうか、紳士的な男の子みたいだなって思ってた」

 理子ちゃんははぁ、とため息をついた。水をひとくち飲んで続ける。

「そうだからって、周りの女子いちいち変な目で見ない……って思うんですけど、自分じゃ分からないし……」

 ちょっと思いつめすぎじゃないかな、とは言えなかった。

 なんなら、今日の下着かわいいね、なんて話しかけて困らせてたわたしの方がいやらしい目で見てそうだ。

「だから……なんでだめなの、って聞かれるの怖いんです。そりゃ聞きますよね。彼氏いないし。仲良い男子もいないし。とりあえず付き合ってくれてもいいじゃんって」

 もうやだ、とすねたように言う。

「これからもこういうことあると思うよ」

「ないですよ……」

 うんざりした調子で言う。

「理子ちゃん、顔も性格もかわいいし。……困ったときはわたしに相談してよ」

 そう言うと、理子ちゃんは何か言いたそうにした。

 言っちゃっていいよ、とうながすと、「そういうこと言うから勘違いされるんじゃないですか?」

「ほんとに思ったときしか言ってないよ」

 はいはい、とかるくあしらわれる。

「女の子と付き合ったことあるの?」

「あるわけないでしょう」

 投げやりな返事が返ってくる。

「じゃあ、好みのタイプは?」

「考えたって意味ないじゃないですか、そんなの……」

 どうしてそうなったのか、ついさっき告白されたばかりなのに、理子ちゃんは自信を失くしてるみたいだった。

「ずっとひとりって、寂しくない?」

 理子ちゃんは肯定も否定もしなかった。

「……この先誰かと付き合えたとして、きっとろくな人じゃないですよ」

 ばかだなぁ。

 理子ちゃんはばかだ。

 そんな寂しそうに笑っちゃだめだよ。そんなこと言っちゃだめだよ。

 可愛い子がいいとか、綺麗な子がいいとか。──自分だけを好きになってくれる人がいいとか。浮気しない人がいいとか。

 そういうことを言っておかなきゃだめだったのに。

 そんな夢や希望があるなら、それは壊せないって思うのに。

 ろくでもない誰かに遊ばれるって言うなら。

 ──だったら、わたしでもいいよね?

 立ち上がって、理子ちゃんの肩に手を置く。

 思ったより華奢だな、なんて思う。

 顔を近づけると、困惑したような表情でこちらを見上げる。

「何……するんですか」

「うーん、何だろ。……理子ちゃんが想像してること?」

「ばかなこと言ってないで……」

 もう片方の手で滑らかな頬を撫でる。

 さらに距離を詰めると、「……どうして?」と囁かれる。

「……ほんとのことしか言ってないのに信じてくれないから、かなぁ?」

 理子ちゃんはそっと目を伏せる。

 わたしはその唇にキスをした。

 ──今、分かった。

 心配だから、じゃない。

 わたしはこの子にこういうことがしたくて、ほかの誰にもこういうことをさせたくなくて、だからここに来たんだ。

 ベッドに押し倒しても、カットソーをまくりあげてじかに肌に触れても、理子ちゃんは抵抗しなかった。

 誰にも見せない、触れさせない部分を許されていることに、優越感みたいなものが湧いてくる。

「……理子ちゃんて、他人に触られるの苦手なんだと思ってた」

 恥ずかしいのかな、理子ちゃんは目をそらす。その口からはぁ、と熱い吐息が漏れる。

「かわいい……好きだよ」

 一瞬、驚いたように瞳が揺れた。

 でも、応えてはくれない。

 ベルトに手をかけたとたん、手首をつかまれた。

「……ちょっと!」

 理子ちゃんは慌てたような表情をしていた。

「やめてください」

「……なんで?」

 そっちだって乗り気だったでしょ、という言葉はかろうじて飲み込んだ。

「その……だめです、今日は。ほんとに」

「あ、そういう……ごめん、そうだよね」

 女の子だもんね、そういう日もあるよね。

「体調は大丈夫?」

「それは……はい」

 もう一度体に手を伸ばすと、「え?」という声があがった。

「下は触らないから……」

「それはそれで……」

 言いかけて、自分が恥ずかしいことを言おうとしていたことに気づいたんだろう、理子ちゃんは口ごもった。

「うん?」と首をかしげてみせる。

「……なんでもないです」

 肩を押して、離れるようにうながされる。わたしは体を起こす前に、触れるだけのキスをした。

「──……」

 うす暗がりでも、顔が赤いのが分かってかわいい。

 理子ちゃんはわたしに背を向けて、乱れた服を直す。

 手持ちぶさたにシーツを撫でながら「なんか恥ずかしいね」と軽口をたたくと、何か言いたそうにする。

「言っちゃっていいよ」

「……こういうの、慣れてるんじゃないんですか?」

「ないよ!」

 びっくりして大きな声が出た。

「……知ってるでしょ?」

「私にも黙ってた前科があるのかなって……」

 冗談で言ってるわけじゃなさそうなのが、いっそう心に痛い。

「理子ちゃんがはじめてだよ」

 一拍おいて、「……ああ、男子ならホテルで同室になったりしないですもんね」

「そうじゃなくて、理子ちゃんが特別ってこと」

「はいはい」と流される。いつもの調子なんだけど、なんだか面白くない。

「……ちょっとずるいよね、理子ちゃんは」

「えっ……?」

「一晩でふたりから好きって言われて、そうやって自分は誰からも好かれてないみたいに言うの」

「それは……だって……違うじゃないですか」

 少しの間があって、理子ちゃんが「……なかったことにするんじゃないんですか?」と尋ねる。

「なかったことにしたいの?」

 理子ちゃんは、なかったことにしたい、ともしたくない、とも言わなかった。

 その代わり、「私が彼氏さんと別れてください、とか言い出したらどうするつもりなんです?」

 私が、と言う割に、ひとごとみたいな調子だった。

 いつもの──恋愛相談をされた女友だちみたいな調子。

 答えを聞きたいわけじゃなくて、それは困る、って言わせようとしてるんだと思う。

「さぁ?」

 そのとき、わたしはどうするのかな。

 自分でもわからない。わからないから──知りたい。

「言ってみたら?」

「……は?」

 何を言っているのか理解できない、という表情。

「……自分が何言ってるか分かってます?」

 おかしなことを言ってる自覚はある。

 どこで失敗したんだろう。

 ──友だちだと思ってた。

 もしかしたら理子ちゃんの方は、わたしといると男の子に興味を持たれなくていい、とかそういう打算があったのかもしれない。

 当馬くんに気を許してるふうだったのも、わたしのことが好きなら自分のことは好きにならないって、そんなふうに思っていたからかも。

 それでも、わたしたちは友だちだったはずだ。

 ──その友だちに、わたしはひどいことをしてる。

 だから──ひどい人ですねって、いつもみたいに笑って許してよ、それで。

「──もっとおかしくしてよ」

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