第8話 色を付けたお礼
ここ最近やたら騒がしかったが、制服少女が家に帰ったことにより、ようやく俺の周囲は落ち着きを取り戻していた。
眠気眼を擦りながら、大学の睡眠導入授業を訊くのも今となっては心地良い。
瞬く間に夢の世界へと旅立ててしまいそうだ。いや、授業受けなきゃいけないんだけど。
窓際美人が付けた傷跡はまだ残っていて、大学内を1人で歩いていても視線を感じることがある。
嫌になってしまうが、これ以上あのシスコンな黒魔女と関わることもないので、あらぬ噂がこれ以上広がることはないだろう。
火のない所に煙は立たない。75日はちと長いが、指折り数えれば終わるだけまだ希望があった。終わりの見えないデスマーチは地獄でしかない。
ただ、しこりというか、心残りはある。
状況的に切羽詰まって制服少女は家に帰らざるを得なかった。
追い出されるうんぬんは売り言葉買い言葉にしても、制服少女が家を出たのは事実。その根本的な原因の解決はまだできていないはずだ。
いずれ、また同じようなことをするんじゃないかという不安は常に付きまとう。
ただ一方で、なにやら気の晴れた様子の制服少女は別れ際、
『逃避ではなく、今度は私も努力しようと思います。
嫌なことと向き合って、自分なりの答えを出すつもりです』
なんて、宣っていたのがやや気になる。
その時は良い意気込みだねけど俺には今後一切迷惑をかけないでね? という気持ちを押し殺して適当にぷらぷら手を振ったのだが、今になって気にもなる。
大丈夫なんだろうなぁ? と、相手への心配なのか、自分に迷惑がかかるかもという不安なのか、綯い交ぜの気持ちが握ったペンをぐるぐると動かす。
「あ」
気付けば、ノートにどす黒い丸ができていて、書き写した部分すら塗り潰していた。
はぁ、とやる気を失う。
新しいページを開こうとすると、隣に誰かが座ってきた。
授業真っ最中に誰だ遅刻野郎めと思って横目で睨むと、「げっ」と心の嘆きが口を出てしまった。
「その『げっ』は、どういう意味の『げっ』なのかな?
教えてほしいなー?」
「……なにしに来やがった、魔女め」
にこやかな笑顔を浮かべる窓際美人に、どっかいけと念を送る。
くそっ。1人になりたいからと常に隣を空席にしているのが仇になった。
こうなるぐらいだったら、誰ともしれない田中君や佐藤君を座らせておくんだった。そんな苗字の奴が教室に居るかなんて知らないけど。
誰であれ、隣の黒魔女よりはマシだった。
「というか、お前2年だったのかよ」
「え、違うよ?
3年です」
スリーピースを決める窓際美人。
あ、そうなの……ではなく。
「……なぜここに居る?」
「ピチピチの女子大生だからだね。ぴえん」
古いんだよ言いたいだけだろうが、とツッコミを入れると、こいつの思う壺なのは目に見えているのでぐっと堪える。
机の下で太もも抓ってやろうかと、みみっちいながらも陰湿な嫌がらせを実行に移すか考えていると、窓際美人がふと表情を緩める。
「君に会いに来たんだよ」
心臓が跳ねる。息が詰まる。
そして、ニヤッと窓際美人の両頬が嫌らしく釣り上がる。
「ドキっとした?」
「あぁ、したね。寒気が」
ひどーいっというが、酷いのはどっちだか。
男心を弄びやがって。
新たなページにも禍々しいブラックホールが生まれる中、隣の彼女が声音からからかいを引っ込める。
「本当は今回の顛末を伝えに来ただけ。一応ね。
気にしてるかなって」
「ぶぇつにぃ」
唇を尖らせて、わかりやすく拗ねる。
「訊かないならいいけど?」
「…………」
押し黙る。
素直じゃないなぁと笑われるのが、またなんとも悔しい。
どうあれ、俺はこの女に弄ばれる運命なのか。
「結論だけ言うと、
セイカちゃん、1人暮らしすることになったんだ」
「それは、両親許可の元?」
「うん」
肯定される。そうかぁと思う。
家に帰って、どういう話し合いが行われたかは定かではないが、変化はあったらしい。
丸く収まったわけではないのは、結果を訊くだけでも明らかだが、家出までした制服少女の主張が形になったのは良かったと言えるだろう。
これが、制服少女の主張が通ったからなのか、それとも母親が追い出した結果なのかで意味合いは随分と変わるが、良い方向に転がったと思っておこう。
人は思うだけならば自由なのだから。心だけは縛られていたくない。
でもまぁ、
「よくお前が納得したなぁ」
「――してると思った?」
あはっ、と笑顔に影が差す。
あ、そうなのね。途端に意外でもなんでもなくなる。そうね、シスコンだもんね。
けれども、直ぐ様圧力すら感じる笑顔を引っ込め、しゅんと肩を落とす。身を窄め、小さくなるその姿は、叱られて反省する子供にも見える。
腕を寄せたことによって存在が増した胸部とは対照的に。相変わらず無駄にデカい。
「全部、お母さんのせいにして目を逸らしてたけど、
セイカちゃんの家出には私にも原因があったから」
止められないよね……と、そう呟く彼女の横顔はどこか寂しげであった。
あれだけ『セイカちゃん好き好きちゅっちゅ』してた窓際美人がねぇ。
反省は成長なのか。
どうあれ、なにかしらの心境の変化はあったのかもしれない。
ま、俺には関係ないけどと、学生らしく前を向いて授業を受けようとすると「あぁ、そうそう」とついでとばかりに窓際美人が言う。
「結局、家を出ることになっちゃったし。
これからも相談に乗ってもらうからよろしくねー」
「……は?」
今、なに言ったのこいつ?
「ふざけんな……!
もう関係ないだろがいっ!?」
というか、最初から関係ない。
けれど、横暴なことを平然と告げた窓際美人は、したり顔でふふふと笑う。
「前払いしてるから」
言われ、未だに預かりっぱなしの10枚の札を思い出し、いや返すから……! と腰を上げようとしたが、
「またね。
ばいばーい」
と、手を振って、授業中の教室を堂々と出ていってしまう。
後に残ったのは半端に腰を浮かせた俺と、静寂の中、俺へと集まる冷ややかな視線。
金の切れ目が縁の切れ目。
逆に言えば、金の繋がりがある以上、縁とて切れないという意味にも他ならないわけで。
重みの増した財布に負けて、俺は元の
■■
こうなってくると、もう1つの嫌な予感が頭に過る。
まさかと思いつつも、刻々と時を刻む時計を見ながらレジに立っていると、丁度深夜0時を過ぎた頃、それは当たり前のような顔をしてやってきた。
イートインスペースにあるいつものと呼べるぐらい定番になった席で、パックジュースにストローを挿してちゅーちゅー吸ってる女。そいつを見て、俺は頬をひくひくと痙攣させるしかなかった。
「おい制服少女。なぜいる。
1人暮らしするんじゃなかったのかよ」
「私がどこにいようと勝手ですよね?」
どこかで聞いた覚えのあるセリフを言う制服少女に、なにも変わってないと俺は頭を抱えて蹲りたくなった。
「それに、今は制服ではありませんから」
「見りゃわかるよ……」
レースの刺繍が施された白いブラウスに、花びらのように揺れる黒のロングスカート。
確かに制服少女とは言えない格好ではある。
が、
「制服少女は制服少女だから。
もう言い慣れた」
「慣れないでくれません?」
とは言っても、人間慣れると無意識に身体が動くものだ。つまり、こいつの顔を見ると『制服少女』と勝手に連想されてしまう。しょうがないのである。
「そもそも、私の名前覚えていますか?」
「名乗られた覚えもないんだがなぁ」
そういえば、と頷かれる。ちなみに、俺も名乗った覚えはなかった。
まぁ、姉からセイカちゃんセイカちゃんと耳が腫れるぐらい連呼していたので覚えてはいたが、口に出すつもりはなかった。
呼び慣れたというのもあるが、今更変えるのもなんだかこそばゆい。
「名乗れば呼び替えてくれますか?」
「無理。慣れたから」
実際、咄嗟に呼ぼうとすると制服少女と口が勝手に動いてしまう。
「よっぽど衝撃的な出来事でもあれば別だろうが、
お前は制服を着ていようがいまいが、どうあっても俺の中では制服少女だ。諦めろ」
「衝撃的……」
なぜか口元に手を当てて、悩むように目を伏せる。
考える余地なんてないだろうと思っていたが、「それなら丁度よかったですね」と制服少女が笑顔を浮かべる。うわぁ、嫌な予感。
身構える。
「俺はな。
最近どこぞの姉妹のせいで、笑顔を見るとなにかあるんじゃないかと警戒するようになっちまったんだ」
「それはいいですね。
笑顔で近付いてくる人は怖いですから」
私は違いますが、とより笑顔が深くなる。
どこが違うのか懇切丁寧に説明を求めたいところだ。
警戒する俺に、制服少女は落ち着けと手のひらを俺に向けながら、席を立つ。
「そう怯えないでください。
これまで借りてたものを返すだけですから。
お礼も兼ねているので、少し色も加えています」
「…………マジか」
ふむ、と納得する。
そういえば、こいつの金が絶望的に少なかったのは、家出をしていたからだ。
姉である窓際美人が
「なんだぁそっかぁ。
それなら早く言えよぉ」
「……その手のひら返しは気になるところですが、まぁ、いいでしょう」
ジト目をしてさぁよこせと差し出した俺の手を見下ろしてくるが、どうでもいい。
これまでの出費が戻ってくるというのであれば、俺はそれだけでよかった。
はよはよと、手招くようにクイクイすると、制服少女が一瞬視線を泳がせる。
「理解していないとはいえ、そう求められると少々恥ずかしいですが……」
「……?」
「んん、では」
なぜか意気込む制服少女。
なんだと疑問を抱くと、手を取られる。
まさか、このまま手を置いて『はい返したー』なんて、子供染みた真似をするんじゃないだろうな――と警戒していると、不意に手の平に柔らかい感触が伝わってくる。
「――
これなら、貴方も忘れないでしょう? 夜行さん?」
瞠目する俺に、セイカは頬を赤く染める。
初めて出会った時と同じように、俺の手を掴んだ彼女が胸を押し付けてくる。
その柔らかさはいつかと変わらない。
女性の胸が早々に大きくならないのは、男とてわかっている。
いきなりなにするんだとか。こんなモノがお礼になるかとか。
言うべきことは沢山あるはずなのに、言葉が出てこない。
それどころか、
「顔、赤いですね。
照れてます?」
「――~~っ」
どうして、俺はこんなに照れているのだろうか。
今にも逃げ出したいのに、このまま触れていたいと思うのはどういうことか。
対照的に、頬を赤らめながらも落ち着いているセイカ。
かつて逃げ出した彼女とは別人のようで。
なにより、まるで立場が変わったかのような状況に、目眩がして視界が揺れる。
立ちくらみがして倒れそうになるのを、セイカが抱きしめるように支えてくる。
身長差が埋まり、俺の肩に顔を埋めるセイカが熱っぽく囁いてきた。
「……お礼、受け取ってくださいね?」
心臓が早鐘する。
そして、ようやく気が付いた。
いつか、こいつは姉のように黒魔女になると思っていたが、もう十分魔性を秘めていたんだな、と。
抵抗虚しく。
熱で浮かされるような感覚を覚えながら、伝わってくる彼女の熱とともに、そう……理解させられた。
◆深夜のコンビニバイト中に入店してきた非行少女に餌付けをしたら、俺のシフトを狙ってイートインスペースに入り浸るようになってしまった。_fin◆
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