第5話 男が書籍を買ったらえっちな本と思われる風潮はどうかと思う
買いたい本は想像していたよりも安値で売られていた。
安く買えて良かったという喜びよりも、釈然としない気持ちを抱えたまま、駅へと道なりに歩いていく。
調子を取り戻したのか、歩調を合わせて隣に並ぶ制服少女が、俺の腕の中にある紙袋を興味深そうに覗いてきた。
「なにを買ったんですか?」
「想像してみれば」
「……えっちな本?」
じとーっと、瞼を半分にして湿っぽい瞳を向けてくる。
どうして男が買う本というと、エロ本というイメージがあるんだろうか。心外だ。その手の本は買わないのに。男というだけで一括りにされて、勝手に心象を下げられたくはなかった。
「じゃ、そういうことで」
とはいえ、最初から否定する気もない。
済まし顔で想像にお任せする。
さっきはなんでか心乱されたが、平静を取り戻した今、制服少女になにをどう思われたところでなんとも思わない……はずだ。
「なんですか、それ」
制服少女の唇が真横に結ばれる。
答える気がないという返答が気に食わなかったのは明白だが、態度を変えるつもりはない。つーんとそっぽを向くと、目元にまで皺を寄せて増々不機嫌そうな顔になる。
意固地になりすぎている気もする。別段、本を見せたところでどうもこうもなかった。
ただ、なんとなく意地になっていて。なんだかんださっきのことが尾を引いているんだなと意識すると、そっちのほうが恥ずかしいじゃないかと嫌になる。
紙袋を手で掴み、そのまま制服少女の前に差し出す。
「ん」
「……いいんですか?」
「見たくないなら見なくていい」
「見せたいと仰るなら、見てあげなくもありません」
しょうもない意地の張り合いだった。
じゃあ止めたと、少女が届かないよう手を上げようとも考えたが、それこそあまりにも幼稚だ。意地というには悪ふざけがすぎる。
「はいはい見せたい見せたい」
「むっ……そういう態度はよくないと思います」
なんでだよ。
こっちが折れたというのに、なんだか不満そうだった。お互い納得できる着地点というのは難しい。
紙袋を受け取った制服少女が「開けても?」と確認を取ってくるので、適当に頷いておく。
すっきりしない顔だったけれど、結局中身のほうが気になるのか、丁寧にセロハンテープを剥がして中身を取り出す。
そして、表紙を見て、意外そうに目を丸くした。
「これは……投資の本?」
見られる。なんですかー。なにか文句がありますかー。
むっつり下唇を持ち上げる。
「なんだよ」
「絶対にえっちな本だと思っていたので、意外だな、と」
「どんだけ期待してんだよ。
むしろ大好きか。むっつりなのかお前は?」
「ちっ、違います!」
抱えた本を強く胸に抱き、真っ赤になって取り乱しているところが怪しい。
ただ、この年頃の少年少女なんて性に奔放というか、興味津々なのが普通だろう。俺のように20歳にして枯れ始めているのが珍しい。
ないこともないんだけどなー。そういうことをする体力気力がないだけで。
赤くなった顔を本で隠しながら、少女が言い訳を紡ぐ。
「あくまで男性への印象と言いますか、
そういうのを購入していそうだなというイメージで。
私がそういうのに興味があるとか、してみたいとか思っているわけではないので!」
「言い訳すればするほど墓穴って掘れるんだよなぁ」
俺の言葉に本を盾にした制服少女がぷしゅぅっと頭を沈ませる。
寒くなってきたのに暖かそうで羨ましいね。
そもそもとして、あの古書店はその手の本は置いてなかったはずだが……あぁ、いや。官能小説はあったかな? でも、そういうのも文学なんだっけ? 俺にはわからない世界だ。
「えと」
制服少女が話だそうとして躓く。
なんだと顔を向けると、本の上部から僅かに揺れる瞳が垣間見えた。
「こういうの、やるんだなと、……思い、まして」
「……顔赤くしてそう言われると、
俺が恥ずかしいことやってるみたいで心外なんだが」
そういう意味じゃないと慌てて本をパタパタされるが、お前がそう思ってなくっても周囲の人たちがどう思うかでね? 公衆の場で変に言葉尻を取られそうな言動を止めてほしい。
ただまぁ、言わんとすることは分かるので、一応釈明しておく。
「そりゃまぁな。これぐらい。
一応、大学で経済学も選択しているし」
「……意外」
すっと赤みを引かせて、制服少女がじっと見つめてくる。
ちゃんと勉強しているように見えないのは自覚があるので特別否定はしないが……この、事実とはいえそういう反応されるとムカつくのはなんでだろうか。ポカッてしたい。
「柄じゃないのはわかるが――」
「大学通ってたんですね」
「――え、なに。
そこから意外だったの俺」
こくりと頷かれる。わー素直ー。
よっぽど意外だったのか、感情が零れ落ちて素の表情が表に出ている。
制服少女の年齢なんて知らないが、その顔は年相応以上に幼く見えて、年下なんだなという印象を強く受ける。
「深夜のコンビニに毎日のように働いているので、親の脛に齧りつくフリーターなのかと思ってました」
「はぁ……まぁ。
そう思われてもしょうがないぐらいの遭遇率なんだろうけど……って、おい待て。
親の脛齧りの前置きいらなかっただろう」
「違いましたか?」
うぐっと口を閉じる。正しいけれど。
とはいえ、まだ大学生だし。世間的に言うところの親に養われている学生という身分だ。まだ、ギリギリフリーターではない。
ニュースを観ると就職率の低下とか、転職ばっかで安定しないとか、特出したスキルがーとか言われるのを見ると、先行きが不安になるばかりだけども。
どうしてニュースって不安を煽るようなことばかり流すんだろうね? もっと明るい報道はないものか。例えば、あー……パンダの赤ちゃんが生まれたとか。(若者の想像力の低下)
「どこの大学通ってるんですか?」
「あーそれは……。
教えるわけねーだろ」
個人情報と指で
言って問題があるのかどうかすらまだわかってないのに。
窓際美人の憂いた顔を思い出しつつ、本を取り上げる。
パラパラと歩きながら見ると、「危ないですよ」と注意されるのでパタンッと閉じた。
まぁ、確かに。
勉強だけじゃなくって。
なにかを頑張るようには見えないよなぁ。
顔をしかめる。
俺が私がと。他人に自分語りをするのは好きじゃなかった。
自己顕示欲なんてないし、誰かにマウントを取って優越感に浸る気もない。
それに、真面目に語ったところで、こういうのはどうあれからかわれるに決まっている。真剣な人間というのは、出る杭として打たれるものだ。
努力してる人は格好悪いなんて、出来ない人間は足を引っ張りたがる。だから、誰もが本心をひた隠す。
とはいえ、隣を歩くのは名前も知らない非行少女。
縁なんて呼べるほどの繋がりもない相手だからこそ、普段よりも口が軽くなっているのかもしれない。それとも……と考えて、口を片手で覆う。余計な思考が過ぎった。消去消去。
脳から都合良く記憶を消して、なんでもない風を装ってぼそっと思いを舌に乗せる。
「俺は将来、真っ当に働ける気がしないからな」
「あ、はい。そうですね」
なんの抵抗もなくあっさりと肯定されてしまって、イラッとこめかみが動いた。
人のことは微塵も言えない俺だけど、こいつはほんっとうに脳直で話してるんじゃなかろうか? そんなんじゃ友達できないぞ。ちなみに、俺は友達がいらないのであって、いないわけじゃない。
「いずれ親に寄生するニートの話には興味がないようなので終わりでーす。
はいさようならー良い子はさっさと学校行けよこの野郎お巡りさーん」
「失礼しました冗談でした。
つい本音が止める間もなく飛び出してしまったもので。
後で叱っておきます」
「家出した本音をどうやって叱るんだよ」
「……こう、えいって?」
猫の手のように軽く拳を握って、軽く叩くような素振りを見せる。それはどちらか言うと招き猫っぽいんだよなぁ。
なんだか話す気もなくなってきたが、制服少女を伺うに興味はありそうなので、辟易しつつも重たくなった口を開く。
余計なことを言って落ち込ませた謝罪としておくか。昨今の税金並みに高く付きそうだなと、政治家のように不用意な発言を気を付けたくなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。