第4話 家出少女に干からびた男心はときめくのか?

「家出するぐらいには窮屈そうだから嫌」

 取り繕うことのない、素直な感想だった。

 さっきもそうだが、どうにも俺は気を遣うとか、オブラートというのが苦手らしい。

 あまり人と接する機会がなかったので、自覚する機会には恵まれなかった。一生恵まれなくってよかったのに、と思わなくもない。


 ただ、その分言葉にしたのは本当で。

 裕福な家庭というのを想像すると、なんでも買ってもらえるのかなぁ、とか。一々小銭程度のお金に頓着したりしないのかなぁ、とか。そういう浅薄な羨ましさはある。

 けれど、お金の大小が幸福に直結しないのは、目の前の少女を見ていればわかる。


 他人であれ、血の繋がった親であれ。

 結局のところ、幸せなんてものは人間関係が大部分を占めていて、どれだけ整った環境であっても、住み良い場所とは限らない。

 そうした証人が近くにいて、漠然と『お金がありそうで羨ましい』なんて気持ちになるはずもなかった。面倒そうだから今のままでいいやと思ってしまう。


 まぁた余計なことを言ったかなぁ。

 口をへの字にしてふっとやるせない息を吐き出す。他人との関わりを拒絶してきた経験値の無さが出てしまっていた。

 これ以上落ち込まれたら手の施しようがないぞ、と内心早くも後悔しそうになっていたが、彼女の顔を見ておやぁ? と瞬きを繰り返す。


「そう、ですか……。

 それは、そうですよね」

 憂いも、嘆きもなく。

 暗く、今にも雨が降りそうだった雲の隙間から、天使の梯子がかかったかのような、華やかな笑顔を輝かせていた。

 同意も共感も。

 なにもしていないのに、今のどこに制服少女を笑顔にさせたのかわからなかった。


 けれど、晴れた笑顔は無邪気で、混じり気のないその輝きに言葉を失い、魅入られてしまう。初めて目にした少女の素直な笑み。

 元から可愛いとは思ってたけど……と、肋骨の内側で形のないなにかが浮き彫りになろうとしたけれど、「ん?」と言う少女の疑問符に心臓が跳ねて霧消する。

 肩まで一緒に跳ねて、ぶわりと全身が震える。早鐘する心臓の音を聞きながら、顔が熱を帯びだすのを感じ取った。


 なんだか、なんだろ……くそぉ。

 よくわからないままなのに、なんだか負けた気になってしまった。勝負すらしておらず、そもそもなにに負けたのかさえわからないが、敗北による屈辱と羞恥ばかりが血流と一緒になって全身を駆け巡っている。


「な、なんだよ急に……」

「いえ」

 粟立つ内心を誤魔化そうとしたら、思っていたよりもぶっきら棒な声音になってしまって自分で驚いてしまう。

 ただ、制服少女はよく聞いていなかったのか、淡く唇に指先を添えて、なにかを思い出すように床を見つめている。

 なんだか無視されているようで癪に触っていると、不意に少女がガバッと顔を上げる。


「……っ」

 その顔が思いの外近く、咄嗟に仰け反るようにして距離を取ろうとした。

 けれど、下がった分だけ制服少女が近付いてきて、瞳さえも重なって溶けてしまいそうな距離に「~~っ」と声にならない声が悲鳴のように漏れてしまう。


「おまっ、女だって言うならもうちょっと距離をだな――」

「私、貴方に家出って言いましたか?」

「――って、は? 家出?

 そんなの…………」

 言われた、覚えは……ない、ような?


 なんで知っているのかと制服少女の顔が迫ってくる。俺の視界を夜の天幕のように深い瞳が埋め尽くし、あたかも夜空に吸い込まれるような感覚に陥ってしまう。

 至近距離による逃げ場のない追求に、喉ばかりが鳴る。

 言いましたか? なんて問われたところで、理由なく口をついただけで――と考えて、「あ」と記憶が繋がって「あー」と諦めたような、嘆くような声が伸びた。


 俺の声に反応して、少女の丸かった夜空が下弦の月のような影を差す。

 一旦そのことは無視して、紐付けて呼び出した記憶はソウカ――窓際美人の顔で。

 彼女が家出した妹を探しているなんて噂を見聞きしていて、もしかしたらと考えていたから、無意識に口に出てしまったんだなと理由を知る。

 そして、家出という確証を得て、知らず真相に一歩近付いてしまった感がある。


 これをどう説明すればいいんだろう。

 瞳が泳いで明後日の方向を向く。それでも、視界は制服少女の瞳が占領していて、やっぱりどこにも逃げ場はなかった。

 とはいえ、本当のことを説明する気にはなれないのは変わらず、

「い、いや……」

「いや?」

「状況証拠的に家出以外にありえなくないかなーって」

 思ったりぃ、思わなかったり?


 家出した理由はともかく。

 傍からすればそうとしか見えないだろうと思う。けれど、下手に噂を伝え聞いていて、実際にうっかり零れてしまった理由が他にあるから、これで納得してくれるかやや自信がない。

 もしかして、余計な言い訳だったかなぁと不安に駆られたが、スッと制服少女が身を引いて、迫っていた夜が明ける。


「それもそうですね」

 なんともあっけらかんとした態度に、俺のほうが肩透かしを食らってしまう。

 だからといって、俺から『本当に?』なんて問い返して、やぶ蛇になるのはいただけない。

 やや釈然としないものの、未だに落ち着きを見せない心臓を胸の上から叩いていると、ぐいっと腰を引かれる。


「なにをしているんですか?

 探してる本があるなら、呑気に突っ立ていないで見て回りましょう」

「……誰のせいで、って引っ張るなっ!

 というか、いつまで服掴んで――」

 ぴとっ、と。

 声を上げようとした口を、少女が立てた人差し指に塞がれ押し黙る。


「店内ではお静かに。

 子供じゃないんですから、それぐらいのマナーは常識ですよ?」

「…………。

 家出するような子供にマナーを説かれたくない」

 精一杯の皮肉を込めて言うと、制服少女が目尻を釣り上げてギャースカ怒り出す。

 だが、怒りたいのは俺のほうで。あぁ、くそっと悪態をつく。

 俺だけ取り乱しているのは不公平じゃないかと、静まる様子のない心臓を強く叩いて黙らせる。

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