第2章
第1話 大学の講義中にも頭の中には制服少女
ふわぁっ、と。
出そうになるあくびを噛み殺す。
深夜バイト明けの大学講義は、決まって眠気との戦いだった。
普段から半分閉じている瞼が更に落ちてしまい、今にも夢の世界に旅立ってしまいそうになる。
大学の講師がなにか小難しいことを話しているが、半分眠っている頭には子守唄にしか聞こえない。睡眠導入として売り出せば記録的な販売数が見込めそうだな、なんてくだらないことを考える。
正直、このまま寝てしまうか、そもそも大学になんて来なくてサボってしまいたかった。襲ってくる睡魔と戦うには、人間はあまりにもひ弱すぎるのだから。
ただ、サボりすぎると卒業の単位が足らなくなってしまう。親にお金を出してもらって講義を受けている養われの身としては、眠いからサボるなんて真似は許されない。
手から力が抜けて卓上に転がってしまったボールペンを慌てて握り直す。
勉強への熱意……というか、授業料勿体ない精神でどうにか夢の世界に旅立たず、現実に縋りついている俺とは違い、既に睡魔に身を委ねてしまっている人たちもちょこちょこ。
机の下でスマホをいじっている人もいる。
単位さえ取れればいいという生徒たちで、席が自由な講義ゆえにそういった人たちは後ろの席に溜まりがちだ。
俺も後ろの席がいいのだけれど、残念ながら中央列の窓際に陣取っている。
後ろの席は単位が欲しいだけの生徒が狙っていて競争率が高い。場合によっては大学に遊びに来ているだけのような集団が確保して騒がしくなるのでよろしくないのだ。
流石に講義中にそんな大騒ぎする奴らは多くないが……一年次、一度囲まれて大変な目にあったのを今でも忘れていない。
義務教育と違い、講師陣も基本的にはスルーだし。追い出す講師もいるが、稀である。
僅かばかりの抵抗として、左右どちらかの席を空けるように席を選んでいる。気分は電車の席を1つ開けて座るイメージ。端っこなら尚良し。
朝だからか、比較的今日は静かな講義だった。
カリカリとノートに書き込む音が重なる。講師の声だけがラジオの1人語りのように教室内を歩いていた。
音はしながらも静寂さを伴う教室は、どことなく深夜のコンビニに似ている。
違うのは、店内BGMとして流れるテンション高めのパーソナリティーよりも、講師の声は単調で物静かということか。
そうした環境のせいだろうか。ふと思い出すのは、1週間前からコンビニに現れるようになった制服少女のことだ。
窓ガラス越しに外を見ると、羊のような小さな雲の群れが広がっていた。雲の切れ間からは群青が顔を出し、爽やかな秋空という光景だった。
深夜。水の代わりに光で満ちる
そんな空の下、深夜にしか現れない制服を着た少女はどこでなにをやっているのかと、空に浮かぶ羊雲のようにもくもくと俺の頭上を浮かびだす。
今頃、ちゃんと学校に通ってるのかなぁ。
制服は着てたし、鞄も持っていたからそうだとは思うけど。そこら辺をほっつき歩いているのか。
登校時間を過ぎて制服のまま街中を歩いていれば、やたら目立つだろうに。補導されてなきゃいいけど。
あの様子じゃ家には帰ってないみたいだし、ご飯だってまともに……と、そこまで考えて眉間に皺を寄せる。
いや、なんで俺があいつの心配をしなくちゃならないのか。
たかだか1週間前に出会った程度の関係の薄さ。
コンビニとお客様。
しかも、店員である俺が弁当を奢るという、客とも言い難い些か不本意な間柄だ。腹にやたら飯を要求して唸る犬を飼っているぐらいしか知らない相手。
「アホくさ……」
誰にも聞かれないよう、ひとりごちる。
靄のように浮かんでいた疑問の羊雲を、重い頭を振って散らす。
講義に集中しようとペンを強く握るが、少女の顔がチラついて離れない。特に顔色の悪い表情が脳裏に刻まれていて、意識を乱してくる。
暫くこの場に居ない頭の中の制服少女と格闘していたが、追い払うには至らず。
最終的にはでもなぁ、と思考が引っ張られてしまった。
両肘を付く。組んだ両手の上に額を乗せて俯く。誰にも悟られないよう重さの伴う吐息を零す。
どれだけ関係ないと自分に言い聞かせたところで、意識の隅に付いて回る。
空に浮かぶ羊雲から逃げようとしたところで、そう簡単には引き離せないように。時間が立てばいずれ風に流されて消えていくだろうが、最後に制服少女の顔を見たのはバイトを上がる早朝。空模様が変わるのにはまだ早い。
一時の優しさで捨て犬に餌を与えたような感覚なのかなぁ。
顔を見る度、見捨てるに見捨てられず、ずるずると。気が付けば、家で飼っていたなんてことに……と考えて首を左右に振る。
ない。それはないと強く否定する。
相手は女の子だし。俺は実家住まい。そうでなくっても、いくら見かねたからって、女子校生を拾うような真似はしない。
あぁくそ、と振り払えない不安に胸の内で悪態をつく。
だから嫌なんだ。人と関わるのは。
人間関係は煩わしい。
1人ならこんなことで悩まないのに、誰かとの関わりは余計な枷を俺に嵌める。どこに居ようとも、どこまでだって鎖は伸びる。付いて回る。
そういうのに振り回されるのはもう嫌だと、極力人と関わらないように生きてきたのに。
今更になってその決意を覆したくはないのに。
ただ、彼女と……制服を着て深夜に現れた少女と出会ってからというもの、その生き方にズレが生じ始めている気がする。
考えると、どこからともなく心の軋みが聞こえてきて、胸をぎゅっと押さえる。
嫌なら関わらなければいいというのは十二分に理解している。
けどなぁ、と。
思い出すのは、犬の唸り声のように腹の音を鳴らし、真っ青な顔でイートインスペースのテーブルに突っ伏する、今にも死にそうな少女の哀愁漂う姿だ。
俺が飯を与えなきゃ死ぬんじゃないかと思わされてしまう悲壮感。善人ではないと自負している俺だが、非常に残念ながら僅かなりとも良心を持ち合わせていたようで、手を伸ばさずにはいられなかった。
なにより、俺がなにもしなかったから死んだなんて事態になったら、誰が相手でも後々引きずるのはわかっている。誰かの死を引きずって生きていくなんて、ゲームの主人公のような真似を俺はしたくない。
例え、そうなる未来が僅かで、たらればでしかなかったとしても。ほっておくなんてできるはずもなかった。
生き方と自分の性分。
その噛み合わせの悪さに、つくづく嫌気が差す。
否応もなく、腹を空かせた犬を拾わされた気分だった。
飯代ばかりかかってしょうがないと、重く沈殿したモヤモヤをため息と共に吐き出すと、同時に講義が終わる。
途端、静寂だった教室内が椅子から立ち上がる音や話し声で騒々しくなる。
知らず物思いに耽っていた俺は、立ち上がるタイミングを逃して呆然と人の流れを見つめていた。
視線を落とすと、そこには開かれた大学ノートがあって。
数行。講義の最初にされた説明が申し訳程度に書かれていて、残りは真っ白。罫線だけが綺麗に並んでいる。
「はぁ……」
なにやってんだか。
親の金とはいえ勿体ない。1コマの講義代を計算して、ため息ばかりが口をつく。
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