第2話 お礼は身体で支払うもの?

 深夜のコンビニに流れる閑散とした空気は嫌いじゃなかった。

 本来、人で賑わう場所に誰もいないというだけで、物寂しさを感じる。

 ガラス窓の向こう側は暗闇が満ちていて、なのに中は影1つ許さないように明るさが支配していた。

 内と外。くっきりと別れる明暗に、大きな水槽の中にいるような錯覚さえ覚える。


 数時間に渡って人を見ないと時折、実は世界は災害やなにかで滅んでしまい、唯一ここだけ残っているんじゃないかと考えることがある。

 自分の死を考える時のような感覚。けれど、それに恐怖するよりも、それならそれでと達観してしまう辺り、よっぽど人と関わりたくないんだなと我が事ながらちょっと笑ってしまう。


 ただ、そんなポストアポカリプス的な退廃的で閑散とした空気が、最近少し変わってしまった。

「っ……んぐ!」

 イートインスペースで食欲旺盛な運動部男子のようにがっついて食べる、深夜にも関わらず制服を着た少女を見ると、繊細で感傷的な考えなんてあっさり吹き飛んでしまう。

 いや、その食料が見つからなくって久しぶりにご飯を食べましたという雰囲気の食欲っぷりは、終末世界観があるのかもしれないが……なんだか一気に現実に引き戻されて肩の力が抜ける。


 呆れが顔に出ていたのか、抱えた弁当をテーブルに置いて、制服少女は物言いたげに黒い瞳を細めてくる。

「……なんでしょうか?

 女子高生が食べる姿がそんなに珍しいですか?」

「まぁ、深夜のコンビニで腹空かせた犬みたいに食べてるのは珍しいっちゃ珍しいけど」

 皮肉交じりに言うと、唇を結んで目尻が吊り上がる。羞恥と怒りが綯い交ぜになったように頬が紅潮し出す。


 年下の女の子だからか。

 怒っているのに威圧は感じず、むしろ俺の目には滑稽に映ってしまう。

 対面に座った俺は、人差し指で頬の端を叩く。

「ご飯粒」

「っ……!?」

 制服少女が慌てて、口の端にくっついていたご飯粒を指先で取る。

 拭く物を探しているのか、あたふたキョロキョロと周囲を見渡し始める。ただ、どういうわけかピタリと視線が止まったのは正面に座る俺で。


 テーブルに肘をついて、俺はぐにっと手の甲で頬肉を持ち上げる。

「なに? 紙ナプキン? おしぼり?」

「いえ」

 と、首を左右に振る。釣られるようにして、肩口に揃えられた黒髪も流れる。

 指先のご飯粒を見て、俺を見る。だからなに。


 訝しんでいると、不意に手が伸びてきた。

 身構えることもできず、そのまま制服少女の伸びていた指を口の中に突っ込まれてしまう。

 突然の奇行に目を白黒させて硬直する。

 異物を追い出そうと動いた舌が少女の指を舐める。細く、長く、つるりとした皮の感触。「んっ」と声を鳴らし、少女の肩がぴくんっと一瞬震えた。


 時計の秒針が少し傾いただけの僅かな時間。

 俺の口に収まっていた指を制服少女が引き戻すと、コンビニの明かりに反射して透明な糸が引いているのが視認できた。

 その光景と、羞恥に身悶えて俯く少女を一緒に視界に収めると、いけないことをしてしまったかのようで、途端、居た堪れなくなる。

 と、いうかだ。


「………………。

 いきなりなにすんだこの野郎」

「野郎ではありませんから」

 そういうことじゃなくって。

「どうして。

 いきなり。

 指を突っ込んだのか。

 訊いてんだよ」

 語調を強めて問い質すと、制服少女はふいっと顔を逸して両手の指を絡めだす。

 右手の人差し指が濡れているのが見て取れ微妙な気持ちになっていると、ぽしょりと制服少女が呟いた。


「……男性なら、女子高生の頬に付いたご飯粒をそのままあーんしてもらうのは嬉しいのかと思いまして。

 お礼に、なるかな、と」

「胸は薄いのに頭足りてねぇよなぁ、お前」

「どういう意味っ!?」

 そういう意味だよ。


 摂った栄養がどこに消えているのかわからないペッタンコ少女が涙目で睨みつけてくる。が、なにも怖くない。

 だいたい、あれのどこがあーんなのか。いきなり蜂に刺されたぐらいの驚きしかなかったぞ。いっそ暴行とほぼ同列である。

 相手が女子校生とはいえ、そんなものにときめきは感じないし、なんなら男というものを軽く捉えすぎだ。流石にそんな安易じゃない。極一部存在するだろう女子校生の指を舐めたい変態はともかく。


「なにがいけなかったの……?

 ご飯粒の量?」

 なにやらくだらないことで悩みだしたアホ丸出しの制服少女を見て、はぁ……とため息が零れてしまう。

 終末で退廃的な空気なんて、この少女にかかれば一気にコメディへと堕ちてしまうらしい。



 制服少女が訪れるようになって今日で3日目。

 たった数日だというのに、やや慣れつつあるのに嫌気が差す。こんなところで発揮される自分の順応性が恨めしい。


 ご飯粒1つ残すことなく空っぽになった弁当箱を見て、虚しさとやるせなさが同時に込み上げてくる。

「どうして俺が奢らなきゃならないのか……」

「奢ってなんて頼んでませんから」

 眉をひそめる少女。

 その表情は見るからに不満げで、不本意だというのが言葉にせずともありありと伝わってくる。


 事実、この名前も知らない中学生か高校生かもわからない女子校生は、一度たりともご飯を奢ってくれなんて口にしたことはない。

 ……言ったことはないが。

「腹に飼ってる犬がぐるぐる唸ってうるさいからしょうがないよなぁ」

 言うと、制服少女がむぐっと口を紡ぐ。


 イートインスペースはレジから死角になっているというのに、ぐぎゅるぐぎゅるまぁよく聞こえてくる。最初こそ無視していたが、1時間もすれば耐えきれなくなって、結局諦めて弁当を買い与えてしまうのである。

 鬱陶しいからといって、まさか追い払うわけにもいかず。制服少女が入店した時点でこうなるのは運命みたいなものだったのだろう。

 運命というには、あまりにもショボすぎるし、偶然というには強制力が働いているけれど。


「仰りたいことはわかりますけど、一応、お客様なんですけど?

 テーブルの対面に座って悪態つくなんて、接客態度としてどうなんでしょうか?」

「金払わん奴は客未満なんだよなぁ」

「今日も、ちゃんと買ってはいます!」

 ズイッと1リットルの紙パックのオレンジジュースを押し出してくる。

 確かにそれを買ったのは制服少女だし、俺がレジを打ったけれど。

「100円かそこらの紙パックジュースでドヤ顔されてもなぁ。

 ちなみに、その弁当は500円するんだけどどう思います?」

「それでも今の私にとっては厳しい出費なんです!」

 だろうけども。


 制服姿で深夜のコンビニに連日姿を見せて、イートインスペースで朝まで粘ってる。その時点で、この少女のことを知らなくっても事情なんて朧げに見えてくる。

 持ち合わせが少なく、たかだか100円ちょっとのジュースを買うのにも断腸の思いだというのも。

 理解できる。理解できるが……。


「お前の事情は俺に関係ないから」

「うぐっ……」

 少女が仰け反り呻く。

「それは、その、通りです……けど」

 尻窄みに言葉が消えていく。肩を窄めて、なんだか身体まで小さくなってしまったようだ。


 なんだかイジメてるみたいな構図が嫌になる。

 だからといって撤回する気はない。俺と制服少女は赤の他人で、彼女の事情は俺の動機になりはしないのだから。

 とはいえ、行く宛のなさそうな少女には少々厳しい言い方だったかもしれない。もう少し言葉を丸めればよかったと反省する。


 大人という自覚はまだないし、一生子供として親の脛を齧って生きていきたいけれど。

 こっちは大学生で、相手は見る限り年下の少女。

 年上として、言葉が過ぎたのは謝ろうと口を開こうとしたのだけれど、先に言葉を発したのは小さくなっていた制服少女のほうだった。


「その……ですね」

 ただ、少し様子がおかしく。

 落ち込んでいるというより、恥ずかしがっているというか。

 両腕で胸元を隠すように抱いて、右に左にもぞもぞと身体を揺すっている。

 頬を赤らめ、上目遣いに見つめてくる少女に、不覚にもドキリとしてしまった。

「それは……暗にそういうお礼をしろと、仰っているのでしょうか?」

「……は?」

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