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 「小説家になりたい」


食事中に今だと思って話を切り出すと、母さんは思いっ切り味噌汁を吹き出した。完全にタイミングを間違えた。


「あ、あなた、急に突拍子もない事を」


母さんが眉をひそめて言った。しかし、その顔も次の瞬間には緩んでいて、


「でも、いいんじゃない?したいことすれば。あなたの人生なんだから、自分のしたいことで未来を描きなさい」


そう言って母さんは笑ってくれた。


「母さんは、あなたのこと信じてるから」


何だかくすぐったかったけれど、こういうのも悪くない、そう思った。


 飛鳥先生にも、その旨を告げた。思った通り、呆れた顔をした。賽は投げられたとでも言いたげな顔。


「地元の××大の文学部にしようと思ってます。有名な作家を多く出してる文芸サークルもあるって聞くし」


と、取り敢えず進学はするという意思は見せたものの、やはり納得できないようだった。


「うーん。小説家だけで食っていけるのってごく一部しかいないっての、知ってる?何か賞を取らなくちゃ認知されない。それに君、文才ある?ある程度生まれ持った才能ってのは必要だよ。しかも賞を取ったからと言ってずっと売れ続けるわけじゃない。マグレ一発じゃ意味ないだろ?やっぱりアイデアとかどれだけ閃きが生まれるか……」


とまた熱く語り始めた。途中馬鹿にしたように鼻で笑ったのに、こっちも我慢ならなくなって、机に拳を叩き落とした。


「才能がなかったら、何かに挑戦しちゃいけないんですか」


彼は怯んだ。言ってしまったからには、もう全部ぶち撒けてやろう。


「確かに、才能なんて持ってないです。だけど、それは諦める理由にはならない。持ってる人だって本領を発揮するための努力はしてるんだから。才能って言葉を、持たざる者が努力を怠るための言い訳にしたくない。僕はもう、自分を磨かないまま誰かに嫉妬ばっかりしてるような卑屈な人間にはならない。なりたくないから。凡人は凡人なりに、泥臭く足掻いてやる。それの何がいけないんですか。何で赤の他人に僕の限界を決められなきゃならないんですか」


もう一度拳を机に思いっ切り打ち付けて立ち上がる。


「先生、あんた、僕の味方って言いましたよね。だったら、僕の夢をあんたの軽々しい言葉で潰そうとしないでください」


そう吐き捨てて、勝手に教室を出ていく。しかし、去り際に一言。目を丸くしたまま固まってしまった飛鳥先生に。


「次の面談、楽しみにしてますね」


とびっきりの笑顔で。それから勢いよくドアを閉めた。言ってやったという爽快感はあったが、振り下ろした手は、まだ痺れている。それでもやっぱり気持ちよくて、久しぶりに鼻歌を歌いながら帰路についた。

 

 *

 晩夏。夕方、サイダー缶を持参して例の場所に行った。やっぱり、彼はいた。お決まりの酎ハイを飲んでいた。やぁ、と片手を上げている。


「お邪魔しまーす」


と言って、僕も中に入る。プルトップを上げると、シュワシュワと泡が溢れ出した。


「やべ、振り過ぎたかも」


急いできたからかもしれない。尚も炭酸が溢れ出して、盛大にゴミ捨て場の床にぶち撒けた。少なくなったサイダーをちびちび飲みながら、いつものように彼とくだらない話をした。


 そんな時、突然彼が言った。


「此処に来るのは今日で最後になるかもしれない」


「どうして」


あまりに急なことだった。


「本社に転勤することになったんだ。いよいよ社長の椅子も近くなってらぁ」


と豪快に笑った。彼はあんなに反抗したものの結局父親の会社に入ったのだそうだ。


「親父にあんなに懇願されたら、断るに断れなくてさ」


と言っていたが、給料は良いらしいので、本人もまずまず満足はしているという。

栄転はめでたいことだが、僕はどんな顔をすればいいか分からなかった。


「そんな顔するなって。悲しくなったら、此処で飲んで思い出せばいいじゃないか」


彼は僕を小突いてみせる。


「あんたみたいな不審者にはなりたくない」


と言うと辛辣だねーと言って彼はまた酎ハイを啜った。


「小説家になるんだってね」


「うん、今の所」


「どうして?」


直球の質問。何とか自分の言葉を掴み取ろうとして、手を伸ばす。


「……紡ぎたいと思ったから。自分の言葉で、自分自身を——」


ようやく、そんな言葉を思いついた。カッコつけかもしれないけれど、文字として感情を繋ぎ止めることが出来たなら、それは凄く幸せなことだと思うから。自信過剰でもいい。周りにとって無価値でもいい。それでもいいから、あいつが認めてくれた僕を精一杯表現してみたい、そう思ったから。


「いいんじゃない」


赤みの差した顔が柔らかく解ける。


「もし苦しくなったら、俺のところへおいでよ。あの時みたいに、胸を貸してやるし。何なら、社員として雇ってやるから」


「そんなの、こっちからお断りだよ。あんたなんかに頼らずともやっていける!」


照れ臭さと寂しさを紛らわせるための、精一杯の強がりを言った。


 ヒグラシが夏の終わりを惜しむように大音声で鳴いていた。



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