8

 あの日、僕らはいつものように探検をして、それからたまたま見つけた渓流で遊んだ。その日は、丁度虫の居所が悪かったのだ。朝から上手くいかないこと、それも至極小さなことが細々とあって、僕は少し苛ついていたのだ。そんな時、ぴしゃんと水がかかった。気づいたら、服が濡れていた。


「ごめんごめん」


と怜が軽く謝った。いつも通りに。そのいつも通りの行動がその日に限っては、酷く腹が立ったのだ。気に食わなかった。何か八つ当たりするものが欲しかったのかもしれない。たまたま怜がそんなことをするもんだから、しめた、とでも思ったのかもしれない。僕は酷く意地悪な気持ちになったのだ。


「このまま、ずっとこんな日が続くといいね」


ふと彼がそんなことを言った。その時、僕の邪悪な心が牙を剥いたのだ。


「いつかは終わりが来るのさ」


ぶっきらぼうに言い放った。彼は驚いた顔をした。


「ずっとこのまま、なんて、そんな都合よくいかないよ。人間は変わるものなんだから」


そうだ。人間は変わりゆく。同じ心を持ち続けたままでいられる筈がない。そんなのは綺麗事だ。


「そ、そんなこと言わなくったっていいじゃないか。俺たち親友じゃないか。俺は、ずっと君と、こうやって楽しい時間を分かち合いたいよ」


彼が反論したので、僕も負けじと言ってしまった。


「いいや、変わってしまうだろうよ。僕じゃなくて、


そうだ、怜は何でもできる。勉強だって、スポーツだって。そんな完璧な奴がいつまでも僕みたいな平凡な奴と馴れ合っている筈がないじゃないか。きっと、いつかは僕を侮蔑し、別の奴らと付き合い出すに決まってる、そう考えたのだ。恐らく、日々感じていた劣等感の現れだろう。友への嫉妬が、僕の中で無意識のうちに募っていて、それがあの日、溜まりに溜まってとうとう爆発してしまった。


「君は何だってできる天才だろ?僕なんかとじゃ釣り合わないよ。君と僕は、見ている世界が違うんだから」


そして、僕は決定的な言葉を言ってしまったのだ。


「僕らが親友?笑える。何だよ、それ。そんな言葉、軽々しく使わないでくれよ」


彼が弾けたように身を翻して走って行ったのを見て、マズいと思った。彼の後を追っていくと、彼は岩陰で目を真っ赤にしていた。


「違うよ、泣いてるわけじゃないんだ」


と言いながら、彼は浮き出る涙を拭っていた。


「さっきは、ごめん。言い過ぎた。その、本心じゃないから……」


と僕は弁明したが、彼は悲しそうに頷くだけだった。僕がしつこく彼に絡むと


「分かった。分かったから。ごめん、今日は、独りにしてほしい」


と僕の謝罪を跳ね除けた。僕はその場を離れるしかなかった。またな、と言うと、それだけは返事が返ってきた。


「またな」


消え入りそうな声で、彼は力なく笑って、そう言ったのだ。


 その後、彼は死んだ。


 僕は思うのだ。僕があの日、突き放してしまったから、彼は死んでしまったんじゃないか。あの時、僕が素直に受け止めていれば、彼は隣で笑っていたんじゃないか。後悔したってもう遅い。あの夏はもう終わってしまった。あの喪失の延長線上に、僕は立っている。僕の心の中で、今も尚、あの「またな」の残響が聞こえるのだ。


 *

 「僕に、親友なんて言葉、相応しくないよ」


胸元の輝きを失った翼を握り締める。彼は暫くして口を開いた。


「君と怜が最後の最後に喧嘩したとして、そのせいであいつが死んだわけじゃない。あいつはドジって、足を滑らせただけだ。君が気に病むことじゃないよ。……それに、たった一回の喧嘩ぐらいで絶縁してしまえるような奴のことを、あいつは親友だなんて呼ばない。これは俺が保証するぜ」


彼は続ける。


「あいつは、いっつも君のことを自慢げに話してくれたんだ。だから、胸を張って、あいつの親友だったって、言ってやって欲しい」


俺のエゴかもしれないけどさ、と照れくさそうに鼻を掻いて言った。胸が熱くなって、何かが迫り上がってくるのを感じた。目頭に温もりを感じた時、自分の感情に気づいた。僕は堪らなく嬉しかったのだ。誰かに認めてもらえて——。ずっと、自分を戒めてきた。これは僕が言ってはいけない言葉なのだと——。僕にはそんな権利がないのだと——。あの日以来、檻の中に封印してしまった。それこそが彼に対する贖罪だと思って、思いを抑え込んできた。ごめん以上に大切なことが、ずっと、ずっと、言えなかった。今、ようやく言えるような気がした。もう彼が隣にいないと知っていて、それでも尚、この気持ちを抑えきれなかった。



僕は、怜のことが——


大好きだった——。


最高の、親友だった——。



六年間閉じ込めていた思いが、堰を切ったように溢れ出した。



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