5

 無性に『檻』に行きたくなった。昨日あんなことを思い出したからだろう。何だか懐かしくなってしまった。放課後、もう一度行ってみよう、そう決心した。この前みたいに変な人に絡まれないといいけれど。


 放課後ゴミ捨て場を訪れると、期待とは裏腹に誰かいた。多分この前と同じ人だ。暗闇に溶け込むように、彼自身もその闇の一部であるかのように、そこにいた。僕は金網の向こう側の彼に聞いた。


「あんたはどうしてそこにいるんだ?」


「それ、一昨日も言わなかったっけ」


彼は首をすくめるような仕草をして言った。


「あんたが言ってること分かりにくい」


彼はハハッと乾いた笑いをして、それは傷つくなぁと言った。


「君も入りなよ」


彼が『檻』の中に入るよう手招きした。ゴミ捨て場なんかに、と抵抗はあったけれど、興味はあった。両手で引っ張ると鈍い音がしてドアが開いた。中に足を踏み入れる。じめじめとしていて、外よりも一段と暗い。頭上に屋根があるし、サイドはコンクリ壁、光が入ってくるのは金網ドアだけだ。あまりに暗いので、彼の様子さえもよく見えない。携帯のライトを点けた。闇に包まれていたものの正体が暴かれる。眩しい、と彼が声を上げた。彼の服装は昨日と違った。スーツの色合いが地味に変わっている。首の飾りは変わっていなかった。やはりホームレスではない。スーツを着ているということは、会社勤めなのか。仕事帰りに此処に……?


「あんたって仕事してるの?」

「人並みにはね」


思ったよりさらっと答えてくれた。


「やりがいなんて微塵も感じてないし、淡々とただ与えられた課題をこなしてるだけだから、俺的にはあれは仕事というより作業かな」


あまり現状に満足していないような物言いだった。嫌なら転職すればいいのに、と言うと


「世の中、色んな事情があるんだよ」


と意味ありげな顔をした。何があったのか、深掘りする勇気は僕にはなかった。彼は床に置いていた缶に口をつけた。また、新しい缶を持ってきたみたいだ。昨日床に落ちていた缶と、同じ銘柄の缶酎ハイだった。瑞々しそうなピンクグレープフルーツが表面に描かれている。


「それって美味しいの?」


彼の顔は赤みを帯びていた。顔に出やすい体質のようだ。飲んでみるか、と彼は缶を渡してくる。


「嫌だよ。あんた、缶に口つけただろ。どこの誰かも知らないオッサンと間接キスなんか死んでもゴメンだね」


と缶を突き返す。


「近頃の子は潔癖だねぇ。っていうか、そんな理由じゃなくて、『飲酒は二十歳になってから』だからって断ってよ。さっきの言い方、オジさん傷つくじゃん」


調子に乗って上目遣いに見てくるのが気に食わない。彼は少し落ち着きを取り戻してから、お酒はね、と低い声で言った。


「酒は少しの間、現実を忘れさせてくれる。どんなに気分が沈んでても、気分が少しばかり楽になる。だから、だろうね」


単純に美味いからだけどね、とその後彼は付け加えた。彼はあっという間に飲み干してしまった。それからだらしなくその場に寝転がる。


「床、結構汚いけど」


「そんなこといちいち気にしてられるか。それよりお前、帰らなくていいのか。もう良い子はお家に帰る時間だろうが」


「こんな不審者と夜まで語ってるからすでに良い子じゃないんだけど」


携帯を見ると、もう八時を回っていた。そろそろ帰らないとマズい。母さんも心配するだろう。


「空き缶、自分で持って帰ってよ」


そう忠告してゴミ捨て場を出た。


「また来る」


僕は言った。不思議と彼のことを怖いとは感じなかった。むしろ何だか楽しいとさえ感じてしまう自分がいた。


「また来いよ」


彼はゴミ捨て場をまるで自分の城のようにそう言った。  



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