第16話 ソフィア 錬金術師と出会う

 ルンゲの返事はありません。机に向かっているルンゲの頭の中は、もう究極のオートマタのことで、いっぱいだったのです。

 返事がないまま、ソフィアは、ルンゲの家を出ましたが、どこに行けばよいのか分かりません。市場の人ごみの中を、ぼんやりと歩いていると、ソフィアにぶつかってきた男がいました。

 見ると、ハンサムな男で、思わず、ソフィアが

「ごめんなさい」

というと、

「いや、こちらこそ、すみません」

と、相手の男は、真っ白な歯を見せて、謝りました。

 ソフィアが、少しウキウキとして歩くと、通り過ぎる人が、にやにやとしています。私の顔や服に何かついているのと、足元の水たまりに、体全体を映しても、特におかしなところはありません。腕から脚と見て、念のため胸元をさぐると、さいふがありません。盗まれたのです。

 今、ぶつかられたその男は、ハンサムなスリとして知られていました。女性に狙いを定め、わざとぶつかり、謝って、真っ白な歯を見せて、相手をうっとりとさせます。そのすきに財布をいただくので、盗まれた女性は、自分が被害にあったことに気づくのが遅れるというわけです。地元の人は、そんな女性を見て、また被害者が出たと思って、笑っていたのです。

 しかし、そうは言っても、盗まれたものは戻ってはきません。しょんぼりとして、どうしようかと考えていると、市場で、占いをしている、奇妙ななりをしたおじいさんが声をかけてきました。

 おじいさんは、ソフィアの指輪に目をつけ、高値で買い取るというのです。親からもらった指輪ですが、おじいさんの話によると、珍しい金の種類で出来ていると言います。

 この人は、どんな人なのかと警戒すると、

「そんなに怖がらなくてもいい。わしは、錬金術師だ」

 錬金術と聞いて、ソフィアは、銅や鉛から金を作り出すことができると言っているが、どうもインチキくさいものだと聞いたことがあるのを思い出しました。

 しかし、財布を盗まれて、どうしようもなく、言い値で大事な指輪を売りました。そのお金で、都までは、たどりつけるでしょうが、家に帰りたくはありません。

 ソフィアは、名前を言い、次におじいさんの名を尋ねました。なんでも、そのおじいさんの名は、正式は、テオフラストゥス・フォン・ホーエンハイム といい、普通は、パラケルススと呼んでくれと言いましたが、長くて覚えられないので、錬金術師と呼ぶことにしました。 

 ソフィアが、

「錬金術師って、どんなことをしているの」

と聞くと、

「さよう、鉛から金を作るのが一番大事な仕事じゃ」

「おじいさんは、作れたの」

「そう、簡単に作れるものか」

「いつ頃になったら、できるの」

「わしにも分からん。と言うより、何度も試してもうまくいかんから、どうやら無理だとは思うのだ」

やはり、金はつくれないんだとソフィアは、がっかりしました。

「それじゃ、何ができるの」

「金を作る次に大事なことは、賢者の石を探すことじゃ」

「賢者の石って、それ、何」

「錬金術にどうしても必要な霊薬じゃ。鉛を金に変えるときに不可欠とされておる」

「でも、金を作ることができないんでしょ。それも意味ないんじゃないの」

 錬金術師は、話題を変えようと、

「赤ん坊の性別を変える薬を作るのは、得意だ」

「へー、赤ん坊の性別を変えられるの、それは便利ね。でも、どうしたらお腹の中にいる赤ん坊の性別が分かるの」

と聞いた答えが、いい加減なものでした。

「そんなものは、わかりはしない。わしが頼まれるのは、性別を変えることで、性別を当てることではない」

「でも、それでは、性別を変えることができたのか、分からないでしょう」

 少し、たじたじとなって、

「おまえは、結構、難しいことを言うな。まず、頼むほうが、どうやって性別が分かるのか、わしには、わからん。わからんから、適当にやればいいのだ」

「ほれ薬を作ることもある」

それには、ソフィアが興味を示しました。

「今まで、誰と誰が結婚したの。効くのなら、わけてもらおうかな」

「誰と誰が結婚したなんということは、忘れた。興味がないんでね」

と言うと、ソフィアが、

「また、インチキじゃないの、一体、何から作るの」

「ヤモリの雄と雌を張り合わせた生薬じゃ。お酒に浸して飲用すれば恋が芽生えるのは、間違いない」

といいます

 ソフィアは、錬金術師の仕事が、半分面白そうだと思い、後の半分は、行くところがないという理由で、一緒に連れて行ってくれないかと頼むと、助手としてならかまわないそうです。

 しかし、このおじいさんは、あまり都への帰りを急がないようです。途中、途中で、珍しい鉱物を求めたり、薬草を買ったりして、あちらこちらと訪ねるので、いつになったら、都に着くのか分かりません。

 いやだったのは、最低限の旅籠にしか泊まらないことで、馬と一緒に寝起きしなくてはならなかったことです。食べるのも、栄養があるとは言うものの、あまり食べたこともないような、おかしなものが多かったのです。

 ただ、そうして、のんびりと街道を歩いていると、ソフィアは自分が、以前よりも健康になったことに気づきました。

 泊まるのは、旅籠ばかりではなく、その地域で、錬金術師がいるというところならば、どこにでも行きます。そうして、宿を借りるだけでなく、何か面白いことはなかったのかと情報を仕入れます。ソフィアには、見るもの、聞くもの、初めてのことばかりで、最初のうちは、頭がくらくらしましたが、徐々になれてきました。

 どこの錬金術師も、外見はおどろおどろしい格好をしていますが、それほど悪い人はいないようです。

 何ヶ月が過ぎ、季節もかわり、ようやく、都まで戻ってきました。家に戻ろうとしても、いまさら帰れません。親切にも錬金術師は、自分の弟子にならないのかと言ってくれました。魔法使いの弟子とは聞いたことがありますが、錬金術師の弟子もあっていいのかなと、ソフィアは思いました。

 ただし、条件があります。この中で見たこと聞いたことは、外にもらしてはならないということです。

 錬金術師の館は、都の近くにありながら、沼が多く、あまり人が住んでいない場所にありました。その屋敷の塀は崩れかかり、壁には大きな穴があいていおり、庭も草ぼうぼうで、ソフィアも一瞬たじろぎました。

 案内されて入ると、すごい臭いです。物が腐った臭いと言うより、何かの香辛料のようなものと、濃厚な酢が混じりあったもので、目がちかちかします。

「この臭いになれないと、助手はつとまらん」

と、このおじいさんは、全然平気な様子です。

「とてもじゃないが、この臭いには、慣れそうもないわ」

頭がくらくらするのを覚え、ソフィアは、

「ここの空気を吸っただけで、汚れそうだし」

 しかし、当面、ここ以外に落ち着ける場所はありません。思い切って、

「全身を包帯でくるんでいいかしら」

と無理とは思いつつ、突飛な提案をしました。当然、断られると思っていると、

「それは、面白い発想じゃ。あんたの恰好を見ただけで、客は、魂消てしまう。商売繁盛まちがいなし」

 本当に、このおじいさんの考えることは、分からないと思いながら、当面の居場所が確保できて、ほっとしたのです。

 見るだけで、気持ちのわるいものが、ガラスの瓶に入れられて、壁や棚に並んでいます。生きたものや干からびているものなど、様々ですが、とにかく世間では見慣れないものばかりです。

 ソフィアは、とりあえず、ここで生活することができるのだから、まあ仕方がないと思いました。

 夜になると、錬金術師が元気になってきました。このおじいさんは、夜型人間なのか、ソフィアが、眠くなっても、錬金術師は、そんなことはおかまいなしで、得体のしれないものを炉の中に入れて、呪文を唱えています。

 その呪文は、魔法の言葉ではないのかと聞くと、遠くギリシャ時代から伝わっている尊い言葉なのでそうです。魔法ではないというのが、大事なところのようです。 

 ソフィアが、自分の恋人が、究極のオートマタを作ろうとしていると話すと、錬金術師は、ホムンクルスが、そのカラクリの中に入るというのは、どうかと持ちかけてきました。

「ホムンクルスって、何」

「おや、ホムンクルスを知らないのか」

と言って、錬金術師は、実物を見せてくれました。アラビア製の蒸留器に、豚の子宮を入れ、蒸留器の口から人間の体液、薬草を入れる。そこで、人間のたねができたことを確認してから、四十日間、血液を流し続ける。その後、豚の胎内と同じ温度を保ちながら四十週間待つと、ヒトの形をしたものができる。少し透明でゼリー状だが、小さなヒトの形をしたものが見えたら成功だそうです。

「それで、実物は」

ここにあると言って、錬金術師が、一番奥の棚に案内し、フラスコの中に入っている、一匹のホムンクルスを見せました。おとなしく、眠っているようです。いつ、作り出したのかも覚えては、いません。近頃は、こういうものを使いたいという注文が、なくなった。もう、そういう時代ではないようだと、そのまま眠らせておいたものです。 

 初めて見たホムンクルスの身長は、せいぜい三フット(九十センチ)でした。意外と小さいというのが第一印象です。どうやら、大きなものを動かすのには向いてはいないようです。 

 ソフィアは、これで、オートマタが、完璧に動けるのかと錬金術師に聞きました。

「当然じゃ、これは体は小さいが、大抵のことは人間よりもうまくできる。欠点は、三十分以上、外に出ておれないことじゃ。それさえ、注意すれば」

「三十分以上、外に出ていられない。それ以上、外にいるとどうなるの」

 錬金術師は、

「あまり、公にしたくはないが、水になってしまう」

「えっ、水になってしまうの」

「そうじゃ、もともとは水だから水にかえるというわけじゃ」

「何だか、可愛そうね」

「そう、思うのなら、何かに使ってくれ」

「このホムンクルスが、バイオリンを弾けるには、どのくらいかかるの」

「信じようと信じまいと勝手だが、こやつは、生まれながらにして、あらゆる知識を身に付けており、改めて教える必要はない」

 ソフィアは、フラスコからホムンクルスを出してもらい、試しに、バイオリンを弾くように指示しました。

 錬金術師が言ったように、やすやすとバイオリンを弾きます。ただ、衣服で隠れているところはいいのですが、腕や手指など、むきだしになる部分が、どうしても人目につきます。ホムンクルスの体は、ゼリー状で半透明ですが、そのぶよぶよした手が、楽器を演奏すると、気持ちのいいものではありません。ドレスを着て、手袋をすれば問題はなさそうです。

 あの人は、あくまで、オートマタで実現したいのだとソフィアが言うと、ホムンクルスは、魔術ではない。暗黒の力でもないと言い張ります。

 それじゃ、錬金術とは、一体何なのか。簡単に教えてくれと頼むと、錬金術師は、チョークを手にして、壁に大きく【魔術→錬金術→人間の理性】と書きました。

 魔術は、暗黒と結びついており、その力を利用するならば、自分の命を失う覚悟がいる。だが、錬金術は、そこまでではない。だが、理性のみで、解決できるものでもない。そこに錬金術の意味があり、ホムンクルスも使い方によっては、悪いものではないのだと。

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