第9話 トーナメント開始
「どう、似合う?」
「はい、とってもお似合いです」
鏡台の前に座っているのは、上品で麗しいバーベナ姫。完璧な仕上がりに、キリヤは口角を上げる。パープルピンクのドレスに、真珠の首飾り。男らしいゴツゴツした手を隠すため、手にはレースのオペラグローブをはめている。
ガーネットは仕上げに、カサブランカの花を薄紅色のまとめ髪に挿した。白い花は作り物のバーベナの美しさを見事に引き出している。
「鎧の弓兵は結局、身元がわからなかったな。果実酒に入れられた毒の出どころも。まあ、あのまま勢いで両国の対立を演出しようとしたんだろうけど。そう簡単には行かなかったわけだ」
「そうですね……」
浮かない顔のガーネットに気付き、キリヤは彼女の方を振り向く。
「なんだよ。なんかあったのか?」
「いえ、あの……」
ガーネットの顔は、真っ青だった。唇をキツく結び、下を向いている。
「気になるだろ、言えよ」
「……キリヤさんは」
彼女は意を決した様子で、キリヤの瞳を見つめ返す。
「この仕事を受けた理由をお尋ねした時、お金のためだとおっしゃいましたよね」
「そーだけど」
「つまり、お金のためなら、なんでもできる覚悟がおありということですか?」
一瞬の沈黙ののち、キリヤは困惑の色を浮かべ、ガーネットの瞳を探るように見つめた。
「それ、どーいうイミ?」
その後彼女が語った言葉に、キリヤは目を見開いた。
*
開会の儀が終わり、しばらく体が空いた。剣士たちの中に怪しいものがいないかと、アリシアは控え室の中を歩き、参加者に声をかけつつ様子を伺う。
「おっ! アラン様。気合い入ってますねえ。でもアラン様なら余裕ですよね!」
緊張感のない顔で近づいてきたのはノアだ。どんな状況下でも能天気なのは、ある意味羨ましい。
「ノアか。ちょっと来い」
「えっ、あ、ちょっと!」
ノアの首根っこを引っ掴み、アリシアは彼を人の少ないエリアへと引きずっていく。
「アラン様、痛いですって」
「ノアにアラン様って言われると、はらわたが煮えくり返って憎悪のあまりうっかり血祭りにあげそうになる」
「冗談にしてはキツ過ぎないか?!」
「冗談じゃないからね」
「こわっ!」
再び鉄拳制裁を喰らわしてやりたいところだが。今はそんなことをしていられない。
「参加者が少ない気がするんだけど。何かあった?」
トーナメント会場について早々、アリシアは違和感を覚えていた。毎日王国騎士団の練習に参加している面々と顔を見比べると、どうにも数が合わない。特に、メンシスでもトップクラスの実力をもつ上級剣士たちの姿が見えなかった。
「メンシスの寮で食中毒が起こってさ。先輩方がダウンしちゃったんだよ。だからここに来られているメンシスは上級以下の実力の剣士だけ。うち以外の部隊のレベルなんてたかが知れてるから。ロベリアの豪傑たちには歯が立たないし。結構まずい状況なんだよな、グラジオ的に」
「食中毒……?」
このタイミングでの食中毒であれば、毒を盛られた可能性が高い。ロベリアに優勢な状況に持ち込み、アラン王子対ロベリアの剣士の状況を作り上げようとしているとしか思えなかった。
––––バーベナが言ってた通り、決勝で汚い手を使ってくる可能性も否めないな。
「アリシア? どうした」
「いや、なんでもない。ノア、できれば頑張って決勝に残ってくれ」
「おう! 任せとけ!」
––––まあ、メンシスでも下から数えたほうが早いくらいだから、難しいと思うけど。
ノアがロベリアの剣士たちを薙ぎ倒し、決勝に残ってくれれば話は楽だとは思ったのだが。残念ながら、というか予想していた通り彼は二回戦で負け、決勝には遠く及ばなかった。
闘技場で繰り広げられる熱戦は、決勝に近づくにつれ激しさを増していく。
鎧をつけてはいるものの、剣は真剣。相手を殺せば失格になってしまうため、死者は出ていないが、重傷者も出ている。
刃のぶつかり合う音を聞きながら、アリシアは決勝戦を見ていた。勝ち残ったのはロベリアのカイオスという剣士と、メンシスの若手剣士ケイン。この二人のどちらかがアリシアの相手となる。
––––あれは相手が悪い。勝ち上がるのはロベリアだな。
カイオスは体が大きく、力も強い。対してケインは小柄で細身。体格の良い剣士の場合、生じる隙も大きくなるため、速さが上回っていれば攻略することも可能だが。
––––大きいのに、すごく速い。隙もほとんどない。ケインの腕じゃ倒せない。
振りかぶった隙をついてケインは突きを狙うが、鎧に届く前にカイオスに薙ぎ払われてしまう。それでも何とか立ち向かい、手数は少ないながらも確実に剣撃を入れていくのだが。カイオスはびくともしない。
「いくらなんでも打たれ強過ぎない……?」
アリシアは一人呟いた。
鎧をかぶっているため、表情は見えない。だが、たった今ケインが加えた脛への攻撃はうまく入ったはず。普通なら立ち上がれないだろう。
しかしカイオスの剣捌きには一切の曇りも生じていなかった。
最終的にケインはカイオスの足払いに引っかかり、首元に剣を突きつけられ敗北を喫した。すでに負けているにも関わらず、カイオスはさらに攻撃を加えようとしたため、レフェリーに押さえられていた。
若い剣士の健闘を讃え、割れんばかりの拍手が鳴る中、アリシアはカイオスを
見据える。
鎧をとった彼の表情を見てゾッとした。極度の興奮状態にあるようだった。目は血走り、口元には薄ら笑いを浮かべ、敗者を見据えている。
ケインを讃えるため、アリシアは闘技場に降りていく。「アラン王子」の登場に、会場からは歓声が上がった。
「ケイン、大丈夫か?」
「はい、なんとか」
ケインとは特別親しいわけではないが、王国騎士団の鍛錬中に何度か顔を合わせたことがある。肩に手を置き、アリシアが「よくやった」と声をかければ、神妙な顔をしてケインはこちらを見た。
「アラン王子。対戦相手のロベリアの剣士、どこか妙です」
アリシアは声を落とし、ケインに聞く。
「どう変だと思った?」
「たぶん、薬をやっています」
「薬……」
「以前、ロベリアとの境界線で戦った時、同様の剣士を見たことがあります。戦いの恐怖を紛らわすため、薬に手を出した者たちです。カイオスは彼らと同じ目をしています」
薬の常用者はアリシアも見たことがある。さまざまな商品が流通する港町では、そういったものも不法にやりとりされており、港の倉庫の裏手などは、薬物乱用者の溜まり場になっているエリアもあった。
「つまり、痛みも恐怖も、疲れでさえも感じていないってことだね」
「はい」
違和感の正体がわかり、アリシアは愕然とした。強制的に意識を落とさなければ、おそらくカイオスは止まらない。
「レフェリーに報告をしましょうか」
「いや、いい。ケイン、よく休め。お前の仇は、僕がとってやる」
王子は仲間思いで負けん気の強い人だったと教えられている。きっと彼なら、こう言うだろうと思ったセリフを、アリシアは口にした。ケインは唇を結ぶと悔し涙を流し、救護隊に抱えられてその場を離れていく。
今ここでレフェリーに報告すれば、アラン王子が勝負にケチをつけたことになる。ロベリアとグラジオの関係が不安定な今、それは望ましくない。
カイオス本人が望んで薬を飲んでいるのか。それとも誰かに飲まされたのか。今の時点ではどちらかわからないが。今アリシアがやるべきはグラジオ王国最強の剣士「アラン王子」として相手を叩きのめすのみ。
––––めちゃめちゃ逃げたいし、正直いますぐ棄権したいくらいだけど。
アラン王子という大役を引き受けてしまった時点で、こういう死地は常について回るのだということを今更認識した。これから先も戦が起こることがあれば、王子として出征することもあるだろう。
闘技場に迫り出すように作られたバルコニーから、バーベナが手を振っているのが見える。彼にしては表情がかたい。心配してくれているのかもしれない。
一度目を瞑り、息を整えてから再び目を開ける。
ここで逃げては毎晩特訓に付き合ってくれたバーベナにも申し訳ない。
自分の肩にかかった責任の重みを感じながら、アリシアは剣に手をかけた。
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