第4話 バーベナ姫の正体

 晩餐会は、王宮の敷地内にある迎賓館で行われた。

 ロベリアやマーブレ、そしてグラジオの王侯貴族が一堂に会する様は圧巻で。その場の空気に飲まれそうになりながら、アリシアは王に挨拶する。


「アラン、お前も嫁を迎える歳になったのだな」


 少し悲しげな顔でそういった王様は、きっとアリシアの向こうに、逃げてしまった本物の王子が見えているのだろう。


「バーベナ姫とうまくやってくれ。和平のためだ」


 表情を切り替え、険しい顔で投げかけられたその言葉は、おそらくアリシアに向けてのもの。


「はい、頑張ってみます」


 気が進まないが、もはや後戻りができないところまで来てしまっている。

 礼をとってその場をあとにするが、あまりの責任の重さを実感し、胃もたれがした。


 やっとやっとでアリシアが席につけば、会場から歓声がある。

 バーベナ姫が会場に現れたのだ。昼間の装いとは違い、艶やかな真紅のドレスを纏った彼女は、その場にいる男たちの視線を一手に集める。


 ––––同じ女なのに。ここまで違うと嫉妬も起きないな。


 ぽけっと口を開けたままのアリシアの前にやってきた彼女は、スカートの裾を両手でつまみ挨拶をする。しかし顔をあげた彼女は、口元だけしか笑っていなかった。


 ––––こわっ! えええ、私この人になんかした? なんで私にだけこんな顔するの?


 アリシアの隣の席に座ってからは、目も合わせてくれない。

 ただ、挨拶にやって来る貴族に対しては、女神の微笑みを見せている。


「バーベナ姫、グラジオはいかがですか? 気候も温暖で、過ごしやすい国です。気に入っていただけるといいのですが」


 勇気を出して、アリシアはそうバーベナに声をかけてみた。

 こちらに顔を向けたバーベナは、吊り目がちな切れ長の目でじっとアリシアを見つめる。


「素敵な国だと思います」


 無表情でそれだけ言うと、バーベナはアリシアから視線を逸らした。


 ––––感じわるっ!


 王子を一生演じることになってしまったアリシアにとって、身代わり生活はまだ始まりに過ぎない。

 果たしてこの人と、この先うまくやっていけるのだろうか。


 *


「めっちゃくちゃ疲れた……イブ、なんであの人、あんなに感じ悪いのかな?」


 自分の部屋に帰ってすぐ、アリシアはベッドに崩れ落ちた。問われたイブは、いつもの通りの無表情で口をひらく。


「姫としては、和平交渉の材料に使われているわけですし。あまりいい感情は持たないのだと思います。しかも、相手はロベリアと実際に剣を交わらせていたアラン王子ですし」


「あ……」


 自分の想像力の無さに今更気づいた。アリシアの身に置き換えるならば、父を殺したロベリアの兵士と結婚するようなものだ。自国の民を先頭切って殺してきた男にはなからいい感情を持つはずがない。

 そう考えれば、「アラン」に対しての態度は納得できる。


「そうかあ。バーベナ姫と仲良くなるって、そもそも難易度すごい高いんだね。甘く考えてたなぁ」


 肩を落とすアリシアに、イブは無表情のままに近づくと、慰めるように両肩に手を置いた。


「アラン様、元気を出してください。少しずつ仲良くなっていけばいいのです。相手だって人間ですから、アラン様個人の良さが見えてくれば、バーベナ姫の態度も軟化するかもしれませんし」


「慰めてくれてありがと。イブって表情ないけど、とってもいい子だよね」


 表情ないは余計です、とイブは眉間の皺を深くする。アリシアを気遣ってか、アラン王子として接しつつも、二人きりの時はこうして気安く会話をしてくれる彼女に救われている自分がいる。


「まあ、頑張るか……」


 乗り気でなかった「身代わり業」だが。王子として生活してみて、平民の頃は知る由もなかった国の状況を知った。そしてどれだけの人が、平和を維持するために手を尽くしているのかも。


「アリシア」は、国のすることに翻弄されるだけのただの市民だが。

「アラン王子」となれば、多くの民を巻き込む戦争を食い止める楔となることができる。


 両親を奪ったロベリアに、アリシアだっていい感情を持っているわけではない。それでもバーベナ姫と仲良くなることで、自分が戦を止めることができるなら。


 ––––もうちょっと頑張ってみるかぁ。


 そう、思ったのだが。


「まったく関心を持ってくれない!」


 あれからバーベナと接触する機会は何度かあった。だがしかし、まったく親しくなれる気配がない。


 まずはおととい。グラジオ最強の剣士である王子の身代わりとして、騎士団の稽古に参加した際。見学に現れたバーベナ姫の前で、ここぞとばかりに派手な剣撃を披露してみたが、表情は少しも動かず、すぐに退席されてしまった。


 翌日ガーデンテラスでのお茶に誘ってみれば、応じてはくれたものの、向こうからの会話は一切なし。こちらが話しかけても、「はい」「そうですか」の二パターンしか返答をしてもらえない。


 一応毎日夕食はともに摂ることになっているものの、それも会話なし。


 隙が一切ないバーベナ姫に、アリシアは心が折れかけていた。


「外の空気を吸ってきてはいかがでしょう……? 顔色が悪いようです」


 気遣ってそう言ってくれたイブに、アリシアは苦笑いをする。


「そうさせてもらおうかなあ」


 すっかり使用人たちとの信頼関係ができた今。見張りのメイドの数は減らされ、一人で出歩くことも許されるようになった。アリシアは自室から出ると、ふらふらとあてもなく廊下を歩く。


 ––––あれ、あの人。


 正面から歩いてくる執事に、目を奪われる。

 切れ長の吊り目、色白の肌、通った鼻筋と高い鼻。平凡な赤茶の髪をしているが、それ以外に見覚えがある。何しろ何時間も黙って向き合っていた相手なのだ。姿形を観察するには十分な時間があった。


「もしかして、バーベナ姫?」


 気配を消しながら、アリシアはそっと、「バーベナ姫」らしき執事のあとをついて行く。


 なぜあんな格好で城内をうろうろしているのだろうか。

 すると執事は、突き当たりの来賓用ベッドルームに入って行った。聞き耳を立てようと部屋のドアに耳をつけたところで。

 アリシアは腕を捕まれ、中へと引き摺り込まれた。


 咄嗟に相手を掴み返し、床に投げ飛ばして拘束する。

 その瞬間、赤茶色の髪の毛が飛んでいくのが視界の端に入った。


「ってぇな! 離せ!」


「やっぱり! バーベナ姫だ」


「げ、カツラ取れてんじゃん! ってか、王子? やっべ」


 飛んで行ったカツラがなくなって、現れたのは薄紅色の長い髪。顔立ちを見てもバーベナ姫で間違いない。だが。


「男……? ええっ、どういうこと?」


 掴んでいる腕も、アリシアがのしかかっている体も。細身ではあるが、女のものとは思えないほど硬くてゴツい。


「もしかして、あなたも身代わり……?」


「え、王子も?」


 しまった。自分の失言に気づいた時にはもう遅い。意地悪くニヤリと笑ったバーベナは、興味深げにアリシアの顔を見上げる。


 慌ててバーベナから体を離したアリシアに向かって、バーベナは言葉を続けた。


「へえ、あんたも。通りでオドオドしてるわけだ。っていうか、あんた……」


 バレたことで遠慮がなくなったのか、ズカズカと目の前に歩いてきたバーベナは、アリシアの顔を覗き込む。ドレスの時は気づかなかったが、「彼」はアリシアよりも身長が高かった。どうやら姫の姿の時は、少ししゃがんで歩いていたらしい。


「女だろ」


「へっ」


 動揺が声に出た。慌てて否定しようとするも、確信を持った瞳で射抜かれ、アリシアは項垂れる。


「なんでわかったの?」


「跨られた時、ブツがなかった。男の割には軽すぎるし。っつーかさ、あんた、初めて会った時から思ったけど、挙動不審すぎ。話で聞いてたアラン王子と全然違うし。本物はもっとツンケンしてて、威厳があるんだろ。ちゃんと演技しねえと、バレちまうんじゃねえの?」


「ご、ごめん」


「なんで俺に謝んだよ。はあ、しかし、バレちまっちゃ仕方ねえ。腹割って話そうぜ」


 そう言うとバーベナは、カツラを拾って装着しドアに手をかける。


「俺の部屋に来い。ここじゃいつ誰かに見つかるとも限らねえ」


 アリシアは呆然としつつも、言われるままに執事姿のバーベナについて行った。

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