第3話 バーベナ姫との初対面
夕食後、王宮からの逃亡を試みたアリシアだったが。部屋の外には見張りのメイドがいるし、部屋の中にもメイドがいる。そしてトイレに行ったと見せかけて、窓の外へと身を乗り出してみれば、そこにもメイドがいた。
「くうう、どこもかしこもメイドだらけで逃げられない!」
「諦めてください、アラン様」
「私はアランじゃない!」
長い黒髪を頭頂でお団子にまとめたこのメイドの名はイブ。まだ十代の少女だが、この部屋の責任者を任されているらしい。可愛らしい顔をしているが、まるで鉄仮面の如く表情が動かない。
「アラン王子を連れ戻せばいいでしょ? 私を身代わりに仕立て上げるより、ずっと現実的な策だと思うんだけど」
「マリア商会は表向き、王子を匿っている事実を隠しています。交渉に際し、マーブレの王族を頼ることもできるかもしれませんが……。表面上友好を保っていますけど、マーブレは最近軍備を強化しているとの情報もあり。ロベリアと緊張状態にある今、陛下もマーブレ王族に借りは作りたくないというお考えなのです」
「……国どうしのやり取りって、難しいのね……でも! それはそれ、これはこれでしょ。王子役だなんて、私には務まらないよ。家に帰して欲しいって王様に伝えてよ」
「それはできかねます」
「どうして!」
イブの眉間のシワが険しくなる。彼女は重要なことを強調するように、声を落としてゆっくりと語りかけてきた。
「いいですかアラン様。王子失踪の件は国家機密です。それを知った今、あなたが選べるのは『王子の身代わりを務めること』か『ギロチン』なのです」
「そんな……」
アリシアは絶句した。二十歳という若さで、なんと身代わり人生が決まってしまった。しかも自分の選択ではなく、幼馴染のお節介のせいで。
膝をおり、カーペットに手をつき、そのままうずくまる。
「アラン様。あなたがアラン様として勤められる限り、私たちは全力で尽くします。生きる希望を捨てないでください。……同じ女として、とてもお可哀想だとは思っております」
「……イブー!」
とっくに成人は迎えた年齢だというのに。アリシアはこの晩、彼女に縋るようにして泣き続けた。
*
「姫が到着するのは三日後。それまでに必要最低限の知識と身のこなしを身につける……って無理にも程があるでしょ!!」
「頑張ってください、アラン様」
無表情でそう言うイブに、アリシアはゲンナリした顔を見せる。
アラン王子としての人生一日目。アリシアは早々に壁にぶつかった。
港町の倉庫街育ちのアリシアは、姿勢や歩き方、その身のこなしの全てを矯正する必要があった。話し言葉も下町感が溢れているので、直していかなければならない。
王族同士の会話についていける時事の知識だって学ぶ必要がある。
どう考えても、姫を迎える晩餐会が開かれる三日後までに、完璧にマスターできる気がしない。
「今回嫁がれるロベリアの姫は、バーベナ姫といいます。女性としては背が高く、薄紅色の髪をされた美しい方です。三日後の晩餐会ののち、歓迎の催しがいくつも予定されております。そして二か月後、国を挙げての結婚式が行われます」
「……バーベナ姫は、王子に会ったことあるの?」
「両国の友好関係を深めるための舞踏会で、一度ダンスを踊っておられます。でも、アラン王子はロベリア嫌いでしたから。ほとんど会話はなかったと聞いています」
「そっか。はあ、でもさあイブ。結婚式まではいいとして。その後どうすればいいと思う? だってさ、初夜とかあるわけでしょ? 王族は子どもをもうけるのが仕事みたいなところあるしさ。女同士じゃ、どう頑張っても子どもできないよ?」
「……そうですね。そこはもう、どうにか誤魔化して、養子を迎えるしかないのではないでしょうか……」
「誤魔化すってどうやって?!」
「お茶を淹れて参ります」
くるりとアリシアに背を向けて遠ざかっていくイブ。取り残されたアリシアは、特大のため息をついた。
「どーすりゃいいのよ……」
三日後、いよいよバーベナ姫をのせた馬車が、グラジオ王国の中央広場へ到着した。
色とりどりの布を纏った象たちの行進が花嫁行列を先導し、ロベリアの国鳥が中心に描かれた赤い旗を掲げた旗手たちが、一糸乱れぬカラーガードを披露しながら王宮へ向けて進んでくる。
そしてついに、姫の乗った真っ白な馬車が現れた。馬車には金色の装飾が施されていて、ドアにはロベリアの紋章が刻まれている。窓にかけられたカーテンが開くと、見物に来ていた民衆からため息が漏れた。
薄紅色の長い髪に、桃色の花をあしらったその姿は、地上に降り立った女神のように美しい。ピンク色のレースをふんだんに使った豪華なドレスは、彼女の美しさを引き立たせている。
アリシアは、式典のために設られた青いベルベットの軍服を着て、首都の門から王宮まで続く赤絨毯の上、王宮前で姫を待っていた。
教えられた通り背筋を伸ばし、顔には微笑みを貼り付け、必死に王子を演じている。
––––偽物だってバレませんように。
そう願っているうちに、白い馬車が目の前に到着した。
降りてきた女性の神がかった美貌に息を呑むが、向けられた強い視線にドギマギする。
––––綺麗だけど……めちゃくちゃ気が強そう!
きりりとした目元に、黄金色の瞳。鼻筋の通った高い鼻。
目の前に降り立った美女は、アリシアを思い切り睨みつけていた。
「……手。出さないの」
小さな声でバーベナにそう言われ、慌てて手を差し出す。あまりの迫力に、完全に手順が飛んでいた。
彼女の声は思っていたより低く、ハスキーだ。
「あ、お手をどうぞ」
「遅すぎ」
––––今、舌打ちしなかった?!
初対面の段階で、早速嫌われてしまったのではないか。
両国の友好関係を築く第一歩に浮かれる民衆の中で、アリシアはひとり震えていた。
「お! アラン様!」
自室に入ろうとしたところで、向こうから歩いてきたノアと出会した。お花畑を背負ったような緊張感のない顔を見たら、イライラが込み上げてくる。
アリシアはノアを手招きし、部屋に入れた。
今回の「王子の身代わり」作戦は、グラジオ王国でも一部の人間にしか知らされていない。そのためノアをボコボコにするためには、部屋に引き込む必要があった。
「歯を食いしばれ!」
「おわっ、やめろ! 落ち着けってアリシア!」
「これが落ち着いていられるか! ノアのせいで私の人生狂っちゃったんだから!」
「でもいい生活はできるだろ?」
「そういう問題じゃない! この馬鹿野郎」
「いてっ、いてて! なんだよ、バーベナ姫様とうまくいかなかったのかよ? お手手繋いで歩いてたじゃないか」
「ずーっと睨みつけられてたよ! バレたんじゃないかとヒヤヒヤしたよ」
「いや、もしバレてたらもっと大変な騒ぎになってるはずだろ? 単に、この結婚自体に乗り気じゃないんじゃないか?」
「……そうか」
確かにノアの言う通りだ。今のところスケジュール通りことは進んでいる。少しだけ落ち着きを取り戻したアリシアは、拳を下げた。
「そういえば、夜の営みの方はなんとかなりそうなのか?」
あまりにも無神経な言い種に、アリシアは収めた怒りを再びあらわにし、ゲンコツを食らわせた。
「いってー! これでも心配してんだって。まあ今はないかもだけど、結婚式後は逃げられないだろ?」
「どうにかできるわけないだろ!」
「仕方ねえなあ、俺が教えてやるか。まずはな」
「私に触るな! 引っこ抜くぞ!」
「おわっ、やめろ! ズボンを引っ張るな! なんてやつだ」
取っ組み合いの喧嘩を繰り広げたのち。力尽きた二人は、子どもの頃のように絨毯の上に大の字で寝そべった。
体を動かしたら少しスッキリした気がする。まだまだ殴り足りないが。
「まあ、姫様も人間だからさ。とりあえず話してみれば? それでうまくいかなきゃ、また相談に乗るからさ」
「ノアに相談に乗ってもらっても解決する気がしない。ストレスが溜まったら、また殴らせて。その方がスッキリするから」
「ひどいな!」
ノアを部屋から蹴り出してすぐ、イブが晩餐会の支度を始めた。
ちょっとの間しか着ていないのに、また着替えねばならないらしい。王族というのも大変だな、とアリシアは思ったのだった。
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