ハガネの心臓

★★★



「すごい……!」


 アサヒはヨミが犬笛を吹いた瞬間を画面ごしに見ていた。


 ヨミが笛に息を吹き込むと、どこか眠そうにだらだら歩いていた狼は、新品の電池を入れたみたいに、機敏にダンジョンの中を駆け回った。


「まるで人が変わったみたいだ。……いや、狼だからそれはおかしいか」


 狼はヨミと戦った時と同じく、アイアンリザードを中心に円弧を描き、鉄のトカゲを翻弄している。この戦い方は、狼の得意技らしい。


 アイアンリザードは、狼を視界の中心に捉えようとして、器用に手足を使って体を回そうとするが、頑丈にして鈍重な体では狼の動きには追いつけない。


 トカゲは大きな口を開け、はがねのキバでスピリットウルフ噛み付こうとするが、狼はバツンと咬合する牙をすり抜けて、トカゲの背中に回る。


 そして狼は、そのままアイアンリザードの首後ろに噛み付いた。

 すると霊体の牙に貫かれた鉄のトカゲは、ダンジョンに苦悶の声を響かせた。


「よし、やったぞ!!」


 スピリット・ウルフの活躍を見たアサヒは、興奮気味にコメントを打ち込んだ。


『良いぞ、動きが止まった! このままトドメを刺してやれ!』


「はいっ!」


 ヨミはアサヒのコメントに弾けるような返事をした。


 アイアンリザードは首後ろを噛みつかれたことで、完全に動きが止まっている。

 うろこで守られている場所を攻撃するなら、今が好機だった。


<ザンッ!>


 ヨミは力強く踏み込み、下段に構えた直剣を突き出した。


 彼女の狙いはアイアンリザードの目だ。こいつが暴れている時に目を狙うのは難しいが、ウルフが動きを止めている今なら他愛もない。


 剣の先端がぬらりと光るトカゲの目から侵入して、カチンという音を立てた。


(今のはきっと、頭蓋の奥を剣の先端が叩いた音だ。つまり――)


 アイアンリザードの体躯を支えていた手脚から力が抜ける。

 ヨミが突き出した直剣の刀身が、トカゲの目の奥にある脳まで達したのだ。


<ズン……ッ!>


 ダンジョンの床の上に、アイアンリザードが小山のような巨体を沈める。

 床に倒れた鉄のトカゲは、一度大きく痙攣けいれんして、尻尾をムチのようにしならせたが、それからピクリとも動かなくなった。

 

(……うわぁ、すごいな。鋼の剣でアイアンリザードを倒しちゃったぞ。)


 スピリット・ウルフが鉄の巨体を押さえつけていたとはいえ、それにトドメを刺せたのは、単純にヨミの剣の腕が確かだったからだ。


 彼女はたった一回の突きで、正確にアイアンリザードの脳を貫いた。

 これはそう簡単にできることではない。


(僕ならきっと仕留め損なうな。これはヨミが地道な修練を重ねた成果だろう。)


 アサヒは彼女の配信を見る姿勢を正した。きっとそれは、彼女の剣の腕前に感心し、彼女にたいする憧れを新たにしたからだろう。


「やりました皆さん……アイアンリザードの討伐完了です!!」


 喜びの声を上げて床の上を跳ねるヨミ。

 そんな彼女の姿に、視聴者からお祝いの声がかけられた。


『8888888』『おめでとー!!』『鉄の剣で倒しちゃった!』

『わんわんもよくがんばった!』『スゲー!!』


 数々の温かい言葉に、自然とアサヒの頬も緩む。

 彼も他のコメントにならって、コメント欄に称賛の声を残した。


『やったなヨミ! いい仕事だ!』


「はい、ありがとうございます! 伝説の探索者さん!」


 ヨミはアサヒのコメントを見つけると、名指しで返事を返す。

 そうした特別扱いには、アサヒも悪い気持ちはしない。


 自分は彼女に認められている。

 そう感じるだけで、何か力がみなぎってくるのだ。


「お……?」


 するとアイアンリザードの遺骸から、何か白いモヤのようなモノが浮き上がって来たかと思うと、ヨミの中に流れ込んだ。


「わ、ここまではっきり目に見えるなんて……すごい量の『経験値』ですね!」


 驚くヨミの姿を画面ごしに見ながら、アサヒはつぶやいた。


「それなりに強いモンスターだけあって、経験値も多いんだな……」


 経験値とは、探索者がモンスターを倒した後、そのモンスターの死体から放出される不思議なモヤのことだ。


 このモヤは自動的に探索者の体に吸い込まれる。そしてこのモヤを取り込んだ探索者の能力は、さまざまな面で高まっていく。


 強くなる能力は人によって異なるが、筋力や体力と言った肉体的なものから、反射神経や手先の器用さといった運動能力、そして知能や記憶力といった精神的なものまである。


 このモヤが経験値と呼ばれるようになった由来は、探索者たちにある。


 探索者たちはこのモヤを取り込むことで自分たちが成長していることに気づき、「これはゲームでいうところの、経験値に相当するものでは?」と推測した。

 それ以来、探索者たちはこのモヤを経験値と呼ぶようになったのだ。


 実のところ、このモヤ自体が「私は経験値です」と自己紹介した訳では無い。

 経験値ということになっているが、これの正体は誰も知らない。


 わかっているのは、これを体に取り入れると、強くなること。


 そして、ゴブリンやスライムといった弱いモンスターからは、ほとんど経験値を得られない。だが、アイアンリザードのような危険なモンスターからは、より多くの経験値を得られるということだ。


(ヨミはこれからもっと強くなっていくんだろうな……)


「あの、アイアンリザードを倒しましたけど……このモンスターのどこを持ち帰ればいいんでしょう?」


(あ、そうだ、それを忘れるところだった!)


 モンスターを倒しても、倒しただけでは何にもならない。ダンジョンでモンスターを倒したら、換金のために価値のある部位を切り取らないといけない。


(えーっと確か……アイアンリザードの解体は……)


 アサヒはノートを開くと、急いで解体の仕方と、部位の価値を書いたメモを探す。


「あった! えーっと」


 アサヒはコメントにノートの内容をダダッと描き込んだ。


『おう、今から言うぞ! まずはうろこだ。質がいい鱗は地面をってない体の側面にある。いくつか持っていけ。あとは牙だな。これはナイフに使えるからこれも一番長いやつを持っていけ』


『後は心臓なんだが……解体が必要になるから、放っておいても構わん。アイアンリザードから採れるモノの中で、一番高く売れるんだがな』


『しかしまぁ、ヨミはうまいことアイアンリザードの体に傷を付けずに倒したから、はぎ取れるものが多すぎて、逆に困るくらいだな!!』


「なるほど、心臓ですね!!」


 そう言ったヨミは解体用の分厚いナイフを取り出すと、アイアンリザードの鱗を持ち上げて削ぎ落とし、胸の横から刃物を突き立てた。


「えぇッ!?」


<ザグッ! ザグッ!>


 想像してなかった光景が画面に映ったことで、アサヒは呆然としてしまう。

 皮が切り裂かれ、骨だの肉だのでダンジョンの床に肉のスープが出来上がった。


(――おぉう、命だったものが一面に広がってるぅ?!)


「取れました! これが心臓ですね!」


 笑顔を向けるが、コメントは沈黙している。


 それはそうだ。アサヒがこれまで見ていたダンジョン配信でも、モンスターの解体をする時は一時的に配信を止めていた。普通は流さないものだ。


(そっか、ヨミは配信の初心者だった。だから、モンスターを解体する時は、配信を止めることを知らなかったんだろうな……)


『あー……言いにくいんだが、ダンジョン配信では、モンスターの解体をする時は、配信を止めた方がいいぞ。視聴者がビックリするからな』


「え、そうなんですか!?」


 アサヒのコメントにヨミは真っ赤になる。

 どうやら本当に知らなかったらしい。


 幸いなことは『ドンマイ』『まぁ初心者なら仕方がない』といった同情するコメントが流れたことだ。ヨミを責めるコメントは少ない。


(――ふぅ、炎上とかしなくてよかった……)


 ヨミには配信の知識も与えないといけない。

 アサヒはまた調べることが増えたことに気づき、小さな肩を落とした。


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