スピリット・ウルフ


<ブンッ!>


「くっ!」


 襲いかかってきたスピリット・ウルフに対して、ヨミは反射的に剣を抜いて横に払った。しかし、ボンヤリと光る狼はしぱしぱと瞬きながら鋼をけた。


(――危ないところだった。僕のコメントのせいで、ヨミの反応が遅れてしまった)


 読みに対する罪悪感と、戦いに対する焦燥でアサヒは奥歯を噛みしめる。

 しかし、今なお続く戦いは、彼が覚えた感情など一切気にかけない。


 地面に降り立った狼は、剣の届く距離の外を穏やかに歩く。


 その動きはきわめて静かなものだが、顔に浮かぶ白い瞳は、殺気に満ちていた。


 この静けさはけっして見たままの静けさではない。


 スピリット・ウルフは、ヨミを中心に円弧を描くように動き続けている。

 あれは彼女の隙を探し続けている動きだ。鼻先を地面に近づける、あるいはそっぽを見る仕草は誘いだ。彼女が構えを緩めるのを待っているのだ。


(あれはただの狼じゃないな。人間をよく知っている。)


 ヨミと狼は、お互いに最初の一撃をかわした。

 しかし、この戦いは最初から対等なものではない。


 スピリットの攻撃はヨミに当たるが、その逆はない。

 彼女がこの狼とまともに戦い続ければ、それは一方的な虐殺となるだろう。


(――まずいな、どうしよう)


 スピリットの強さは、その霊魂の出どころや生まれに関係する。


 アサヒはネットで調べた内容を確認する。


 そこには「一般人のスピリットであれば、そこまで危険ではない。しかし、それが戦いを知っていたり、獣となると、その危険度は格段に跳ね上がる。」とあった。


 スピリットウルフは後者だ。

 獣であり、その動きは明らかに戦いを知っている。


『…………』


 スピリット・ウルフは何も語らない。


 だが、その動きが変わったのは、アサヒにもわかった。


 狼はダンジョンの照明が作る影の上を、光の粒を残しながら渡っていく。そしてヨミの背後を取ったかと思うと、彼女の肩口やくるぶしを狙って攻撃してきた。


 ヤツはあえて致命傷を狙っていない。

 獲物を弱らせてから、じっくりと仕留めるつもりなのだ。


(すごい。第三層のボスモンスターとして君臨するだけはあるな……)


「だが、こいつがココにいるということは……『アレ』があるはず。どこだ……?」


 アサヒは配信画面を見るが、舌打ちした。どうやら目的のものが見つからなかったようだ。彼は迷いなくキーボードを叩き、コメントを打ち込み始めた。


『ヨミ、狼から視線を外さないように周りをよく見てみろ、死体がないか!?』


「……? し、死体ですか!?」


 アサヒのコメントをさっと流し見したヨミは、驚いたような声を上げた。

 彼女には、彼の発言の意図が理解できていないようだ。


『そうだ、死体だ。このスピリットに関係する死体があるはずだ』


「……とにかくやってみます」


 ヨミは先ほどよりも落ち着いた様子で『伝説の探索者』が送った2つめのコメントに対して返事をした。


 そして、彼女は動きを変える。


 ヨミは半身で剣を突き出す構えを逆にして、反時計回りに動いた。そうすると必然的に狼は逆に動かざるを得なくなる。


 狼は武器がある側の逆、背中側に回ろうとしているからだ。

 そして、ヨミがこの場の主導権を握ったことで、周囲の観察が用意になった。

 

(――よし、これで周りがよく見えるぞ!)


 アサヒは彼女のカメラを通して、周囲の状況を確認する。

 その時、狼の向こうに何かが見えた。


(………ッ!!)


『向こうだ! いま狼の奥に見えるやつだ!』


「えぇ?!……もう!!」


 ヨミが返事する声には明らかに困惑の色が見えた。

 しかしそれでも、ヨミは向こう側に行くために持てる技を使う。


 実体の無いスピリット相手に木と鉄の盾は何の意味もない。彼女はカイトシールドを床に捨てると、剣を両手で持って腰より下げた位置で構えて狼の後ろへ回り込む。


 すると、スピリット・ウルフは案外すんなりと下がった。

 アサヒにはそれが「そこでは戦いたくない」と訴えているように見えた。


「これは……死体さんですね? えっと、伝説の探索者さん、これをどうすれば?」


 ヨミが言うように、そこには乾ききった探索者の死体があった。


 死体は革製のラメラーアーマーとジャケットという比較的軽い装備に身を包んでいるが、その鎧は大きく斜めに裂けていた。どうやら何者かに斬りつけられて、それが致命傷になったようだ。


 そして、死体はその手の中に、光る何かを持っている。

 ヨミもそれに気が付き、伝説の探索者に向かって声を上げた。


「まさか……これを?」


『そうだヨミ、それを使え!!』


 配信画面には、無数のコメントが書き込まれて、現れては消える。だが、それらをかき分けるように現れた『伝説の探索者』のコメント。

 それを見たヨミは、意を決して動いた――


★★★


 死体の手の中にあった小さな銀色の筒を拾い上げたヨミは、内心で叫んだ。


(ウッソでしょ!? 死体と間接キスゥ!? はぁぁぁぁぁぁ?!)


 伝説の探索者は、この『犬笛』を吹けって言ってるん……だよね?


 でも、コメントに従わずにスピリットを斬り捨てるにも行かないし……。

 あぁ、もうメンドーすぎ!!


 もう無理、考えるのも限界……もうどうにでもな~れ!


<ーーーー!!!>


 二度と嗅ぎたくない臭いを我慢しながら、私は銀色の筒に空気を吹き込んだ。

 すると、こちらをうかがっていたスピリット・ウルフはピタッと動きを止めた。


 いや、動きを止めただけではない。

 彼、いや……彼女かも知れないけど、とにかく私を見るその瞳に敵意はない。


「えっと……おすわり!」


 何を言ってるんだ私は……えっ!?


『すご!』『狼がおすわりした!』『かわいい!』


 ぼんやりと光るスピリット・ウルフは、犬笛を吹き、おすわりと言った私の声に従ってダンジョンの床の上でちょこんと座っていた。


 動画のコメントは狼をカワイイとほめるコメントでいっぱいだ。


(うっそぉ……?)


 どうやら犬笛の持ち主はこの子の飼い主だったらしい。

 このスピリット・ウルフはこの飼い主の遺体を守っていたのだろうか?


 スピリットは死者の無念が原因で生まれるということは知っている。

 しかし、この場にいるわけでもないのに何が原因なのか言い当てるとは……。


 伝説の探索者……あいつ、一体何者なの……!?





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