第15話

「きゃっ」


 もし、なんてあり得ない未来についてボーっと考えながらお嬢様に引きずられていたら、横から少し甲高い悲鳴が聞こえた。

 うん、聞きたくない声だ。ぶりっ子モードの声だ。相手は見なくても分かる。

 お嬢様の横顔も、一瞬口元が引きつった。……そりゃ関わりたくないだろうなぁ。


「ごめんなさい……驚いて……」

「いえ、いいのよ」


 ビクビクおどおどと言った感じで話しかけてくるヒロイン、アニス。怖いなら話しかける必要もないだろうに。

 門から校舎へ続く通路には、人も沢山いる。こちらをジロジロ見ているし、お嬢様も無視するわけにはいかない。

 しかし、アニスのあの態度を遠目から見ているだけの人には、怯えているようにしか見えないというか……お嬢様が虐めているようにも見えるわなー……。


「あの……本当に殿下を階段から突き落としたのですか……?」

「どの口が言う」


 相手に聞こえないからこそ、あえて俺は口に出して少し怒りを発散した。てか、いちいちこんな人通りが多いところで言う事か?空気読め!日本人なら空気読めるだろう!

 こんな人間、二次元で存在するだけで充分だろう。現実に存在しないで頂きたい。切実に。気持ち悪くて仕方がない。


「私、本来のアデライト様はそんな事する人ではないと思ってます!でも、いくら嫉妬にかられたから言って行き過ぎた行為じゃないですか……?私が悪いのは分かってます……なら、私を害してくれれば良かったのに……」


 勝手な妄想に勝手な意見。挙句ハラハラと涙を流して、泣いたもの勝ちとでも言いたいのかとすら思える。

 遠目から見たら泣いてるアニスの方が被害者とも言えるだろうが、確か貴族は表情を悟らせないのが淑女のマナー。そう思い周囲を見れば、身なりの良い人や女の人からは冷たい視線が返ってきていた。


「私はしていないわ」


 堂々と言い放つお嬢様。ここで言葉を濁したら更に冤罪を吹っ掛けられるだろう。

 しかし、お嬢様の言葉を聞いた周囲はザワついた。ならばどうして噂が……とか、殿下はアニス嬢を愛していたから……等、陰口だろうが声が大きくて聞こえている。日本の諺で言う、火のない所に煙は立たないと言いたいのだろう。


「何をしている!?」

「アニス、大丈夫か?」


 やってきたのは……俺の中では名前呼びで良いか。ブルーノとルネで、ブルーノは泣いているアニスに寄り添い、ルネはお嬢様に対して冷たい目線で、今にも剣に手をかけようとしている感じだ。……騎士道って、女に対して、そう簡単に剣を抜くものなのか?

 漫画の世界とはえらい違いだな、なんて思っていると、お嬢様はたじろぐことなく堂々としていた。

 ……小さくため息を吐いた声が聞こえたのは、俺だけだろう。


「アニスに何をした!?」

「またアニスを虐めたのか!」


 男二人が女一人に対し、威圧的に声をかける。うーん……弱いもの虐めかとさえ思える。そして見事な決めつけだ。双方の話を聞くとかないのか。

 また、とか言っている辺り、ないんだろうなぁ。最初から全部間近で見聞きしていた俺としては、同じ男である事に対し嫌気が刺す程に、目の前に居る男達はクズだと思う。


「私は何もしていません。しいて言うならば何もしなかった事が罪なのでしょうか。それでは失礼させていただきます」


 俺と同じように、話すだけ無駄と思ったのか、お嬢様はそれだけを言うと、相手の返事を待たずして校舎の方へ向かった。

 ブルーノの側で泣いていただけのアニスも、やっと此処に来て「そんなっ」とだけ声をあげたが、別に問いかけでもないので返事する必要はないだろう。


「待て!」

「痛っ」

 背中を見せて歩くお嬢様に対し、ルネが声をかけると同時に、お嬢様の腕を掴んだ。お嬢様は小さく声を上げて、少し顔を歪ませたが、すぐ毅然とした表情と態度をする。


「女性に対し、そう簡単に手を触れて良いものではないわ」

「お前が逃げるからだろう!」


 逃げるも何もない。

 むしろ逃げるからと相手が痛みを感じる程につかみ上げるのは体格的にどうなのか。俺みたいにひ弱でヒョロヒョロな体系ならまだしも。


「痛いですわ。お放し下さい」


 毅然とした態度でお嬢様は言うも、相手は睨みつけるだけでその手を離そうとしない。


「離して」


 流石に周囲の騒めきも大きくなってきた。お嬢様も少しイラつき怒りを孕んだ声でルネに対し言った。

 それでもただ睨むだけのルネに痺れを切らしたのだろう。お嬢様はルネの手を振り払おうとした……が。


「あ」

「お嬢様!?」


 いくら腕っぷしに自信があるとしても、筋肉満載の護衛騎士と令嬢だ。

 お嬢様が振り払おうとしても、ルネは一切力を弱めなかったのだろう。お嬢様は身体のバランスを崩し、少し後ろに倒れかかった。


「!」


 そこでルネも、しっかり捕まえていれば良いものを、思わずお嬢様の手を離した。支えを失ったお嬢様は、動きにくいドレスな上、背をのけぞらせて手を払おうとしていたのも相まり、頭から倒れ床に打ち付けた。


「お嬢様!!」


 慌てて声をかけるも、お嬢様の目が開く事はない。

 人一人守る事も出来ないのかと、ルネに対して嫌悪感が沸き起こる。

 あそこで手を離さなければ、おしりから倒れていれば……そんな事を考えていても無駄だが、俺は叫びながら、お嬢様へ手を伸ばした。


「あ……」


 無残にお嬢様を通り過ぎる手。俺の手は、お嬢様を抱き起すどころか、触れる事さえ出来ない。そんな自分にもどかしく思い、声をあげた。


「とっととお嬢様を運べ!運べよ!!」


 そんな声が聞こえるわけもなく。生身の人間である目の前に居る二人を恨めしく思った。


「大げさな……保健室へ運んでやれ」

「くっそめんどくせぇなぁ」


 お嬢様が倒れたとて、心配するより嫌そうな顔をし、そんな事まで口にするブルーノとルネ。アニスは何も言わず、ただブルーノの側で涙を流し、しがみ付いているだけだ。

 周囲はお嬢様が倒れた事により、息を呑んでいたが、二人の言葉にまた騒めきが戻る。

 中には天罰だと言いアニスの肩を持つ声もあるが、それは少数だ。ほとんどが何もしていない令嬢の手を掴み、暴言を吐いた二人へ対する侮蔑の言葉だ。


 ――こんな奴等が生きているなんて。


 そんな事さえも思える。

 羨ましく、恨めしく。

 助けを求める声もあって、助けられる手を持っているのに……他者を傷つける事しか出来ないのか。そして……この状態でも、誰もお嬢様の元へ来る事もなく、ただ陰口を叩くしか能がないのか。


「ふざけんな!!」


 誰に聞こえるわけでもないが、叫ぶ。叫びたくなった。

 怒りで自分自身がどうにかなってしまいそうだ。こいつら全員しょっぴいて、牢獄の中で苦しむだけじゃ済まさないとまで思う。ただ、それを自分が出来る状態でない事も理解している。


「誰か……誰か!」


 ――たすけてくれ。

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