第6話

「日本を恋しく思う気持ちが無くならないのに、親や自分の顔どころか、自分の名前や生い立ちも覚えてないの」


 あ…………。

 日本という国を、どういった生活をしていたのかは覚えているのに、自分の事を全く覚えてない悲しさ。

 あの頃の生活は……と懐かしく思う反面、それはどこかで映画を見たのかと思える記憶。……ただ、この世界には観劇くらいしかなく、そんな映像をどこかで見る機会もないからこそ、これがやはり前世の記憶だと痛感する。

 話を聞けば聞く程、日本と今の生活とで揺れ動く気持ちが理解できた。どちらにも完全に付く事が出来ないような……。


「なのに……この世界がゲームと同じというのは理解出来たのよ……」


 膝の上でギュッと拳を握り、身体を震わせお嬢様が放った言葉に、俺は前のめりになった。


「あ、やっぱり?お嬢様って悪役令嬢だよな?」

「は……え?知ってるの?」


 お嬢様は不安そうな顔から、一瞬にしてキョトンとした顔になり、思わず噴き出したが……。


「……これ、乙女ゲームの世界……よね?」

「そこはスルーしとこうか!」


 何でそういうとこは記憶に残ってるかな!?むしろ忘れておいて欲しかった!

 てか男ユーザー多かったし!?と焦って答えるも、お嬢様はそうだっけ?と首を傾げた。うん、そこ覚えておこうか!?


「ミニゲームとかも面白いし、乙女ゲームだけの要素じゃないというか……!」

「……ストーリーを思い出す事だけを、ずっと必死にやってきたから……」


 お嬢様は机の上にある、攻略ルートのメモが日本語で書かれた紙の束を見つめた。

 ……自分が悪役令嬢だと気が付いてからは、必死に思い出していたと。日本語を記憶していた事が幸いして、隠す必要もなく思う存分書き込めたと、苦笑しながらお嬢様は紅茶を口に含んだ。


「でもなんか……こうやって日本の事やゲームの事を話せるのって、良いね」

「話し相手が居る幸せな」


 お菓子をつまみながら、和やかな空気になる。

 うん、本当に寂しさってのは人の心を殺せると思う。


「でも……どうして、私の所へ?」

「いや、何か城で引き寄せられてから、一定の距離以上は離れられなくて」

「……え?」


 リラックスした空気に、俺はそのまま事実だけを口にすれば、お嬢様の顔が呆けて……その後、真っ青になった。


「一定の距離って……」

「んー……この部屋の中くらい?」


 それでも十分に距離はある……のか?日本の八畳間がどれだけ入る事やら。なんて呑気に考えてた俺とは違い、お嬢様は更に真っ青になった。


「お風呂とか、どうするのー!?」


 お嬢様の叫びで、再度メイドと騎士が来たことは言うまでもない……か。






 幽霊相手でも羞恥心があるお嬢様は、しっかりと天蓋を閉めてから眠った。こっちに入ってくるなという事だけは俺に釘を刺して。

 ちなみにお風呂は、何とか壁の向こう側に居る事が出来た……。

 思春期男子としては、気になる……けど、流石に堂々と見る事は出来ない。認識されてなければ見るのかと言われれば……まぁそこは見る事に対して羞恥心もあるので分からないと答えるのが正しいかな。

 いや、見る事が出来るなら……まぁ……。

 悶々とした気持ちがありつつ、幽霊って寝るのか?と思いながら、何となくソファの上で横になってみる。

 もうこれは身体があった時の名残とでも言うべきだろう。

 まぁ、気が付けば意識が遠のき……。


「1!2!3!4!」


 煩い声で目が覚めた。


「……何事?」

「あ、斗真君!どこ行ってたの?」

「……寝てた?」

「……何で疑問形なの?姿は見えなかったけど……」


 お嬢様の問いにちゃんと答えられる答えはなく……むしろ答えた事で更に疑問は増えた。

 ……姿が見えないとは?何?俺、消えてたの?

 思わず身体が震える。何それ、怖い。本来の睡眠は記憶の整理等や身体を休ませるという意味があるとか聞いた事あるけど……俺に身体はないから、意識が消える事は……幽体が消える?

 そんな恐怖が脳裏に駆け巡ったが、すぐ上下へ引っ張られる感覚に意識が取られた。

 ってか…………。


「何やってんすか、お嬢様」


 目を開けるてお嬢様を見ると、動きやすい服装……この世界だと男が着る乗馬服のようなものに身を包み、どう見てもスクワット的なものをしているように見える。


「筋トレよ!」


 堂々と声をあげて宣言するお嬢様に、少し呆れる。

 ていうか、この上下に引っ張られる俺の感覚も鬱陶しい。そしてお嬢様の掛け声がうるさい。何だろう、俺も一緒になってスクワットをしているようなしんどさがあるんだが……。


「次は走り込み!」


 そう言ってお嬢様は走り出し、俺は当然の事ながら引っ張られるように付いていく。


「ちょ!?お嬢様!?何でこんな事!」

「国外追放になっても生きていく為よ」


 あー……なるほど?

 ゲームのエンディング的には追放か処刑、良くても修道院くらいだったか?それならば処刑さえ免れれば大丈夫なように……と。しかし常に身体を鍛えてる公爵令嬢って、どうなんだ?

 納得はしたが、基本的に引きこもりだった俺は、ただ引っ張られているだけなのに同じよう走っている感覚がしんどい!つらい!

 身体がない筈なのに、息切れしそうというか……意識がフラフラになりそうだ。


「ちょ……止まって……」


 何故か俺の方が疲労困憊になっていく。こんなにの付き合わされたくないぞ!

 そう思って離れようとしても離れられず、無情にも止まってくれないお嬢様のおかげで、余計に疲労だけが溜まっていく。

 これって所謂、憑りつくというやつだよな……。

 何でこんなお嬢様に憑りついたんだ俺……一体どういう原理でこうなった……。


「ちょっと聞いてる?……声に出さないと意思表示出来ないなんて少し面倒ね」


 お嬢様は声を潜めて俺に話しかけてきたが、俺は未だに項垂れたままだ。しんどい……疲れた。

 引きずられている俺をよそに、朝めいっぱい身体を鍛えた後、支度をすると学園へ行く馬車に乗り込んだ。


「他人事だと思って……」

「お嬢様こそ……インドア舐めんじゃねーぞ……」

「生きる為よ……」


 息が上がってるなんてあるわけないのに、俺は息苦しい感覚を覚えて肩で息をしているからか、お嬢様はスッと目線を外した。少しは申し訳ないと思っているのか、その瞳が少し泳いでいる。まぁ、お嬢様が生きる為に必死な事は理解した。

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