「第六話」兄としての矜持
ホムラの怒りは頂点に達していた。沸々と煮えたぎる感情を炙る炎は、あの洞窟の中で燻っていた恨みであり、今も彼女の復讐心を焚き付けている。孤立していた幾つもの謎が、互いに点を結び線となり……やがて一つの真実を描き出す。汚くて、それでいて予想外で、なんとも気持ちよく不快に腑に落ちる真実を。
「……お前が、ハクラを!」
シュラがイフウを吹き飛ばした直後、その太刀筋には隙が生まれていた。ホムラはそれを逃さず、低く懐に潜り込み、握りしめた拳を叩き込んだ。竜である彼女の一撃は大岩をも砕き、その拳速は雷に匹敵する。規格外の一撃はそのまま無防備な鳩尾へと伸びていく、だが……それは全く見当違いの方向へと飛んでいき、空を切った。
「!?」
隙を逃さず、ホムラの脇腹へと刃が迫る。ギリギリのところで身を捩ったものの完全に避けることはできなかった。切っ先が、決して浅くはない傷口を切り開いた。無論、ただ一撃を貰ったまま終わるほどホムラは弱くはない。彼女は防御を攻撃へと切り替え、シュラの肩に蹴りを叩き込んだのである。
蹴り飛ばされるシュラ、蹴った反動で距離を取るホムラ。
両者は殺意を隠すこと無く、再びの激突に備えていた。
(あの瞬間、拳が逸らされた)
シュラの周囲を漂う黒い靄のような何か、あれは紛れもない妖気の渦だった。ホムラにとってそれは脅威ではなかったが、腸が煮えくり返るような事実ではあった。ただの人間が妖気を使い、あそこまでの芸当を成し得るはずがない。あの洞窟で殴り飛ばしたときは紛れもなく人間だった、間違いない。──となれば、答えは一つしかなかった。
(核を抉り出すのは面倒だな……やっぱ殺してから探すか)
「殺しちゃ駄目だ!」
シュラを引き裂くべく飛び出そうとしたホムラを、イフウの泣き叫ぶような声が止めた。一瞬の戸惑いも束の間、隙の生まれたホムラへとシュラが間合いを詰めてきた。太刀筋は先程よりも早く、纏った妖気の強さも肥大化していた。
「っ……アンタ何考えてんの!?」
「弟なんだ、殺さないでくれ! なんでか知らないけど妖魔になってるけど……弟なんだ!」
「はぁ!? こいつって確かアンタを殺そうとした剣士だよね!? わざわざ自分を殺しに来た野郎を殺さないとか頭イカれてんの!?」
「──分かってるよ!」
分かってる、分かっている。イフウは自分の中にある責任に後ろめたさを感じながら、目の前で戦っているホムラに心の底から謝り倒しながら、それでも尚駄々を捏ねることをやめなかった。
「シュラは、確かに僕を殺そうとした。そりゃあ許してないし、同じ目に合わせてやろうって……山を降りてる間もずっと考えてた!」
──でも。イフウの口から、弱々しい言い訳が溢れ出る。
「離れないんだ、あの顔が。自分で僕の首を切ったくせに、泣きそうな顔で僕を見下ろしてた……弟の顔が。──だから、殺さないでくれ!」
ホムラの拳と、シュラの剣がぶつかり合う。速さも力も劣るシュラがやや劣勢かに見えたが、現実は全く逆である。「殺害」という勝負を終わらせる手段を契約者であるイフウに封じられ、ホムラは防戦一方を強いられていたのだ。一撃を受け、相手は自分と同等かそれ以上の存在からのバックアップを受けている……如何に最強たる竜であろうと、この状況は絶望的だった。
「馬鹿なこと、言うんじゃないよ……! 実際にこいつをどうにかするのは、私なんだぞ!?」
「分かってる、分かってるから……」
イフウは立ち上がり、刀を握った。呪われた右手で、今まで目を背けていた右手に応えて。それは恐らく禁忌だ、これをやってしまえば……もしかしたらもう二度と戻れないかも知れない。すぐに死んでしまうかもしれない、想像もできないような恐ろしいことが起きるかも知れない。
そもそもシュラは、イフウを殺そうとした。
実際に自分は死にかけたし、そのせいでホムラと契約することになって……考えてみれば、とんでもない状況に立たされた。
全部が全部、此度のイフウにとっての不幸は、シュラによるものだった。
(そんなことで、兄ちゃんはお前を見捨てないよ)
イフウの右手から、白い靄のようなものが溢れ出す。次の瞬間にはイフウの体は消えていて……ホムラとシュラの圧倒的な間合いに、丁度よく刀を滑り込ませていたのだ。ホムラはそれに、かつて苦楽を共にした最強の剣士の面影を重ねた。
「ハク──」
言い終わる前に、ホムラは間合いの外へとはじき出されていた。自分が先程までいた場所には、白い靄を全身に纏い、急激に呪いに侵され始めているイフウがいた。
金属音が響き渡る。刹那の間に二撃三撃更に追撃……白と黒の靄は、対峙する両者を苛んでいた。流麗なる剣術は舞の如く、戦いというよりは激しい会話のように、ホムラには見えた。
「……ほんと、似てる」
非合理、無駄が多い……そのくせやると決めたら後先考えずやってしまう。例え自分が死ぬかもしれないとしても、その確実ではない方法で、自分が救いたいと思える人を救えるのなら。
(そうやってアンタは、私をたくさん助けてくれたんだよね)
馬鹿だな。そう思っている割には、手を出す気はさらさらなかった。他人の家の兄弟げんかに首を突っ込むのは面倒だったし、何より……もう少しだけあの呪われた剣士に、長年連れ添ってきたバカの面影を重ねていたかったから。
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