「第五話」ハクラの面影
連なる山々の闇を裂きながら、太陽が昇っていく。
二人が山を降りて暫く経つ頃には、辺りの闇は夜と共に葬られていた。
どれだけ屋敷から離れただろうか。イフウは、自分の身に起きた全てを思い返していた。棟梁に選ばれ、弟に呼び出されて不意打ちを受け、死の淵を彷徨ったかと思いきや妖魔と契約をして……そして今、自分の呪われた運命を打ち破るべく、何もない未開拓の地を歩いている。
思い返してみても、濃厚な一夜だった。
「おい、ハクラもどき」
「……え、それ僕のこと言ってます?」
「アンタほどハクラに似てるやつ、他にいると思う? まぁ実力とかはハクラのほうが上だろうけど」
イフウはいい加減、ホムラの話し方にむず痒さを感じていた。彼女は口を開けばハクラ、罵倒をするときもハクラ……ツッコんでしまえば殺されるかも知れないので何も言わないが、それにしたって分かり易すぎる。──だからこそ、イフウの中では疑問が渦を巻いていた。
(あまりにも、ハクラに対しての忌避が無い)
昨晩、あの洞窟の中で彼女は言った。──色々あって君のおじいちゃんに封印された、と。シュラを一撃で倒したあの強さから考えるに、彼女は恐らく竜なのだろう。かつて妖魔の頂点でありながら、祖父の手によって滅ぼされた最強の種族。
もしそうなのであれば、彼女と祖父は殺し合ったのだろう。互いの命を狙い合い、力と力をぶつけ合い……そんな戦いの果てに敗北した彼女であれば、自分を封印したハクラを恨んでいてもおかしくない。むしろそうあるべき……なのに、彼女は恨むどころか、まるで──。
「でもアンタはさ、本当によく似てるんだよ、ハクラに」
深まっていたイフウの思考を、ホムラの声が遮る。イフウが隣を見ると、そこには酷く穏やかな竜の顔があった。綺麗で、幼くて、真っ直ぐに自分を見ながらも別の誰かを見つめている、そんなホムラの顔が。
「だから……もっと自分のことを、大事にしてあげてね」
そう言ってホムラは、そっと瞼を閉じたまま先に進んだ。イフウもそれをゆらゆらと追いかけながら、彼女の寂しそうな背中に目をやって、逸らして……また逸らしながら、歩いた。
──彼女は自分に言ったわけではなく、彼女が自分に見た面影に言ったのだろう。だからあんなにも優しい声色で、諦めたような顔をしていて……そんな自分以外への言葉を、図々しくも自分に向けられた言葉だったかのように、イフウは受け取ってしまっていた。
(じいちゃんは、どうしてホムラを殺さなかったんだろう)
どんな関係で、どんな出会いがあって、どんな別れ方をしたのか。
片思いだったのか、お互いに奥手だったのか、それとも両思いだったのか。
今のイフウが分かるのは、『ハクラはホムラを殺さずに封印した』という事実。そして理由もなく危険な竜を活かしておく理由もなし、そこから導かれる答えは……一つしかなかった。
(僕は、代わりなんだな)
ホムラはハクラの面影を、イフウに求めている。だから契約を持ちかけて自分を救い、呪いから解き放つために協力してくれている。──最強である竜、これ以上無い力添え。呪いから逃げられるかも知れないという希望。……だからこそ分からなかった。なんでこんなに、自分が苛立っているのか。何がそんなに足りなくて、不服なのかを。
と、イフウの煮詰まった額が何かに当たった。驚いた拍子に目を見開くと、前を歩いていたホムラにぶつかっていた。
「あっ、ごめ……」
言いかけて、イフウは自分の手が刀に伸びていることに気づいた。肌が痺れるような感覚、向けられた負の感情……それらを固めて作られたような存在は、往く道を塞ぐかのように存在していた。
「──ッ!」
抜き放たれた太刀は、イフウの足腰とともに即座に間合いへと詰め寄った。
相手が反応するより前に、自分がその姿を目視するよりも先に、大地から天へと舞い上がるような太刀筋が炸裂する。
それはホムラがギリギリで避けてくれたおかげで、ほとんど不意打ちのような一撃だった。
(──瞬雷)
一閃。その初太刀の極意とは即ち、殺意や負の感情に対しての容赦を捨てた後、考えるよりも先に斬り伏せるという退魔の秘剣。感情も境遇も、全てが殺戮の為に在る妖魔だからこそ許される技であり、一撃必殺の神剣だ。──だが、そんな一撃はいとも容易く防がれていた。
(なっ……刀!?)
鍔迫り合いに困惑する暇もなく、イフウは力比べに負けた。斬撃ごと吹き飛ばされた華奢な体は地面を転がり、止まっても尚、即座に立ち上がることはできなかった。
(強い……一体、どんな妖魔なんだ……!?)
イフウは抜いた刀を杖代わりに、痛む体を起き上がらせた。体中が痛みを訴え、心の奥底の誇りがそれらを忍耐せよと喝を入れる。──妖魔の姿を直視した瞬間、それらは全て吹き飛んだ。
「……なんで」
深い黒が混じった短い白髪、驚くほど白い肌……纏っている黒い武者鎧を嘲笑うかの如く、更に恐ろしく深い黒が、その細く鍛え上げられた肉体を漂っていた。その風貌、覇気、吐き気を催す妖気の渦は、紛れもなく妖魔だった。
「なんで、お前がここにいるんだよ……シュラ!」
そう、目の前にいる存在は正しく妖魔だった。
見覚えがある、余りにもありすぎた……それは禍々しくも、紛れもない自分の義理の弟だった。
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