「第二話」封印されし竜


「久しぶりだね、ハクラ」


 そう、イフウは死を免れた。

 人知れず洞窟に閉じ込められていた、得体の知れない赤髪の女と契約を結ぶことで。


 イフウは起き上がり、自分の首と胸元に手をやった。そこにはべっとりとした血がこびり付いているものの、致命傷だったはずの傷口はどこにもなかった。一通り心を落ち着かせた後に、奥で意識を失っているシュラを見た。


(一撃……)


 その事実は、イフウを大きく震撼させた。並の妖魔が束になっても殺せない彼を、殺意を剥き出しにした彼をいとも容易く殴り飛ばし、平然とした顔で目の前に立っているこの女が。


 シュラは『白羅』のツワモノの中でも別格の実力者だった。イフウも負けず劣らずのツワモノであるからこそ、彼の強さを真に理解していた。──だからこそ、なのだ。この女の異質さが際立っているのは。


「色々聞きたいことはあるけど、相変わらずクソ元気そうで何より。……っていうか、アンタ昔とぜんぜん変わってなくない? やっぱりアンタも化け物だったってワケ? あーそうですかそうですか、私と同じ……ねぇ」

「……?」


 女は先程まで怒り狂っていた癖に、なんだか様子がおかしかった。高揚しているような……そう、なんだか嬉しそうなのだ。初手の印象が最悪だったからだろうか? 少し落ち着いて見てみると、とても自分を殺そうとしているようには、イフウには思えなかった。こんなにも嬉しそうで、湧き出てくる笑みを押し殺すその様に、殺意は感じられない。


「まぁ違和感はないかな、刀一本で竜である私と仲良く喧嘩できてたんだし。……まぁあの程度の人間に殺されかけてちゃ洒落になんないけどねー! どう? 自分が捨てた女に助けられた気分は?」


 ついに表情がニヤけきったそのタイミングで、イフウは確信した。この女はまず間違いなく、自分を『ハクラ』という別の誰かとして勘違いしている。恐らく何か、特別な関係があったのだろう。──そしてその『ハクラ』という人物を、イフウはよく知っていた。


「……あの、いいですか?」

「えっ、なんで敬語? まぁいいけど……何?」

「僕、『ハクラ』さんじゃないです」


 沈黙。硬直。

 女は柔らかな笑みを少しずつ引きつらせ、次第に険しい顔へと形を変えていく。その様はイフウの背筋に再び恐怖を染み込ませ、目の前にいる女が化け物だということを再確認させた。


「……どういうこと?」


 女の圧は凄まじかった。至近距離で開かれた瞳孔は鋭く、下手な答えを返せば即座に首が消し飛ぶということを暗示していた。歯がカチカチと音を鳴らし、体の震えは徐々に広がっていく。

 もはや言い逃れは不可能。イフウは、一度抉られたはずの腹を括った。


「僕の名前はイフウ! 貴方が言う『ハクラ』という人物は初代『白羅』棟梁であり、最強の妖魔殺しであり、竜を殺した者でもある……そうでしょう!?」

「はぁ!? あんた何言って……」

「『ハクラ』は僕の祖父です! 僕は、『ハクラ』ではありません!」

「……!」


 必死に、必死にイフウは訴える。その様子に気圧された女は、顔をしかめながらも話を聞いていた。同時にイフウの体を舐め回すように見た後に、口を開いた。


「……じゃあ、アンタはハクラじゃないの?」

「はい」


 女はとても不機嫌そうだった。未だにイフウを疑り深く見つめ、イフウは蛇に睨まれた蛙のごとく震えていた。


「ふーん、じゃあハクラはもうおじいちゃんか。今なら私でも勝てるかも」

「……いえ、ハクラは……祖父は、去年亡くなりました」


 女の肩が震える。怒りと驚きに満ちた瞳にイフウは身構えるが、それは自分に向けられたものではなく、別の誰かに向けられたものだとすぐに気づいた。


「……そう、なんだ。そっか、あいつ死んだんだ」


 その様子は実にくたびれたものだった。まるで、生きる目的を失ったような。求めていたものが、初めから無かったことに落胆したような……そんな、そんな悲しげな雰囲気だった。


「……ちょっと待って、アンタもしかして呪われてる?」

「えっ」

「正直に言って」


 イフウは突然の図星に驚きを隠せなかった。どうしようかと迷った挙げ句、ずっと握りしめていた右手を差し出し、その手を開いた。女はその手をまじまじと見つめてから、鼻で笑って見せた。


「やっぱり、ね。──アンタもうすぐ死ぬでしょ」

「……はい」


 そう、イフウは呪われているのだ。先祖代々密かに受け継いでいる呪いだ……初代棟梁であるハクラが、唯一仕留め損ねたとされる妖魔に掛けられた呪い。親から子へ、子からまたそれの子へ……世代を重ねるごとに力を増す滅亡の呪いだった。右手に刻まれた痣は徐々に心臓へと伸びていき、達したその時……命が尽きる。


「棟梁として選ばれても、長くは生きられないことは分かってました。どうせ直ぐに引退するなら、初めからあいつに譲ってれば良かったのに……って」


 気づけば、身の上話が口から溢れ出ていた。決まっていた運命を嘆くことなんてなかったのに、自然と今は止められなかった……どうしようもない理不尽への怒り、悔しさ、何もできない自分への無力感。


「でも、なりたかった。ツワモノに……おじいちゃんみたいなカッコいい、悪い妖魔からみんなを守るツワモノに! だから、だから……」


 ああ、止められない。イフウは感情の激流を留めること無く、潤んだ涙腺と心を決壊させた。


「死にたくないよ……!」


 助けて。イフウが自分の弱さを言葉にしたのは初めてだった。泣き喚き、いずれ来る死の呪いに嫌だ厭だと駄々を捏ね、初対面の化け物に本音を撒き散らしている。それはきっと醜悪で、彼自身が思う誇り高きツワモノとはかけ離れたものなのだろう。──だが。


「──いいよ」

「えっ……?」


 女は、それを笑わなかった。寧ろ暖かく受け入れ、尊重した。生への執着を、泥を啜りながらも抗うイフウの無様を。


「ハクラを呪った妖魔……そいつを倒せば呪いは解ける、そうすればアンタは、ヨボヨボの爺になるまで生きていける。──その手伝いを、私がしてあげる」


 差し伸べられた手を、しばらく見つめていた。取ればもう戻れない、だが……生きるためには、ツワモノになるためには、取るしかないという確信があった。故に、イフウはその手を掴んだ。あまりにも、人間のようなか細く美しい手を。


「……!」

「──自己紹介がまだだったね」


 女はぐっとイフウの手を引き、無理やり立ち上がらせた。至近距離で見つめられることに恐怖は感じるものの、少しだけ……本当に少しだけ、イフウは彼女を美しいと思った。


「君は、何者なんだ……?」

「……竜だよ」


 驚きを隠せないイフウに薄い笑みを広げ、そして彼女は言った。

 遠くを見ながら、視線をもっと別の……何処か別の場所へ向けながら。


「私はホムラ。色々あって君のおじいさんに封印されちゃった……って感じ、なのかな?」


 どうやら自分は、とんでもない妖魔と契約を結んでしまったらしい。イフウは微かな後悔と、後戻りはできないという決意を強く固めていた。その裏で、目の前のホムラの表情の悲しさが、脳裏に焼き付いてどうしても離れなかった。

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