「第三話」シュラと修羅

 朝日が昇りつつある畳の部屋。

 シュラの母親であるトバリは、白い着物が際立つほどの赤い顔で憤慨していた。


「何だその無様は」


 シュラは正座の姿勢を、気が遠くなるほど保っている。夜が明けて朝日が昇ろうとも、目の前にいるトバリは罵倒をやめない。不甲斐なく弱い息子に、いつまでもいつまでも怒りと失望をぶつけているのである。

 それほどまでに由々しき事態が起きているということだ。不意打ち、しかも確実に致命傷を与えたという勝利しか待っていない状況で、まさか顔面に拳を叩き込まれて大敗する、しかも封印から解かれたばかりの妖魔に負けたという事実は、短気なトバリを憤慨させるには十分すぎた。


「何のために鍛錬を積んだ? 何のために私がお前を産んだと思っている……お前は私の誇りなのだぞ? それなのに何だその面は、鼻っ柱がへし折れて男前が台無しだな。──いいや、『別嬪』と言ったほうが正しいのかもな」

「……申し訳ありません」


 威風堂々であるはずのシュラには、全くと言っていいほど生気がなかった。

 当然である。命令とはいえ実の兄を不意打ちで殺そうとし、その果てに『白羅』の秘中の秘である竜を解き放ち、挙句の果てには敗北し、逃してしまったという事実がいっぺんに襲いかかっているのだ。努力で実力を掴み取った彼にとってそれらの出来事は、積み上げてきたものが酷くくだらないものに感じてしまうきっかけに十分成り得るものだった。


「私はお前に期待しているし、愛している。だからお前が棟梁になり、数多のツワモノ共を束ねることを願っている。お前が棟梁になるということが、私がかつて諦めた夢の証明となる……なのに、なんだ? 兄一人殺せず、寝起きの畜生一匹殺せず、何故生きて帰ってきた?」

「っ……」

「なにか言ったらどうだ」


 シュラは追い詰められていた。何かを言わなければいけない、なにか、なにかこの人を納得させられて、自分を見捨てずにいてくれるような、そんな時間稼ぎの言葉が欲しかった。そうでなければ自分は一人になってしまう。棟梁にもなれず、不意打ちの果てに負けて、竜を解き放った自分を見てくれるのは、最早この人だけなのだから。


「……私に、追討を命じてください」

「──何?」

「お願いします! 今度こそ、貴方の誇りになれるように剣を振るいます! お願いします、もう一度だけ私に機会をお与えください!」


 必死だった。とにかく必死で、どうにかしたくて、シュラは頭を下げた。鼻っ柱が痛くても地面に頭を擦り付け、必死に懇願した。捨てないで、捨てないで、と……自分の心の中がざわめいていた。──そして。


「いいでしょう、我が愛息子にして愛娘。──お往きなさい。今度こそ、お前自身の誇りを取り戻すために」

「──はっ」


 今一度頭を深く下げ、シュラは立ち上がる。心の中では命綱を掴めたことへの喜びと、もう後がないという危機感と焦燥に身を焼かれていた。やらねばなるまい、今度こそ、躊躇いなく兄の首を斬らねばなるまい。──そうでなければ、今度こそ見捨てられる。


(イフウ……!)


 シュラ本人は気づいていなかったが、彼の心には激しい憎悪が渦巻いていた。それは本人による意思とは実に言い難く、母親への依存によって自分が行う理不尽な行為への正当化のためのものだった。憎み、相手の悪を探し、或いは作り、そうやって自分を正義だと信じるために嘘を塗り固める。


 一歩、一歩。着実に光へと背を向けて進むその様は、地獄の業火に焼かれようとする修羅のようにも思えた。──そんなことは、本人が一番わかっていたのだ。

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