堂々たれ焔の如く
キリン
「第一話」裏切りと邂逅
静まり返った夜の闇を、無数の蛍が飛び交っている。儚くも美しい光たちは、今宵も自らの子孫を残すべく輝くのだろう。己の命を眩い光に変え、選ばれようと努力するその様には、生き様と云う業を思わずにはいられない。
白い着物に黒い長髪のイフウ、黒い武者鎧を纏った白い短髪のシュラ。
生まれた腹は違えども、同じ日に生まれた二人は同じ事を思い、同じ願いを抱いていた。
二人は刹那の命を輝かせる蛍に習い、励み、努めてきた。時間を削り、身を削り、限界まで己を鍛え上げることこそが、由緒あるこの家に生まれた自分の使命であり、生き様なのだと。彼ら自身もそれを望んだ。彼ら自身の意志で剣に生き剣に死ぬことを、人の世を脅かす妖魔と戦うことを誉れとしたのである。故に彼らは剣を振るった。痛みに怯むこと無く、ただ今日というこの日のためだけに、鍛錬を積んできた。
「皆、集まっているな?」
床に畳が敷き詰められたその部屋は風通しが良く涼しかった。幾つもの切灯台が灯る中、集められた家臣たちが頭を垂れる。二人も同じく、やってきた男に頭を下げた。この百戦錬磨の強者どもを束ねているのは、現棟梁であるスサノオという男だった。武器も持たない軽装ではあるものの、幾度の死線を乗り越えあらゆる妖魔を斬り伏せてきた彼の威圧感は、迫力というよりは覇気に近い。
「……イフウ、シュラ」
「「はっ」」
良い返事だ、と。スサノオは満足そうな声色で二人を褒めた。
「お前たち二人は、よくぞここまで己を鍛え上げた。俺との血の繋がり、そんなものは関係なしに俺は……いいや、二代目『白羅』棟梁スサノオは、お前たちを認める」
その言葉に、二人は体の芯を熱くしていた。これまで積み重ねてきた努力を、最高の形で、一番認められたい人間に認めてもらえたことが、とにかく嬉しくてたまらなかったのだ。
「しかし悲しきかな、棟梁とは常に一人。お前たち二人のどちらかを、俺は選ばなければならない。そこで、お前らに誓ってほしいんだ。──結果がどうあれ、常に努め続けることをやめないということを」
「勿論です、父上。私は必ずや、我らが先祖に恥じぬツワモノになります」
イフウよりも早く、弟であるシュラが応じた。スサノオはそれに力強く頷き、イフウの方を見た。
イフウは己の握りしめていた右手を、さらに強く握りしめた。
「……僕は、結果よりも過程に重きを置いております。此度の結果がどうあれ、僕は僕の思い描く強者を目指すことを、やめるつもりはこざいません」
イフウの声は、シュラのように心地よいものでも、大きいわけでもなかった。弱々しく、緊張でこもった声。しかし、スサノオはそれをしっかりと聞き届け、そっと瞼を閉じて頷いた。どうやら、どちらを選ぶのかどうかが決まったらしい。
「──では、現棟梁スサノオが告げる。次の棟梁、俺の跡を継ぐのは……」
家臣たちの目線、選ばれる二人の目線、それら全てが唇の動きに集中していた。上と下の唇が収縮し、開くまでの時間は、その場にいる皆がとても長いものに感じたことだろう。これから自分たちが仕える主を見定めたい家臣、これから自分こそが、この由緒ある『白羅』を次ぐと決意した兄弟。それら全てが見守る中、結果のみが鼓膜を震わせた。
「──イフウ、お前だ」
静寂。僅かな間を経て、家臣たちの歓声にイフウが包まれた。何が起こったのかわからない、わかるまでしばらく時間がかかって、理解しても尚、イフウは夢の中にいるような気分だった。
「……僕が、棟梁?」
自然と、イフウの目から涙がこぼれていた。喜びから派生したあらゆる感情は、彼の胸を、目元を、体全体を熱くしていって、報われた彼を祝福していた。──これは夢なんかじゃない。努力で掴み取った、現実だ!
「ありがとうございます! やった……やった! 僕が、次の棟梁だぁ!」
イフウが喜びを全面に押し出すと、家臣たちもそれに便乗する。なんとイフウの華奢な体を担ぎ上げ、そのまま胴上げを始めたのだ。上下する感覚はあまりに突然で、イフウにとっては目眩がするような気さえした。それでも、彼らの祝福をないがしろにするのは忍びなかったので、今は忘れることにした。
そう、忘れることにしたのだ。
視界の端で、唯一感情を爆発させていない、シュラの丸まった後ろ姿を。
◇
酒、魚、肉、米、野菜。笑い話に勇猛果敢な自慢話。それらを肴として、この日の『白羅』の強者達は夜の宴を楽しんだ。飲んで歌い、歌って飲んで……軽い喧嘩もなんのその、今日だけは、何をしてもお祭り騒ぎだ。
「……」
イフウはそんな輪の中に入ろうとは思わなかった。別に祝ってもらいたくないわけでもないし、この宴もとても楽しめている。ただ、やはり全力で楽しもうと思えないのは……脳裏に浮かぶ、あの丸くて怨嗟に満ちた背中なのだろう。
だからといってイフウは、特に何かをしようとは思わなかった。棟梁はすでに彼自身だと決まっていたし、そこについてはなんの憂いも後ろめたさもない。単純な努力、それらがつなぎとめた結果を掴み取ったに過ぎないのだから。
だが、それはあくまで立場上の話である。棟梁としてのイフウならばそれは鼻で笑うような話だが、『シュラの兄』であるイフウとしては、地味にそして確実に心を削り取っていくような大問題なのである。同じ目標に向かって数え切れないほどの努力を重ね、しのぎを削りあった仲でもある彼とは、こんなことで気まずくなりたくないのである。
「兄上」
「……」
「……兄上」
「え? ああ、ごめん。考え事してたんだ」
イフウは驚きを隠せていたか不安になった。まさか急にシュラが話しかけてくるとは思いもせず、つい目をそらしてしまった。いかんいかん、これでは意識していることに気づかれてしまう。
「……?」
シュラは怪訝そうな顔でイフウを見ていたが、やがて薄く笑みを広げた。イフウはそれがどういう意味なのかいまいち分からなかったが、答えはすぐにやってきた。
「次期棟梁、おめでとうございます」
「……えっ」
「おや、なにをそんなに驚いているのですか? もしや、まだ実感が湧いていない……とか?」
いつも通りの話し方に、悪意も嫉妬も感じられなかった。イフウは少し困惑したが、やがてそれは大いなる安堵へと変わっていく。所詮、ただの杞憂だったのだ。考えてみればそうだ、正々堂々と戦った相手に対し、あんな態度のまま接してくるわけがない。
寧ろ、おかしな考えをしていたのはイフウの方なのだ。普通は自分が負けた直後に勝った相手を褒め称えるなんてできないし、少し悔しがってあんな態度を取るのも無理はない。事実、時間がたった今、シュラは落ち着いてイフウのことを祝っていた。
「いや、そんなことないよ。……ごめん、僕はてっきり、シュラが納得してないんじゃないかと思って」
「それは……些か心に来るものがありますね。確かに父上から告げられた瞬間、私は思いを巡らせてはいましたが、納得がいってないとかそういう意味では、なかったです。どちらかといえば、悔しい……と、素直にそう思っていたのです」
「そっ、かぁ……」
なんて馬鹿なことを考えていたのだろう。イフウは心の中で、目の前の誠実な青年に謝罪した。彼はやましいことを考えていたわけではなく、純粋に自分を祝福するために心の整理をつけていたに過ぎなかったのだ。
「兄上、少し外の空気を吸いに行きませんか? この場はとても賑やかで楽しいものではありますが……静かで落ち着いた場所で、貴方と話したいことがあるんです」
シュラの穏やかな口調。イフウの中にあった疑いは完全に晴れ、心の中では今度こそ晴れ晴れとした未来が輝いていた。棟梁として認められたという事実が、ようやく確信めいたものとして。
イフウの脳裏に、護衛を付けたほうがいいのではないかという考えがよぎる。夜は妖魔が悪事を働く時間であり、少人数で外を出歩くのは危険だからである。
だが。
「いいよ、僕も話したいことが沢山あるんだ」
少しだけなら、大丈夫だろう。少ししたら戻ってこようと、イフウは快諾した。
「では、こちらに。とっておきの場所を知っていますので」
そう言って廊下に出たシュラのあとを、イフウは黙って歩いた。玄関で下駄を履き、扉を開けて外に出る。すぐさま心地の良い風が体をそっと撫でていき、宴で高揚していた気分に落ち着きを与えてくれた。空には雲が少しかかった月が顔を出し、ぼんやりと、穏やかな光を放っていた。
「こちらです、兄上」
シュラはそう言って、敷地外に続く門へと歩いていった。眠そうな門番は二人を見るなり、急に畏まって頭を下げてきた。門番二人に見送られ、二人は敷地外へと出た。
どこまでいくのだろうか、屋敷からどんどん遠ざかっていくことを、イフウは少し不安に思いながらも歩みを止めなかった。幸い、周囲には妖魔の気配は無く、隣の茂みに賊が潜んでいるような気もしない。しかしイフウの胸騒ぎは、どんどん大きくなっていくばかりだった。
「……えっ?」
しばらく歩いていると、シュラは突然、森の中へと入っていった。イフウは流石に止めようと声を出そうとしたものの、何故かシュラは走っていたのである。あっという間に小さくなっていく背中を、イフウは急いで追いかけた。
「ちょっ、待ってよ! おい!」
木々の隙間を縫うように、滑り込むように。石や木の根、それらに足を取られないように駆けていく。月から施される僅かな光だけが、かろうじてイフウの視界を繋ぎ止めていた。
追いかけているうちに、突然シュラが視界から消えた。驚きも束の間、すぐ近くの岩肌には、なんと巨大な大穴、いいや洞窟があったのだ。成る程そういうことかと納得した、シュラは、この奥にいる。
(……なんで?)
イフウの脳内は疑問でいっぱいだ。何故、洞窟に入る必要があった? 何故、シュラはイフウから逃げる必要があった? そもそもなんで、なんの目的があって、シュラはイフウをこんな離れた場所に呼び出す必要があったのだ? 話というのは、そこまでしなければ口に出せないような代物なのか?
(……行こう)
どんな理由があるにせよ、確かめねばなるまい。イフウは心の中で、再び疑心が燻っていることに不快感を覚えながら、光の届かない洞窟の奥へと足を進めた。
中は暗かったものの、進むことを躊躇うほどのものではなかった。洞窟へと差し込む僅かな月の光を頼りに、イフウは奥へ奥へと進む……なんでだろうか、自然の洞窟の割には地面がしっかりしている気がする。頭の中にある違和感が、徐々に肥大化していく。その正体を表さないまま、闇の中で。
「……っ?」
行き止まり、ではない。手で壁をなぞってみると、それは重くはあったが押すと動くものだった。イフウが目を凝らしてみると、そこには自分の背丈より二倍ほどの高さの岩扉がそびえ立っていたのだ。──しかし、イフウの驚きは止まらない。
そこには、見覚えのある文様があった。羽を広げた蛍の文様、『白羅』の家を象徴する『虹色蛍』の文様が、その扉には刻まれていたのだ。
「なんでこんなところに……ここは、一体何なんだ?」
疑問はあるが、いまはシュラについてだ。ずれた扉の向こうから、わずかに光が漏れ出ている……あの向こうにあいつがいる。イフウは、ゴクリと喉を鳴らし、扉に手を添えた。
重苦しい音を立てながら、それはゆっくりと開いた。奥に広がっていたのは、松明が何本も壁に立てかけられた空間。イフウにとってそこは、落ち着きはしないが整った空間だった。──そう、彼の視界にそれが、映り込んでくるまでは。
「──おい」
重圧、心臓を鷲掴みにされたような感覚。それはまるで雷が落ちたかのような衝撃で、ただの「声」だと理解するには、余りにも異質で異常だった。
部屋の真ん中、丁度中心。十三本の松明に囲まれ、その中心に座している……いいや、部屋全体を支える柱に括り付けられていたそれは、女の姿をしている化け物に違いなかった。血を塗りたくったような赤い髪、その奥に見える血の気の引いた白い肌。睨みを効かせた青い瞳は美しいものの、それと直面したイフウにとっては恐怖でしかなかった。
「どの面下げてここに来た」
「……なんなんだ、お前」
「殺してやる! 私の心を弄んだお前を、喰い殺してやる!」
イフウを見るや否や、赤髪の女は激昂した。その身を捩らせ、なんとしてでもイフウを食い殺さんとするそれは、洞窟全体を揺らし、イフウの背筋を凍りつかせた。
(なんだあいつ、どうしてこんなところにいるんだ!? 人間みたいな姿だけど、絶対……人間じゃない! でも妖魔と言い切るには、余りにも姿形が人間すぎる……)
何故、こんな場所に連れてこようと思ったのか。その答えの考察は闇を深めるばかりで、イフウの頭などでは検討もつかなかった。──だが、彼が一つ言えるのは、正体が分からない危険な存在が、自分の命を狙っているということだった。
「こっちに来い! おい、何をボサッと突っ立って……ッっ!? おい後ろ! 斬られるぞ!!」
「え」
イフウが振り向いた瞬間、光に煌めく太刀が見えた。それは深々と彼の体に食い込み、骨や肉を抉り切っていった。痛みより先に疑問が、イフウの頭に浮かんだ。見覚えがあったのだ、太刀を握るその男に。
「しゅ、ら……?」
口を動かした瞬間、イフウの視界は真っ赤になった。自分の体から血が溢れ出ていることが、燃え上がるような痛みによって分からされ、イフウは自分が「斬られた」ことをようやく理解した。立ち上がろうとしても力は出ない、揺らめく赤い視界の奥には、止めの一撃を放とうとしているシュラがいる。
「まっ、て」
「──御免」
イフウの喉笛が、半月を描く太刀筋に切り裂かれる。それで全てが終わった……イフウは腰の刀の柄に触れることさえ無く、無様に倒れ込んだのである。──自分を殺した弟を睨みつけながら、その開かれた瞳孔から、涙を流しながら。シュラもまた、苦い顔で目を逸らした。
──それを見ていた赤い女だけが、不敵に笑っていたのである。
◇
──契約だ。耳も聞こえず、生きているという感覚すら危ういイフウは、確かに「声」を聞いたのである。威圧感がある……そう、あの赤い髪の女の声だった。持ちかけられた取引に応じれば、自分は間違いなく助かるということがわかった。彼女には良くも悪くも力があり、それが自分の命を救うに事足りるということも。
ただ、生きたかった。誇りとか矜持とか、妖魔を殺すツワモノを束ねる棟梁としての自覚はそこになく、イフウは自分の命に必死に手を伸ばした。──伸ばした結果、掴むことができたのだ。
「契約、成立ッ!」
雁字搦めにされていた赤髪の女は解き放たれた。積年の恨みと、目の前で自分が殺したい相手を殺されかけた怒りが、そのまま拳として真っ直ぐにシュラの顔面へと撃ち放たれた。避ける暇も防御の隙も与えず、体はそのままぶっ飛んでいく。
「さーて、邪魔者がいなくなったことだし……」
赤髪の女はそのまま自分の腕を爪で裂き、滴り溢れ出る鮮血を、虫の息であるイフウの傷口へとかけていく。するとどうだろうか、致命傷だったはずの傷口は全て塞がり、イフウはその儚き命を繋ぎ止めたのである。
「──久しぶりだね、ハクラ」
月明かりが赤く、滲むように染まっていた。
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