第78話 居安思危、思則有備、有備無患(春秋左氏伝 襄公十一年)①


 コツッ、コツッと歩道を歩く。

 深夜であっても人通りはそれなりにある場所にもかかわらず、この人気のなさは異常だった。

 しかし彼女はそれに気付くことなく疲れ切った心と体を引き摺り家路に着く。

 聞き慣れない着信音が鳴った。

 彼女はのろのろと自身のカバンを漁り、それを取り出す。

「───えっ?」

 それは携帯電話だった。

 そこで我に返り辺りを見回す。

「えっ?」

 そこは確かに見知った通りだった。

 いや、見知っているはずの通りだった。

 人気がないが建物は間違いない。違和感は何か。

 携帯電話が鳴り止まない。

 彼女はガタガタ震えながらその携帯電話のディスプレイを見る。

 11年前に亡くなった祖母の名が表示されていた。



 大学で昼食を取っていると電話が掛かってきた。

「はい、岩崎です」

『あのっ、私っ、久我と申します』

 相手は以前京都で知り合った火車にひき逃げされた(ある意味)幸運な女子大生、久我瑞穂だった。

「ああ、お久しぶりです。こちらに直接という事は、陰陽尞…陰陽局でも無理と判定されましたか?」

『はい。手に負えないと…警察も、地元の祓い師?の方にも相談したらしいのですがお金を取られただけで追い返されたと』

「それは悪質だな…被害に遭ったのは?」

『私の従姉妹です。一昨日仕事帰りに行方不明になりまして…』

 同じパターンか?いや、そうとは限らない。話を聞こう。

『23時頃大通りを歩いていたら突然消えたようなんです…防犯カメラにもその様子が映っていて…』

「やはり突然消えていたと」

『はい…』

 恐らく自身と同じ目に遭ったのでは無いかとの思いで俺に電話をしてきたのだろうが、火車であればぶつかった際に映像でも分かるレベルで跳ばされたり、捕まえられる映像が映ってしまうので幾ら節穴でもおかしな事が起きているのは分かると思う。

「一応、そういった術を使う誘拐組織がつい最近まで居たので何とも言えませんが…妖怪による連れ去りや異界へ紛れ込んだ等の確認はされたんですか?」

『分かりません…』

 まあ、そうだろうな…そこら辺は直接聞けば良いか。

「今日は金曜、しかも急いで向かっても18時を過ぎます。行方不明になった場所や被害者等の詳細を教えて欲しいのですが」

 彼女は被害者の情報と行方不明になった場所と日時を教えてくれた。

「…分かりました。こちらで調べ終えたらすぐに伺います」

『あのっ、これは私の個人的な依頼というかたちでお願いしたいのですが』

「それは構いませんが…まあ、もし大事であれば陰陽局に連絡をして作業に移るのでご安心を。明日朝こちらからおかけします」

 俺はそれだけ伝え通話を終えた。

「…女性みたいだけど」

 さあて、何故静留がこんなにも不機嫌なのかを考えなければ…2分以内に。



 夕飯の準備をし、置き手紙をしてから京都へ向かう。

 行方不明となっている女性は高松瑞葵たかまつみずき、25歳会社員。

 家系はまあ結構な家柄でそれを隠しての会社勤めのようだが…その会社はブラックのようだ。平社員は7時から21時は通常。管理職からは9時の17時といった具合のようだ。

 当然のように残業はサービス。

 今回の行方不明の件で確認が入り、その会社は潰れるのが確定しているとの裏情報が入ってきたが…まあ、それはどうでもいい話だ。

 中務省に確認を取ったところ、西護家…京都の古くからある祓い師の集団一派から横槍が入ったのでそちらに任せたとのことだが、追い返されたらしいと聞くと即座にあちらと関わりのない公家関連の調査員を送るとのこと。

 俺も夜に京都に入り調査に入ると伝えると出来れば予算20万円内でと言われた。

 遠征のついでと考えるので余程のことがない限りは交通費程度なんだがな…今日は下見の後は近くのダンジョンに行って時間を潰し、片付けた後再びダンジョンに入りその後帰るという流れを予定している。

 というのも誘拐の類では無さそうなのと、生存の可能性はそこまで高くないと考えられるからだ。

 まあ、それでも行かなければならない以上、遺品の1つでも持ち帰れたら良いが…

 そう思いながら京都に着き、件の繁華街へと下調べに行った。

「…アウト。これはマズイ」

 こんな京の都ど真ん中で何で気付かない?これは他にも被害者がいるぞ?むしろ居ない方がおかしい。

 即座に中務省へ電話を掛ける。

「横槍を入れた西護家というのは本当に祓い師の集団一派なのか?」

 電話に出た辰巳上席に開口一番そう告げた。

『それはどういう…』

「妖魔が漏れ出そうな異相があるのに気付かないというのはどういう事だ?浄眼保ちであれば確実に分かるほど空間に亀裂が入って中から外を見ているぞ」

『!?今すぐに担当者を寄越す!20分以内にそちらへ向かわせるからその場に居てくれ!』

 辰巳上席はかなり焦った様子でそれだけ伝えると通話を切られた。



 チリンッ


 10分ほど経った頃、鈴の音が響いた。

 繁華街の雑踏の中だ。

 例え聞こえたとしてもここまで澄んだ音色ではない。

「守り人が居るのか」

 守護霊。人の位で死した後、人の守護を買って出る者。

 ただし所詮は守護霊。強い守護霊であっても死霊相手が限界であり、悪鬼の類から身を守ることは不可能だ。

 生前その道に居た者が隠形で以て守ったか、それとも…

「あのっ、岩崎さんでしょうか」

 声を掛けられた。

 軽く頷くとその人物はソッと名刺を俺に差し出してきた。

「私、中務省大阪陰陽局の邨瀬と申します」

「部外協力員の岩崎だ。早速で申し訳ないが、あちらの方を浄眼で見て欲しい」

 俺が即座に繁華街の通りを指さす。

「えっ?すぐ手前辺り…っ!!?」

 邨瀬が思わず悲鳴をあげそうになったが、自身で口元を押さえ目を逸らした。

「安心しろ。奴はずっと俺を見ている」

「アレなんなんですかぁ!?あんな化け物居るなんて聞いてませんよぉ!」

 涙目で俺に訴えられてもなぁ…あと小声で叫ぶとはなかなか器用だ。

「火前坊は京都のダンジョンでは比較的よく見るぞ?遠征で来た時に元興寺の鬼、油坊、頼豪鼠と共に倒したからなぁ…」

「……鬼を倒せるんですか!?」

「倒せんとこんな副業1年と保たずに死ぬと思うんだが?」

 あっ、ソッと目を逸らしたぞこいつ。

「兎も角これでハッキリしたと思うが、西護家だったか?其奴らはまともに京の町を守護していないし、横槍を入れておきながら公家の傍流である高松家から金をふんだくっておきながら門前払いしたそうだ」

 公家というワードが出た邨瀬の反応は早かった。顔面蒼白になり、その場にへたり込んだ。

 まあ、そうなるよなぁ…

 現代社会において公家なんて存在しない。一応は。

 ただその流れは確かに存在し、現代も経済界含め各所で生き残っている。

 なかでもこういった業界では普通に存在し、お貴族様をやっている。

 ぶっちゃけパトロンであり、本家自体もそこそこ優秀な血脈術者だったりもする。

 …と言っても、中務省含め鬼を倒せる人材が表はほぼ壊滅的で居ても武器頼り。

 裏の方も下手をすると術や武で倒せる者は両手で足りる程度という絶滅危惧目前の状況。

 と言うよりもその西護家とやらは相手のことを調べなかったのか?本家は公家どころか堂上家だぞ?

 そんな事を考えていると邨瀬が復活したようで震える手でスマートフォンを取り出した。

「因みに高松家はここから徒歩10分内にあるし、本家は今だそこそこ大きなグループ企業を有しているぞ」

「局長!あの行方不明事件、被害者は高松家だそうですっ!そうです!しかもここ、クラックが出来てます!維持費云々とかそういう次元の話じゃないですよ!?中から出てこようとしているレベルですっ!」

「恐らく他にも人攫って喰ってるぞ此奴ら」

「…だそうです。どうするんですかこれぇ…物理的に首が飛ぶ案件ですよ…」

 まあ、頑張れとしか言いようがないな。

「俺は23時に作業を開始する。済まないが23時の前後30分ほどこの道…歩道だけでも良いから封鎖出来ないか?出来なければ別の方法を考えるが」

「えっ!?お一人でやるんですか!?」

「大体いつも一人だが?最低限さっき言った妖怪と戦えない限り無駄死にするぞ?」

「局ちょぉぉ!来たら分かりますって!これ絶対マズイ案件ですよ!応援お願いしますぅぅっ!」

 …一応、奈良の方々にも連絡を入れておくか…

 へたり込んで泣きながら通話しているスーツ姿の少年?と無表情で立つちょっと目つきの悪い俺。

 これは、警察呼ばれるんじゃないかな?

 と言うか呼ばれたか…向こうから警官2名走ってきたし。

 ………はぁ、近場で食事をしてダンジョンで時間潰す予定が何処までズレるか。

 駆けつけてきた警察官達に中務省の身分証を見せながらスケジュールの調整を早々に諦めた俺だった。




 ─── 居安思危、思則有備、有備無患 ───


 安きにありて危うきを思う。思えば即ち備え有り。備え有れば憂い無し。


 最後の部分の患は苦しむ、煩い、憂いという意味があるのですよ。


 平穏なときにこそ危機管理能力を高めよ。そうしたら色々準備をするでしょ?そして備えておけばその時に苦しむ事はないですから。


 と言う意味ですね。

 備え有れば憂い無しのみ語っても本当は駄目なんですよ。

 余裕があるときこそもしもの準備を怠らない。これ、最強。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る