第29話 破鏡再び照らさず

 ダンジョンから出たところでタイミング良く着信が入る。

「はい。岩崎です」

『岩崎の兄ィッスか!黒崎です!』

「ああ、ホストがやらかしたのはそっちの所の関係者だったな」

『さっすが兄ィ!で、この女が半べそかきながら兄ィの名前出したんで電話したんすけど…』

「ああ。俺の関係者だ。大学の知人で金を貸している」

『兄ィから金を!?へぇ…そりゃあ究極のお守りだ!』

「松本もそのホストの準被害者だぞ。まだ関係はしていないみたいだが、住処を提供している」

『あー…だから最近捕まらなかったのか…』

「あと、松本は地方の郷士の娘で本人は気付いていないが武闘派連中と親戚関係だから扱いには注意しろよ?」

『へっ?…マジっすか?』

「ああ。玉光研究会って知ってるか?」

『あー…元でかい組織だった後釜の…』

「彼女の従兄弟がそこの幹部だ。うっかり手を出すとお前らと後ろの連中全員やられるぞ」

『───肝に銘じておくッス!兄ィはこの事があったから連絡しろなんて言ったんスね』

「まあ、知人が酷い目に遭うのは避けたいからな」

『了解ッス!彼女には手を出さないでおくッスよ。しかし、研究会には?』

「ダンジョンに入る前に俺から連絡はした」

『………あーあ、にーちゃん完全に終わったかぁ』

「あの従兄弟、松本の事溺愛しているから変な虫が近付くと排除したがってな」

『まさか、兄ィも?』

「捕まって十数名から恫喝されたな。話せばわかる良い大人だったが」

『いや、いやいや…ははは、兄ィ、それ絶対うちらにやった以上の殺気をばら撒いたっしょ』

「武器持ち相手に穏便に済ませただけだ」

『武器持ち…やっぱ兄ィはスゲェや…んじゃ、ホストくんはこちらの後で研究会に引き渡しで、店の方は…そろそろ言われそうなんでこちらから』

「ああ、任せる。今からまたダンジョンに入るから…電話するなら3〜4時間後にでもくれ」

『了解ッス』

 ───さて、もう一周してくるか…念のためにタイムトライアルだな。



 …うん。予定を立てて潜るモンじゃないな。

 東京の下層で出会すような相手じゃないぞ…片輪車は。

「岩崎様お待ちしておりました」

 ダンジョンから出ると、そこにはスーツ姿の伊達男が立っていた。

 ただしスーツの上からでも分かるほどの筋肉…いや、スーツが可哀相だ。

「待ってもらわなくても良かったんだが?」

「こちらがご迷惑を掛けているのですから…」

 そう言いながらも男は細い目で俺を見つめる。殺気の籠もった目で。

「良いのか?そんな目で見て…『全ての人間は他人の中に鏡を持っている』というぞ?そんなに見つめられたら、見つめ返したくなるよな?」

 同質の殺気を相手に返す。簡単にくびり殺せると?喉を締め上げて窒息させると?

「っ、あ…かっ、ぁ…」

 呼吸困難になったのか胸を押さえてよろめく。それを見ていたお仲間が駆け寄ってきた。

「ほんにすんません!この馬鹿が!会長にバレたらお前どえらいことになるぞ!」

 お仲間は俺のよく知る人物で、60に近い昭和の下町にいる親父が無理矢理スーツを着たような男性だった。

 …ここまで似合わないと別の意味でスーツが可愛そうだ。

 容赦なく男の頬を張り倒し、土下座せんばかりの勢いで謝ってきた。

「梅津さん、向けられた殺気を返しただけだ。何も問題は無い」

「いやいや…流石に無礼が過ぎます!」

 いやどんだけ低姿勢なんだ?前は刀で斬りかからんばかりの勢いだっただろう…

「今回は流石にお嬢の世間知らずが悪い方向で出てしまったと言いますか…」

「あー…その件の話も合わせてしないといけなかった」

「えっ?なんぞありましたか?」

「ああ。ある意味この問題が上がったから助かったかも知れない事が」

「───どうぞお車に」

 梅津さんはそう言って俺を車まで案内してくれた。

 ───若衆放置しているのは良いのか?とは聞かない。面倒だから。



 連れて来られたのは都内の高級繁華街の一角。

 煌びやかな雰囲気の中、異質で無骨なオフィスビルの2階。

「───岩崎の兄さん、久しぶりですね」

「ああ、あの時以来だな」

 そこにいたのは松本の従兄弟である林昭夫だった。

「今回は連絡本当に感謝します。流石に今回は肝が冷えましたわ」

 そう言って頭を下げる林に俺は苦笑する。

「まさかこの界隈で仕掛けてくるような阿呆がいるなんて…さっきうちの子を返してくれた若いモン達もだいぶ迷惑受けていたようで…あのホストはあちらのケジメ後にうちに引き渡されるという事で落ち着きました」

 穏やかな笑顔。ただ言っていることは危険極まりないが…この程度は良く聞くレベルなのでまあ、聞き流す。

「そうか…まあ、そっちの被害がなくて良かったと言うべきか」

「そうですね。あちらさんは面倒な被害を負ったようですが…うちの子は貢いだ程度で済んでホッとしてます。で、梅津が言ってましたがうちの子関連でなんぞあったんですか?」

 ズイッと身を乗り出す林。

「今回の件、あちらにも言ってはいないが…松本狙いだ。ただし、裏で糸を引くのは別だが」

 俺の台詞に穏やかな表情が一変する。

「そりゃあどういう事ですか」

「松本の父親───」

「あんのドグサレがいるんですか!?」

 ダンッッ!

 勢いよく応接テーブルを叩く音が室内に響く。

「感情を抑えろ…というのは無理があるだろうが、落ち着け」

「───スンマセン」

 林の深呼吸する呼吸音が僅かに震えている。

「俺から金を借りる際に『バイト代、パパからお小遣い、実家から振り込み』と言っていた。バイトはここでの事務処理だろ?ではパパとは何か…彼女の身持ちの堅さはよく知っている。ただ、勘違いさせるようなファッションは控えて欲しいが…」

「その部分はうちの事務員からも注意させてはいます」

 苦笑する林。

 少しは落ち着いたようだ。

「で、だ…スキルによる借用書作成時に彼女のここ数ヶ月の行動を軽く読み取らせてもらったが、やはり父親のことだった。

 月に一度会って食事をし、小遣いをもらっている。が、先々月その食事の席でホストの話をし、とあるホストクラブへと誘導している」

「……」

 憤怒の表情。

 しかし先程とは違い必死に制御をしている。

「そのホストクラブの出資者の一人として周りに悪意をばら撒いている。今回の件もその一つだな…そして娘を手に入れるために仕組んだ事でもある。勿論ホストはそれを知らない。ただ、仕向けられたことは分かっているだろうから確認してくれ。」

 俺はバックパックからメモ用紙を取り出し、住所とホテルの名前を書き、それを林の前に差し出す。

「恐らく今日、明日には逃げるだろうが…現在ホテル住まいらしい。場所はそのメモのホテルだ。松本にも教えていない辺り、用意周到だぞ」

「恩に着ます…っ!梅津!あのドグサレの居場所が分かった!張り込ませろ!」

 バタバタと大慌てで梅津さんがやってきた。

「カチコミですか!?」

「阿呆、カタギのホテルを定宿にしているらしい。張り込め」

 林はそう言って梅津さんにメモを手渡す。

「近いですね…分かりました。うちの連中と息の掛かった探偵をすぐに回します!」

 メモを握りしめた梅津さんは慌ただしくオフィスを出て行った。

「俺もそうだが、梅津の悲願だからな…嬉しいだろうなァ…」

「捕まえてから浸ったらどうだ?」

「……違いない。しかし、武力でも財力でも情報でも岩崎の兄さんには勝てない…参った。俺はアンタに何を差し出せば良いんです?」

「今回の件はゼミの友人の手助けをしただけだ。ただ、妹のように大切だと思うなら少し叱ってやってくれ」

「叱る…」

「家族として、兄として叱ってくれ。彼女もそれを望んでいる。昔のように呼ばれたいんだろ?大きな家族として周りを説得して再出発したんだろ?」

「……ああ」

「殴るなよ?」

「女子どもを意味もなく殴るなんてしないぞ!?」

 慌てる林に「そうか?」と軽く返す。

「ならすぐにでも行って叱ってこい。梅津さん行かせただけで会ってないんだろ?」

「……本当に…行ってくる」

「恐らく震えてるだろうから怒って終わった後、近くの牛丼屋にでも行って二人で食べたら良い。あの時みたいに」

「泣かすな泣かすな!……ほっ、まに人が悪い!」

「良く言われる。俺はこの近くのダンジョンに行って帰るので車とかは結構だ」

 席を立ち、オフィスを後にした。



 ───もしかして、昨日は厄日だったのだろうか。

 銀座ダンジョンの下層にも片輪車が出たぞ?

 アレは鬼の団体よりも厄介なだけに得た物も大きいが…出来れば出遭いたくない。

 色々な意味で疲れを引き摺りながら1限目の講義に出席する。

 何事もなく講義を終えて席を立とうとした時、

「い~わ~さ~き~く~ん!」

 松本が駆け寄ってきて、抱きついてきた。

「兄さんに怒られた!一緒に牛丼食べた!ありがとう!」

 興奮を隠し切れないといった様子で抱きついたまま矢継ぎ早に話す彼女。

「…松本。ここ、教室。そして抱きつくな。距離感がバグっているぞ」

「あ…っ」

 自身のしていることに気付いたのか、顔を真っ赤にして離れる。

「あっ、あのね!色々助けてくれてありがとう。私…」

「父親のことは聞いたか?」

「……うん。まさか、あんな人だったなんて、思わなかった…」

「勉強になったな。問題を起こしたわけじゃないんだからリカバリーできる。それに…頼れる兄貴と昔みたいに仲良くできるだろうしな」

「うんっ!…なんか、岩崎君も…お兄ちゃんみたい」

 頬を赤らめながらそう呟いている松本を俺は丁重にスルーした。


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